広島での毒ガス処理

日本の敗戦後すぐに占領軍は全国に進駐しました。

広島県はアメリカ太平洋陸軍第10軍第41師団が担当しました。

最近広島大学石田雅春助教が発見した

アメリカ軍資料があります。

吉川弘文館「日本歴史」

2014年8月号に論文から引用します。

各部隊の調査の過程で

大久野島や忠海での毒ガス情報をつかんだ第41師団は

昭和20年12月26日に化学兵器の集積一覧表を作りました。

 

●大久野島・忠海地区の化学兵器及び化学戦資材一覧

  米軍代41師団司令部化学班まとめ 昭和21年1月末現在

  当該地区の関係地図と照らし合わせると分かりやすいと思います。

SCN_0088 毒ガス処理の島

 

所在地

品名

数量

処置

忠海

 

 

94式大発煙筒

6,735個

廃棄

94式水上発煙筒

35,949個

廃棄

94式小発煙筒

207,210個

廃棄

94式代用発煙筒

245,220個

廃棄

97式信号用発煙筒

9,156個

廃棄

97式発煙筒

11,020個

廃棄

89式催涙筒

141,630個

未廃棄

89式催涙棒

141,072個

 〃

擬似イペリット

191,906ガロン

廃棄

99式発射発煙筒

542,389個

99式大あか筒

8,339個

未廃棄

93式特殊発煙筒

1,670個

 〃

98式小あか筒

29,953個

 〃

100式小あか筒

45,814個

 〃

100式中あか筒

17,460個

 〃

98式中あか筒

7,210個

 〃

1式大あか筒

798個

 〃

94式水上発煙筒用ゴム製浮袋

55,000個

廃棄

大久野島

 

 

94式水上発煙筒

14,485個

廃棄

94式大発煙筒

3,364個

 〃

Striker Head for Smoke Candle

3,400個

 〃

シアン化ナトリウム(青酸ソーダ)

391トン

廃棄・引渡し

ヨウ化カリウム

0.357トン

引渡し

チオジグリコ-ル

113トン

廃棄

アルコ-ル

4,410ガロン

引渡し

ヘキサクロロフィン

60トン

廃棄

ベンゼン

3トン

引渡し

酸化亜鉛

10トン

廃棄・引渡し

粉末状亜鉛

8トン

廃棄・引渡し

セルロイド

140トン

廃棄

シアン化水素(ちゃ1号)

15トン

引渡し

ルイサイト(きい2号、貯蔵タンク入)

840トン

未廃棄

ルイサイト(きい2号、ドラム缶入)

70トン

 〃

イペリット(きい1号甲、貯蔵タンク入)

430トン

 〃

イペリット(きい1号乙、貯蔵タンク入)

150トン

 〃

イペリット(きい1号丙、貯蔵タンク入)

620トン

 〃

ジフェニ-ルシアノアルシン(あか1号)

1,035トン

 〃

クロロアセトフェノン(みどり1号)

7トン

 〃

亜ヒ酸

106トン

引渡し

塩酸

28トン

引渡し

硝酸

22トン

引渡し

トルエン

47トン

引渡し

硫酸

154トン

引渡し

アセトン

4トン

引渡し

ナフタレン

15トン

引渡し

シアン化水素用シリンダ-(空容器)

6,300個

未廃棄

ルイサイト用ドラム缶(空容器)

200個

未廃棄

イペリット用ドラム缶(空容器)

1,850個

未廃棄

炭酸カルシウム

12トン

未廃棄

プロピレングリコ-ル

3トン

未廃棄

炭酸カルシウム

38トン

引渡し

二硫化炭素

0.5トン

引渡し

Pyro Sodium Sulfide

12トン

引渡し

水酸化ナトリウム

32トン

未廃棄

ジフェニルアルシン

57トン

未廃棄

阿波島

 

 

99式あか筒

2,919個

未廃棄

1式大あか筒

33,166個

 〃

98式中あか筒

420個

 〃

100式中あか筒

46,640個

 〃

98式小あか筒

44,650個

 〃

100式発射あか筒

3,529,994個

 〃

大三島

 

クロロアセトフェノン(みどり1号)

7トン

未廃棄

ジフェニルシアノアルシン(あか1号)

595トン

 

これらの調査の結果アメリカ軍は

第58化学戦総合中隊を現地に派遣し

廃棄作業に取り掛かりました。

上記の表で廃棄とされているものです。

 

次の表が廃棄した一覧ですが、

数え方の違いや表記の違いがあるため

必ずしも一致していません。

 

●廃棄された化学兵器および化学戦資材一覧

1945年11月12日~24日

第58化学戦総合中隊

所在地

品名

数量

忠海

 

 

94式大発煙筒(1箱1個入)

3,506個

94式水上発煙筒(1箱3個入)

8,817個

三式手榴弾(1箱30個入)

11,790個

発煙筒(形式不明)

232,456缶

大久野島

 

 

 

94式水上発煙筒(1箱3個入)

14,485個

94式大発煙筒(1箱1個入)

3,634個

発射発煙筒(大型発煙筒用と推定)

3,400個

六塩化エタン

60トン

粉末状亜鉛

7.5トン

塩化亜鉛

10トン

水上発煙筒用ゴム製浮袋

55,000個

チオジグリコ-ル

84トン

シアン化ナトリウム(青酸ソーダ)

33.4トン

 

廃棄に関しては危険性も考慮し

無難で廃棄しやすいものから廃棄したようです。

しかしシアン化ナトリウム(青酸ソーダ)などの

毒物も廃棄されています。

その証言があります。

 

●元所長 山中峰次氏の証言

 進駐軍は青酸カリ(ソ-ダ)が手軽く扱えたから、

 先ず投棄した時の海面は

 真っ白くなる程魚が死亡して浮いた。

 兵隊連中は面白がって次々に投棄した。

 その数は数千トンと思う。・・・・

 進駐軍の内■■は島の5浬以内の海域に

 投棄すると申しておった・・・・

 

以上は日本陸軍の毒ガスですが、

広島では海軍の毒ガスも

アメリカ軍第41師団によって発見されています。

 

●川上地区(現在 東広島市八本松)     イ

 ペリット充填の60キロ爆弾 6,382発 (海軍倉庫から発見)

 アメリカ軍は海中投棄を計画するが最終的に実行せずに

 英連邦軍に引き渡されたと思われる

 

●切串地区(現在 江田島市)

 イペリット充填の60キロ爆弾 4,810発

 12月23日に豊後水道南側に海中投棄されたと思われる。

 その後12月26日に再び別の毒ガス弾が発見されました。

 イペリット充填の60キロ爆弾  1,548発

 これは投棄が間に合わず英連邦軍に引き継がれたようです。

 

*日之浦地区(現在 呉市安浦)

 イペリット充填の60キロ爆弾 6,655発 

 (安浦海兵団施設から発見)

 廃棄は見送られた

 

その後アメリカ軍41師団は

1945年12月31日に動員解除となり

第58化学戦総合中隊も翌年1月に撤退しました。

 

その後を引き継いだのは

英連邦軍(オ-ストラリア軍)です。

米国軍、英国連邦軍と日本政府は協力して処理は進みました。

おそらく東京裁判で取り上げられないよう

秘密に処理する事に、

米国も英国も協力したものと思われます。

 

1946年5月から1947年5月にかけて

英連邦軍・帝国人絹㈱三原工場が協力して

廃棄処理が始まりました。

危険な作業の中で設備や関連物資は焼却し、

爆弾200,000発を現地に埋設し、

毒性の強いイペリットやルイサイトは

数回に分けて海中投棄されています。