防疫給水部(細菌戦部隊)

岡9420部隊(威9420部隊)
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最終更新日:2014/06/28 15:44

正式のシンガポ-ル陥落は、1942年2月15日との事ですが、

2月12日には防疫給水部隊の先遣隊は上陸していました。

部隊としては4月1日(3月26日と言う資料もある)に、

軍令で細菌戦を準備するための防疫給水部として正式に編成されました。

そして5月5日南京で編成され、天皇に上奏の上6月20日に部隊はシンガポ-ルに正式上陸しました。


当初の人数は200人で、後では600人になりました。
シンガポ-ルのエドワ-ド7世医科大学病院の一角を接収して本部を設置しました。
この部隊もやはり細菌戦目的の部隊で、ペストノミを大量に生産していましたが、

実際に細菌戦を行なったかどうかはよく分かっていません。

但し1945年6月に米国蝶報機関がマッカ-サ-司令官に提出した「日本の秘密戦」には、

日本の南方軍でマラリヤの人体実験がおこなわれたと報告されていますので、細菌戦を行った可能性はあります。

松村知勝関東軍参謀副長の証言では「太平洋諸地域における戦況悪化で、

アメリカ、イギリス、その他の国々に対して731部隊の細菌兵器が使用される筈で・・・・」

とありますが、間に合わずに敗戦を迎えたと言われています。

「組織」

部隊長 北川正隆軍医大佐(1944年死亡)

       羽山良雄軍医大佐(後に少将)

総務科(庶務)
総務部長   内藤良一軍医少佐

731部隊で乾燥血漿の研究をした後、東京の軍医学校の教官をしていた。

戦後ミドリ十字を創設した。

資材科
経理課
検疫科
細菌研究班

所属は不明ですが勤務していた部隊員

市川利一   731部隊から転任

貴法院秋雄  京都大学出身  731部隊では天然痘の研究

早川正敏軍医中尉

松井蔚  戦後の帝銀事件で犯人はこの名前の名刺を使っていた

大快良明 軍属

柴田 軍属

岡野 軍属

高具安三郎 衛生大尉

星子 衛生曹長

村井 獣医

稲葉 通訳

支部

マニラ

支部長 軍医少佐 帆刈喜四郎

ジャカルタ

泰緬(タイ・ビルマ)国境

バンドン

 

「部隊の見取り図」

SCN_0095 細菌部隊シンガポ-ル図

 

ペストノミを大量に生産した部隊と書きましたが、

ペストは主としてネズミを介して感染するので、ネズミが多い南方は研究に有利になります。

もともとペストが多ければ、細菌戦をしてもばれないので、このシガポ-ルの部隊でも研究は進んでいました。

1943年4月に参謀本部で開かれた「ホ号打合」の会合の内容を業務日誌から見てみます。

*金原節三大佐(陸軍省医務局医事課)の業務日記から

南方軍、

イ、昨年9月より研究を開始す。

  ケピオス(注:Keopisネズミの事)粟南方において発育良好なり。

  繁殖力も大なり。
ロ、南方では山稜地区に肺Pestあり(気温15℃)、海岸には腺Pestあり。

  一般に四季を通じ散発しあり。
ハ、南方のKeopisは硬度大なり。

  熱に対する抵抗も強し。

  アスファルト道路(45℃)では1分で死亡するも、草原その他では2日以上生存す。
ニ、原法。使用場所小。使用人、餅麦。増殖率小  
  改良第一法。南方に適。
  改良第二法。保存適。
ホ、捕鼠は捕鼠器の約1割弱(南方1年を通じ同率で捕獲し得)。北方は時季により異なる。

ヘ、南方では気候の干渉で四季増殖に適す。

  雨と日光とを避ければ到る処飼育場となる。

ト、北方より輸入の鼠は馴化に1ケ月を要す。
チ、種餅を1回輪入すれば、あとは現地自活も可能なり。
リ、人員265名を要す。50Kgの生産可能なり。


*真田業務日記(参謀本部第一部長真田穣一郎少将) 1943年11月28日 原文カナ

南方軍、「ホ号(細菌戦)関係、あわ(ノミ)の生産は馬来(マレ-)の精神病院のあとで

黒もち(ネズミ)を使い生産す。

注:タンポウと言う町のプルマイ病院

黒モチは日(月?)量2.5疋とれる 一応の目途あるものの如之 
今93、-所有、(ジャバ)が一番繁殖大-、黒モチでpX(ペストノミ)を作る。
PX(ペストノミ)30Kgに回復するには来2月までかかる
PX仕上げ完成には更に暇かかる
「マレイ」の支部はPXの生産に専念、運用は他より部隊をよこされ度

