防疫給水部(細菌戦部隊)

始めに
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最終更新日:2014/05/24 10:44

第二次世界大戦で細菌戦と毒ガス戦を行なったのは世界で日本だけだと思います。

戦争になると軍隊はどこへ行かされるか分かりません。

シベリアの様な極寒の地、ニュ-ギニアの様な熱帯雨林、砂漠・・・・

その他ありとあらゆる所で戦争が行なわれるからです。

その為師団の様な自己完結型の部隊は戦闘部隊だけではなく様々な要員を必要とします。

むしろ戦闘員の方が少ないくらいです。

食糧、水、病院、洋服屋、靴屋、床屋、輸送班・・・・部隊は部隊そのものを維持する組織が内部に必要なのです。

外部から一切の援助がなくても戦争を遂行するためには何でも部隊の中に揃っていなければなりません。

災害救助に軍隊が出動するのも自給自足出来るからです。
そしてその中には防疫(病気を防ぐ)と給水(安全な水を供給する)を行なう要員が必要です。

 

日本軍の大きな部隊には「防疫給水部」或いは「防疫給水部隊」がありました。

本来の目的からみれば当然必要な事です。

しかし日本軍は防疫給水の名前をカモフラ-ジュとしてそのまま使い、

実際は細菌や毒ガスの研究や人体実験を行なう秘密部隊をいくつか作りました。

それらが問題とされている細菌戦部隊、通称731部隊に代表されるものです。

それらは秘密部隊のため菊の紋章も付けられていませんでした。

秘密の防疫給水部隊は「スホ」と言う暗号で呼ばれていて、

大快良明氏(シンガポ-ルの岡9420部隊員)の証言によれば、スホは1から18まであったそうです。

勿論本来の防疫給水を真面目にしていた部隊がほとんどであることは当然です。

秘密の細菌戦部隊は立地条件から考えて完全に秘密が守られる事が条件の為満州に作られました。

満州にあった為連合国では疑いを持っていてもなかなか証拠が掴めず、

敗戦後でもアメリカは満州の隣がソ連だったこともあって調査が出来ずに苦労していました。

それに引きかえソ連は敗戦時満州に侵攻した時に多くの731関係者を逮捕して

ハバロフスクの軍事裁判(1949年)で731部隊のほぼ全体像を解明していました。

しかしそれは証言証拠のみで実際の資料や証拠は日本にあるため

ソ連はアメリカに捜査の協力を申入れています。

 

アメリカはソ連が731部隊の証言証拠を握った事から証拠資料をソ連に渡さず

日本で尋問した731部隊関係者を全て無罪にする事で証拠資料の全てを押収しアメリカに持帰りました。

関係者を無罪にした結果731部隊をはじめとした細菌部隊の事は

日本国民の前に一切知らされる事なく無かった事とされました

 

関係者(本来は犯罪者)は堂々と公職に戻り戦後の日本社会で活躍し、

ミドリ十字の血液製剤事件へとつながっていきます。
満州で秘密裡に組織された細菌部隊は関東軍の支配下で、

陸軍軍医学校系列では第731部隊(関東軍防疫給水部)が、

陸軍獣医学校系列で第100部隊(関東軍軍馬<獣>防疫廠)がつくられ、

逐次支部が作られていきました。

陸軍ではさらに登戸研究所が細菌戦の研究を行なっており、南京の細菌戦部隊と協力して人体実験をおこないました。

陸軍だけではなく海軍でも南方で細菌戦や毒ガス戦を行なっていた事が最近分かってきました。

徐々に解明されて行くものと思われます。

 

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