防疫給水部(細菌戦部隊)

細菌戦部隊が行なった細菌戦
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最終更新日:2014/10/18 16:57

細菌戦に関しては別のテ-マで詳しく書きますのでここでは簡単にします。

 

撫順戦犯管理所での第731部隊林口支部長榊原秀夫の自筆供述書に

細菌戦に関することがかなり詳しく述べられています。  (原文カナ)

榊原供述書

*細菌戦に使用し得る細菌の種類

第1部の主要研究はいかなる細菌が細菌戦に使用し得るかまたその使用法の研究であります。

細菌戦に使用し得る条件としては

1 毒力強烈にして潜伏期間短く発病率の多いもの

2 細菌の外界に対する抵抗の大なるもの

3 伝播力の大なるもの

4 大量生産可能なるもの

5 敵に発見さること困難なるもの

6 努めて細菌戦を実施する地区に流行する伝染病を選定すること

これ等の条件に適するものとしては
ペスト、炭疽、鼻疽、流行性出血熱、ガス壊疽、破傷風、発疹チフス、再帰熱、
コレラ、チフス、パラチフスA・B・C、赤痢、腸詰菌、マラリア、狂犬病

馬鈴薯枯菌、麦の黒穂病、稲枯菌で、

積極的に研究準備していたものは、ペスト、炭疽、鼻疽、流行性出血熱であります。

*各種細菌の撒布方法(攻撃方法)

1 謀略的使用法密偵等による小規模の方法

   或いは戦闘退却時を利用する撒布汚毒化の方法

   即ちこの方法は規模は小であるが重要なる地点、希望する地点、

   部隊等に使用し得る利点がある。・・・・

   目標となるべきものとしては水源地、井戸、湖沼、食料品倉庫、交通機関、映画館、芝居小屋、・・・・

2 細菌弾 これは主として迫撃砲弾によるもので本法に使用し得る菌としては、

   耐熱菌即ち炭疽、鼻疽、破傷風菌、ガス壊疽菌、・・・

   弾丸により受傷せる際傷口より入る方法

3 飛行機による方法

a.菌液雨下 即ち大量培養せる菌液を空中より雨下噴霧化する方法
b.空中散布(乾燥せるもの即ち微粒子、粉末)
c.昆虫投下 昆虫により媒介せらる伝染病はペスト(蚤)、流行性出血熱(トゲダニ)、

   発疹チフス(虱)、再帰熱(虱、蚤、臭虫)、マラリア(蚊)で・・・・

   投下法としては素焼製の筒(陶器)、落下傘、・・・

d.病獣投下

*細菌を感染せしむる経路

1 経口

2 経呼吸器
3 経皮膚(粘膜)

このようにして日本軍防疫給水部は実際にノモンハンや中国の各地で細菌戦を行い、

相当な被害を及ぼし現在でもその後遺症は続いています。

どのような細菌戦を行ったのかは、レポ-ト「中国での細菌戦」を参考にしてください。

その後も調査は進んでいて新事実も発見されていますが、

別の機会に書くこととして今回はそれ以外の生体実験や細菌戦を書きます。

1939年にノモンハン事件があり日本軍はソ連軍に大敗しましたが、

2008年9月14日の朝日新聞に参加した兵士の証言が載りました。

その証言者、泉章次さんが提供した珍しい写真がありました。

前線の給水所に加茂部隊(注:731部隊の偽名)が出した看板です。

注意!!加茂部隊防疫給水部 (原文カナ)

手を消毒せざれば食うべからず

1. 大連に「コレラ」発生す
2. 白城子附近に「ペスト」発生蔓延の兆しあり
3. ハイラルに、チフス、赤痢あり

弾に死すとも病に死すな

  (解説)コレラ、ペスト、チフスは731部隊が実験としてばら撒いた疑いが濃厚です

 

「連合軍捕虜に対する生体実験」

  1942年にフィリピンやシンガポ-ルで捕虜になった連合軍兵士、

約1300人が満洲の奉天捕虜収容所に送られました。

南方の捕虜のためにわざわざ満洲に収容所を作るのは変ですが、731部隊による研究のためでした。

このことは、「大東亜共栄圏のフィリピン」に詳しく書きましたので参考にしてください。

 