 

証言内容からも見てみます。

* 大快良明 1917年生れ  1993年の聞き取り、及び1996年の庄和高校での講演禄から

・・・・昭和19年になり、

大本営が「細菌戦用にノミを5トン製造せよ」という命令を出したと聞きました。

そのために石油缶を5万個集めようとしたといいます・・・・

10月に入って大本営から南方軍防疫給水部に“衛生材料宰領”と言う命令が出ました。

衛生材料とはネズミの事です。

私は同じ軍属の柴田と岡野の3名でネズミ輸送の命令を受けました。

飛行機に乗り、サイゴン、台北に1泊ずつして、10月24日に東京の立川飛行場に到着しました。

そして新宿の陸軍軍医学校に行きました。

休暇をもらい・・・・帰途につくために立川飛行場に行ったときには、

すでに731部隊の専用機3機、これは97Ⅱ式重爆撃機でしたが,

これにネズミ数万匹が積み込まれていました・・・・

ネズミは縦40センチ、横30センチ、高さ30センチ、ぐらいの金網の篭に

ギュウギュウ詰めに入れられて、重爆の胴体部分に積み込まれたわけです。

1機に5000匹ぐらい、3機で15000匹を運びました・・・・

結局シンガポ-ルに着いたときには、3分の1は死んでいました。

こうして運んできたネズミは、本部とジョホ-ルバルの梅岡部隊、

クアラピラの飼育場にトラックで運んでいきました。

このようにしてわたしは10月から11月にかけて2回のネズミ輸送に従事しました。

計画では5万匹を輸送するつもりでしたが、結果は3万匹ぐらいだったわけです。

これらのネズミは、埼玉県などの農家に依頼して生産していました。

本部に戻ってからは春日部から空輸したネズミを飼育するので、

マレ-半島中央にある小さな街クアラピラと言う所の英国の中学校を接収し、

ネズミ数万匹を飼育したのです。

私は動物の餌を作るための大きな山を開墾し、農園を始めました。

クアラピラ飼育場は隊長が衛生大尉高具安三郎、衛星曹長星子、

飼育係りは獣医の村井技手と稲葉通訳技手等でした。・・・

南方最前線で米国本土攻撃のため、あらゆる努力と準備をしていたのでした。・・・・

ノミを養う石油缶などを5万個位購入してグランドに積んでありました。

ネズミを使って生産した細菌は、アメリカ軍に対して使う予定でした・・・・

結局、南方軍防疫給水部隊は細菌戦の準備はしていたものの、

私が知っている限りでは実戦に使用したことはなかったのではないかと思います・・・・


*オツマン・ウオク

17歳の頃、岡9420部隊で2年以上勤務

戦後スンガパ-ル社会問題大臣

実験場で働いていた中国人、インド人、マレ-人の少年7人は、

ネズミにたかっているノミを捕らえて容器に入れる役割を与えられていた。

日本人およそ40人がシンガポ-ル中ネズミを捜しまわり、獲物を実験場に持込んだ。

次にネズミにクロロホルム麻酔をかけ、少年たちがピンセットでノミを集めた。

その後の作業は日本人スタッフが引き継いだ。・・・・

ペスト菌に汚染されたノミを、砂、馬の乾燥血液、未確認の化学物質を入れた石油缶に移し、

およそ2週間繁殖させた。

繁殖したペスト汚染ノミは、シンガポ-ルから出されて、タイに送られたとのことです。


* 上記 オツマン氏新聞のインタビュ-記事 (上記内容と重複している可能性もあります)

シンガポ-ルのストレ-ツ・タイムス1991年9月19日

1942年半ば、当時17歳だったオツマン氏は職探し中に叔父に紹介され、

市内のカレッジ・ロ-ドにある古い医科大学の建物の中の、秘密の研究所に勤めることになった。

そこでは、ネズミにペスト菌が注入され、

そのネズミにノミをたからせてペストノミを「生産」する作業に従事させられていた。

不注意から、ネズミに指をかまれた日本人職員が発病した例を挙げ、

同所が細菌戦準備のための組織だったことは間違いないとしている。

こうした点について同誌の記者は松村高夫慶応大学教授に照会して、確認したと書かれている。

 

ここまで731を初めとした日本の5つの細菌戦部隊について個別に書きました。
次に全体として、今まで述べなかった細菌戦に付いて書きます。

 

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