日本の毒ガス戦

海軍・国内での人体実験
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最終更新日:2015/08/01 12:46

相模原の海軍工廠で働いていた中根玄四(なかねはるひ)氏の証言があります。

中根氏は1923年生まれで相模原海軍工廠の化学実験部に勤務し動物実験等の助手を務めていました。

「季刊中帰連第47号」から引用します。

*中根玄四氏証言

実験に使った毒ガスは、僕の場合はイペリットだけでした。

実験に使われた動物たちは、実験の時点では生きています。

実験のあと、いちおうガスを中和するさらし粉のようなものを塗って洗います。

しかし、痛いでしょうし、元気もなくなります。

だからかわいそうなことをしたなと思うけど、どうにもならない。

命令でやっているんだから。

動物は担当の職員がわりとすぐ動物舎へ返してしまいます。

どう処分したかは分からないけど、自然に亡くなったのではないでしょうか。

天井に届くくらいの大きい石でできた慰霊碑があって、

年1回くらい慰霊祭をしてあげていました。

いまそれが残っているかどうかは知りません。

僕がいた部署だけではなく、他のところでも同じようなことをやっていたんだと思います。

そして、ときには人間にもやってみようと。

やってみようと言ったのか、やれって言われたのかはちょっと覚えがないんですけど、やったんです。

当時のことですから、職員でなくても、

全国から挺身隊とか勤労動員学徒とかいう名目で、

東北から沖縄、日本の支配下にあった台湾や朝鮮からも、動員されてきていました。

そうして全国から集めた中から知恵遅れの人や体の不自由な人を実験に使ったような気がします。

人間にやるのだから、動物にやるときと比べて時間を短くしました。

5分やるところを3分とか、10分やるところを5分くらい短くしました。

そして解毒剤をかけてきれいにシャワ-をあびさせて終わらせたような気がします。

動物実験と同じように記録を残したかどうか、覚えていませんが、どこかには残っているでしょうね。

実験をさせられた人とは、言葉がちょっとね、

なまりがあったから・・・・。都市関係の人じゃないということは分かった。

イペリットは腕に塗ったと思います。(痛いという反応は)なかったですね。

本人にはあったかもしれないけで、痛いとか痒いとか、そういうことは言わなかった。

そんなことを、約半年、繰り返していました。

 

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