「フィリピンのアメリカへの攻撃」    井本熊男大佐 業務日誌昭和17年3月18日から

  フィリピンのバタ-ン半島にたてこもったアメリカ・フィリピン軍に対する細菌兵器攻撃が記されています。

ペスト菌液を主とする細菌1000キログラムを300発の爆弾10トンにして、

10回にわけて投下するという計画でした。

業務日誌には「731部隊や1644部隊の生産能力は低いので

東京の軍医学校で1ケ月300キロの菌液を生産する必要がある」

「輸送機は2機、後方のマニラに50-100名を配置する

とも記されている。

実際には日本軍がバタ-ン半島を占領したため実行されなかった。

 

「サイパン攻撃」

  1944年米軍のサイパン攻撃から日本を守るため、

石井四郎は米軍にペストその他の病原菌による攻撃する準備として、

京大出身の軍医を指揮官に約20人の特殊部隊を派遣しました。

しかし船が途中で撃沈され失敗しました。

*医事課長大塚文郎大佐備忘録第8巻 (原文カナ、意訳)

局長 1平方米Px10匹とすれば1平方キロ1,040瓩を要す8138平方

 半分消耗するものとしてPx約2トンを要す、充填攻撃とすると1/7-1/10

石井 新ウジ弾、装内ウジ弾2,000発を出し得、1キロ入れて2トン、雨下には今後半年を要す、

 今1機あるも速度遅い、ウジ弾は8個積み得、250機必要、ただし2キロ弾とすれば半数機で可

内藤 現生産能力では今後1ケ月にして200キロ、装備の見込み立たぬ、約3ケ月を要す、

 これが為には餅(注:ネズミ)、人を送らねばならぬ、サイパン、大宮島を同時にやれば4ケ月

局長 効果は現在としては如何 
石井 サイパンは時期的には何時でも変わりなし・・・・始めは腺ペストなり、死す前肺ペスト  
局長 感染の後肺ペストまでの時期如何 
石井 潜伏期1匹で10日間、たくさん加われば4日

 

沖縄攻撃

  1945年の米軍沖縄上陸に備えて石井四郎はペスト菌による沖縄攻撃を計画しました。

この事は戦後秘密にされていましたが、

1994年1月、沖縄で「731部隊展」が開かれた時発覚し現地沖縄に衝撃を与えました。

* 1994年1月25日、28日  沖縄タイムズ 北京第1855部隊 伊藤影明の証言 から

1943年末、北京部隊に配属された。

仕事はペスト用のノミの飼育だった

分遣隊長が訓示で「われわれがやっていることは、本来は使ってはいけないが、

もし使うという最悪の場合は、沖縄に米軍が上陸する時だ」と話した

その頃から人員がふえ、施設も充実し、ペストの生体実験も始った

*東清士の証言 証言日不明 第1644部隊衛生兵

・・・古参兵から「アメリカ軍が沖縄上陸を開始した場合には、細菌戦を実施するらしい」と聞いた。

実際に第1644部隊1科では、沖縄での細菌戦を想定して人体実験が行われ、私はその場所に居合わせた。

中国人捕虜は2名。1人は色白痩身で若く、教養ある人物に見えた。

もう1人はがっしりとした30代ぐらいの人物。捕虜に土嚢を担がせ、2階から3階まで何往復もさせた。

米兵の疲労状況を作り出すためである。

少しでもよろけたり休んだりすると初年兵が棍棒で殴る蹴るの暴行を加えた。

捕虜の悲鳴がつらくて、私は下痢を装ってはトイレに駆け込んで耳を覆った。

その後、横に寝かせて身動きができないように縛り、

1人の衛生兵が捕虜の脇腹に持っていた透明瓶を逆さにしてしっかりと押し付け、

蓋にしていた薄いガラス板をそっとはずした。

瓶の中にはペスト蚤が数匹入っていた。

そうしてペストに感染させた捕虜は、数日後生体解剖された。

ペスト毒力強化実験は、鼠、蚤そして捕虜へとそれぞれ盛んに行われた。

 

