日本の毒ガス戦

屈斜路湖への毒ガス投棄
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最終更新日:2015/08/16 11:21

1995年9月、毒ガス弾と見られる砲弾状の物体が屈斜路湖の湖底に沈められているのが、潜水調査で発見され、

自衛隊による調査の結果、致死性で糜爛性の猛毒ガスである「イペリット」と「ルイサイト」であることが判明しました。

1996年10月18日、腐食が進み壊れかかった26発の砲弾が無事回収されました。

回収された26発はとりあえず山林に埋められましたが、最終的にどう処理するかは未定です。

(1997年現在)

1996年8月に広島県竹原市で開かれた、毒ガス展実行委員会

公開シンポジウム「悪魔の兵器の廃絶をめざして」の資料から要約します。

*  村田歩・森亮一 報告  731部隊展・帯広実行委員会メンバ-

「経緯」

1945年8月22・23日、弟子屈に住む合田末広さんのところへ、

計根別飛行場に勤務していた青木軍曹が「国際法に触れるガス弾を隠して欲しい」と依頼した。

相談の結果屈斜路湖に遺棄することになった。

オウムのサリン事件で昔のことを思い出し合田氏は北海道に報告した。

北海道新聞記者の池田哲哉氏が青木元軍曹に会い証言を得た。

1995年9月、毒ガス弾とみられる物体が、屈斜路湖の湖底に沈められていることを確認

自衛隊関係者が糜爛性ガスが詰められていると証言

「引揚」

1996年10月7日~14日 水中処理班のダイバ-による手作業で

1    物体の強度確認

2    水中で密閉容器に物体を詰める

10月15日~18日 引き上げ作業開始

26個の内4個回収

屈斜路湖を源とする釧路川の水は、釧路市、標茶町、弟子屈の水源になるので、

作業期間中は、河口付近の水質検査(砒素など)を実施する。

10月18日、残りを全て回収

引き揚げ後の物体は、アルミ製の密封容器に収納後、

人の入らない山林の5m地下のコンクリ-ト質へ保管。

「内容」

10月15日に回収した4個を糜爛性毒ガス砲弾と断定

イペリットとルイサイトの混合液と見られる

直径18センチ、長さ105センチ、重量35kg、

尾に4枚の羽形状から航空機から投下する爆弾と判明

その他も水が入っているが、微量のイペリットが検出されている。

その騒ぎのおかげで新たな証言者が現れ、網走沖にも投下した事が分かりました。

屈斜路湖の26発の毒ガス弾を引上げて埋めるのに、1億2千万円もの費用がかかったそうです。

中国に置いてきた毒ガス弾の処理を考えると、気の遠くなるような金額が予想されます。

屈斜路湖の場所と発見された毒ガス弾の図です。

SCN_0091屈斜路湖

 

 

SCN_0090 毒ガス弾

 

 

又これとは別に曽根の充填工場の数万発の毒ガス弾は山口県沖周防灘周辺に海中投棄した報告もあります。

            (福岡県曽根の充填工場の元行員の証言 1993年共同通信)

その他、陸奥湾、銚子沖、相模沖、遠州灘、大久野島周辺等に投棄された事が明らかになっています。

これからそれ以外の場所も徐々に明らかになるかもしれません。

 

 

 

 

 

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