日本の毒ガス戦

陸軍習志野学校
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最終更新日:2015/05/09 10:00

1932年(昭和7年)12月、陸軍省は兵備改善案を発表し毒ガス防護教育の充実を目指しました。

翌年化学戦学校を千葉県の習志野に設置されることになりました。

開校は1933年8月1日です。

4月21日に制定された陸軍習志野学校令によれば、

第1条に目的として「陸軍習志野学校は軍事に関する化学の教育並びに調査研究等を行う所とす」とされ

当初は主として毒ガスの防禦法の研究に重点が置かれていたようです。

実際に中国に派遣される部隊はここで毒ガス対策の訓練を積みました。

中国戦線や太平洋戦線の拡大とともに毒ガスの実地訓練も行われるようになり事故も増えたようです。

組織は当初は簡単な組織で当初は将校と下士官10数名、

1935年には専任教官が14名、

どんどん拡大が続き1945年には1357人に増えていきました。

戦争ではほとんど空襲を受けず、終戦では米軍によって8月27日閉校しました。

「訓練の内容」

各師団や旅団の将兵が習志野学校に派遣されどのような教育訓練を受けたのか、

1932年の国防大辞典・陸軍兵器「化学兵器と化学戦」を参考にしてみます。

竹原市毒ガス展・伊藤彰一氏論文を参考にします。

1、化学戦と化学物質に対する認識

2、毒物の種類と特性、その効果

3、毒ガスの時間的な作用

4、新しい毒ガスの研究、開発

5、机上論理による毒ガスの効果

(東京に毒ガスが散布された場合に解毒する化学物質の必要量など)

6、毒ガスの製造能力(アメリカなど他国の例も

・火砲迫撃砲・投射機・手榴弾、銃榴弾・飛行機による雨天・森林散布

7、毒ガスの使用方法(実地訓練と併用した教育)

8、陸地、海洋の毒化

9、毒ガスの各個防御と集団防御

10、防毒剤

11、瓦斯斥候

12、発煙剤

13、毒ガス戦の歴史研究

14、有毒ガスの平時使用

・医薬品・工業品および原料・殺菌消毒・害虫駆除・治安維持

15、世界の化学戦の準備上京と列国の化学兵器の趨勢

 「歴代校長」

中島今朝吾 少将 1933年8月1日~

谷口元治郎 少将 1936年3月23日~

鈴木重康  中将 1937年12月1日~

西原貫治  少将 1938年12月10日~

青木重誠  少将 1941年3月1日~11月13日

白銀義方  少将 1941年12月1日~

小池龍二  少将 1944年2月7日~

山崎武四  大佐 1945年2月20日~

 

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