「米国本土への攻撃・PX作戦」

  1944年になると、アメリカ軍の侵攻作戦をどう防ぐかが課題となり、

連合国に対する細菌戦が検討されました。

まず陸軍省の記録を見てみます。

*陸軍省局長会報(医事課長大塚文郎大佐備忘録第5巻)  1944年5月26日

(原文カナ、意訳、字の不明は○印)

石井少将より(注:石井四郎)

5月1日研究報告 ホ号は如何(注:ホ号は細菌戦)
1キロPx(注:ペストノミ)を作るのに12500のネズミが必要だった、
初期これの1割しか出ぬ、生産見込みが立たぬ故1割でやれと命令した、天○○
平均2000匹で培養された、満洲、最低2-3000

参本(注:服部卓四郎参謀本部作戦課長)

シドニ-、メルボルン、ハワイ、ミッドウエ-、Pxを1ケ月生かす様にせよ(潜水艦にて)

石井 Px15℃、湿度100%に保つことが必要なり

参本 八紘為宇は言わぬ、防禦一点張りか、対抗手段の為め利用は言わぬ、別名ははっきりした、機密保持

服部、高山、細田

上奏するや否や 親裁 臣下だけでやる 
ガス 陛下は不可で許されぬ、局長は上奏せぬが可と言われた、

参本は上奏せぬことに決定した(注:天皇は毒ガスにも反対なので細菌戦も報告しないで行う)
局長の言であるが、総理大臣にも言わぬ方が可との事を言たり、
それは困る、言ってしまった、隠す訳にはいかぬと参本と言った

石井 編成経過に就いては総理大臣にも言わぬ、ホ号には触れぬ

謀略兵器とその運用   
之は考える、しかしシドニ-、メルボルンいかにして行くか、人事運用は参本に考えさせよ
責任問題
ホ号関係、リストを作ってやる、重要順にやる、リストを作り責任区分を明らかにする

局長

攻撃兵器なら衛生部の責任は持てぬ,防謀略兵器としての使用なら衛生部で責任を持てる

 

陸軍省ではこのような会議が持たれましたが、じっさいにはどのように実施されたのでしょうか?
日本海軍が保有する大型潜水艦(4000トンクラス)に水上飛行機を2機搭載できる水中空母がありました

その水中空母で直接アメリカに細菌攻撃をする計画が立てられました。

PX作戦と呼ばれた作戦は指揮官が服部卓四郎大佐で、石井四郎が特別顧問に就任しました。

攻撃内容は潜水艦をアメリカの海岸に接近させ、飛行機でペスト、コレラその他の病原菌を散布し、

乗務員は病原菌を抱えて上陸する計画でした。

計画は1945年3月26日に最終決定されるはずでしたが、参謀総長梅津美治郎の反対で中止となりました。

反対の理由は「細菌を戦争に使えば、それは日米戦という次元のものから、

人類対細菌といった果てしない戦いになる。

人道的にも世界の冷笑を受けるだけだ」と言うものでした。 (1977年8月14日 サンケイ新聞)

* この時の作戦に関わっていた榎尾義男元大佐の証言         (同上サンケイ新聞)

「….これまでPX作戦についてはまったく口にしなかった。

それは細菌戦が戦時公法・国際法上に触れ、実際には発動しなかったものの、

計画を練ったこと自体国際的に誤解を与え、国策上まずいと判断したからだ。

防衛庁戦史室のスタッフにも洩さなかった。

今でもこの作戦について話していいのかどうか躊躇している。

ただ、あの時代、やぶれかぶれで勝つためには手段を選ばない風潮の中、

人類のために許されないとした梅津参謀総長らの英断を理解してほしい」

 

「夜桜特攻隊」  敗戦が確実になった1945年の3月になって編成された細菌戦決死隊です。

731部隊で行われた「関東軍集合特別教育」に参加した衛生兵長約60名を隊長に、

満洲で召集された初年兵50名を、20人前後の班に分けて編成されることになった。

恐らく上記のアメリカ本土攻撃を目的に作られた特攻部隊と思われています。

*証言  小幡石男 731部隊林口支部

私は17名の特攻隊の隊長を命じられ、8月17日、第一回出撃予定と知らされました。

全員遺書を書き、軍服の写真を撮って、髪の毛、爪とともに親元に送りました。

具体的に出撃予定は教えられなかったが、

ペストノミやペスト菌を持って敵地に乗り込んでばら撒き、玉砕すると覚悟していました。・・・・

8月までの2ケ月に、何回もペストの予防注射をしました。

8月9日のソ連侵攻によってわが部隊は爆破され、

大半が脱出したので、特攻隊の出撃もないまま終戦となりました。

多分重複しているかもしれませんが、1995年1月4日の神戸新聞では

「米への細菌特攻隊計画自ら感染ノミ散布」と題する記事を一面トップで掲載しています。

西宮市在住の元下士官と長崎市在住のもと初年兵の証言ですが、内容を要約します。

*証言

731部隊本部が終戦直前、隊員にペスト菌を持たせて

アメリカ本土に侵入させる「細菌特攻隊」をひそかに計画していた。

出発は、9月22日、目的地はアメリカ西海岸のサンディエゴ軍港、

4000トン級の潜水艦に特攻隊員(約20名)を乗せ、

手前500キロのサンゴ礁に接近し、

片道燃料を積んだ艦載機で軍港の後背地に強硬着陸。

隊員らは自らも感染源となってペスト菌を持つノミを周辺にばら撒く計画だった。

部隊内では、特攻計画は旧ソ連軍や沖縄戦に対しても行われるとの情報もあった。


さらに翌日の神戸新聞ではペスト菌を製造していた元下士官の証言も掲載されました。

*証言

この特攻計画を知ったのは7月中旬のこと。

20年6月ごろからペスト菌の増産体制がとられ班員らは24時間体制で細菌培養にあたった。

これが特攻計画にむけての増産だということは7月ごろ直属の上司だった佐官級の技師から聞いていた。

 

「終戦間際の細菌戦」 1998年 BBCテレビの取材から

*証言  上川紀一(仮名)

1933年から衛生兵として満洲の林口陸軍病院に勤務。

その後731部隊で専門教育を受けた。

1945年の3月から 約2週間「秘密部隊」派遣命令を受けて細菌攻撃をした。
部隊は9人で、全員汚れた中国服を着て、認識表以外に日本軍と分かる物は身につけていなかった。

軍用トラックで林口駅を出発し、2週間で4ケ所回ったが、

どこへ行ったのか地名や方角など一切分からなかった。

9人は私のような衛生兵、満州語通訳、朝鮮語通訳、16ミリの撮影係り、運転手など仕事の分担があった。

移動は1日か1日半程度だったが、数件の家が集まっているような、

小さい孤立した村落をねらって、3,4人ずつに分かれ、

通行人のようなふりをして、共用している井戸にアンプル入りの細菌を投げ込んだ。

だいたい5日程たって、発病する頃に戻っていった。

村人は腹痛、下痢などの症状で苦しんでいた。

「治してやる」「薬をやる」などといって騙し、エーテルで麻酔をかけて、そのまま解剖した。

解剖してみて始めてパラチフス菌を使ったということが分かった。

ある程度腹を開いたところで、撮影班が撮影を始めた。

直径20センチくらいのホルマリン・アンプルを渡されたときは、

明らかに病変の見える臓器の一部を切り取った。

全員が発病していても解剖は1体か2体だけで、後は毒殺して井戸に捨てた。

菌に侵されていない子どももいたが、どうしようもないので、死体と一緒に処理した。

最後は部落に火をつけて、秘密がばれないようにした。

すべて命令どおりにやるほかなかった。

だいたい1日半くらいで、トラックが迎えに来るので、その間に資料のまとめをやった。

トラックで指定された次の憲兵隊司令部へ着くと、次の資材が待っていた。

4ケ所で、子どもも入れて、30人くらいを手にかけたと思う。

 

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