防疫給水部(細菌戦部隊)

防疫給水部隊以外での人体実験
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最終更新日:2014/08/02 11:44

このシリ-ズでは防疫給水部隊の事を書いているので、

少し外れるかも知れませんが、関連があることなので書きます。

人体実験は731部隊を始めとした防疫給水部隊だけで行なわれたわけではありません。

前線や駐屯地にあった病院でもかなり行なわれています。

中国側の調査によると生体解剖、殺害直後の解剖、人体実験について、

114件の事例があり、被害者は214人になっています。
調査が進めばもっと増えると思われますし、中国だけではなく、南方の戦線でもかなりあるはずです。

 

* 中国側の調査に登場する陸軍病院の名前は

ハルビン陸軍病院 満州医科大学  掖河陸軍病院  密山陸軍病院  虎林陸軍病院

富錦陸軍病  新京第二陸軍病院  承徳陸軍病院  天津陸軍病院  保定陸軍病院

済南陸軍病院  原平鎮陸軍病院  大同陸軍病院  東寧第一陸軍病院  その他

 

* 証言  湯浅 謙  陸軍軍医  1916年生れ

私は東京の下町生れで慈恵医大を1941年に卒業しました。

専門は内科です。

翌年の2月には、山西省の路安に派遣され、そこの陸軍軍医として、

伝染病科と病理実験を担当することになったのです。

その陸軍病院は現地の中学校を接収し、

病院長以下80名位の軍医、看護婦、衛生兵で、100名近くの日本軍傷病兵を収容して治療していました。

忘れもしない1942年3月中旬のこと、

病院長から「今日は手術演習があるから来い」と言われました・・・・

解剖の前、隣にいた平野中尉に

「一体この人たちは、死ななけりゃならないことをしているのでしょうか」と聞いてしまったのです。

すると彼は「パロ(八路軍)は、皆殺しさ」と笑いながら答えたのです・・・・

手術が始るとすぐに盲腸を取りました。

正常な盲腸は腫れていないから小さくて取りにくく、1回、2回切っても駄目で,

3回切ってやっとミミズのようなひゅるひゅるとした盲腸を見付けたというのを覚えています。

それから腕を切る。

切断だとスパッと切るんですが、血がぴゅ-っと噴き出す。

それを止めておいて、後でノコギリで骨を切断するのです。

そうやって足も切る。

また弾丸の摘出や腸をつなぐ練習をする。

10人ぐらいの軍医でやりました。

そして胸の方は胸部貫通銃創が課題です。

出血で窒息しますから切開器をぐっと喉頭部に刺すと、ぱ-っと空気とともに血が吹き出す。

真っ赤な血です。

気管を鳥の毛でもって払い、カニュ-レを入れると、喉がひゅろひゅろいいます。

気管切開の練習ですね。

そうしているうちに手術は終って部隊の軍医たちや看護婦は帰るわけです。

お百姓さん風の男はもう息が絶えていました。

それを衛生兵が、あっちこっち穴を掘って放り込みました。

もう1人はまだハアハアと最後の息をしていました。

それで病院長が心臓内注射の練習だと言って、心臓へ注射器で空気を入れる。

空気を入れてもまだハアハアと呼吸が止らないんです。

見ているわけにはいかないので、

兵隊に教えられて全身麻酔に使ったクロ-ルエチルを2,3CC注射すると死んでしまいました。

2回目の手術演習では、憲兵隊からもらい下げてきた2人の中国人を生体解剖しました。

演習の課題としては、腸管の切開と縫合、喉頭部の気管切開、睾丸の摘出などをやりました。

生きている中国人を殺したのです・・・・

こうして私は3年6ケ月の間、7回にわたって14人の中国人を生体解剖し、殺害しました。

注:湯浅さんとは会合でお会いしたことがあります。

  泣きながら告白をしていた姿が印象に残っています。

* 村山三千子さん   陸軍看護婦  東京新聞2006年8月13日

1943年10月、ソ連国境に近い旧満州の東寧第一陸軍病院に医師と衛生兵、看護婦が集められた。

手足を鎖で縛られた20代の中国青年2人を、憲兵が手術室の前まで連行してきた。

いがぐり頭、黒い中国服。共産党の青年だと直感した。

2人は手術台を見ても毅然としていた。

医師は青年に麻酔をかがせて意識を失わせ、生きたまま頭から足の先まで解剖していった。

村山さんは助手を務めた。・・・・

「言葉に出来ないくらいの後悔があります。

でもその時は、憎しみと敵対心だけでした」

 

* 張丕卿  中国人で満州医科大学の解剖室で働いていた

日本人は解剖後いつもそのままの状態で帰ってしまうため、

一切のあとかたづけは翌日出勤後、私や劉学棋、西村某らが行なった。

そのとき私の眼に映ったのは、被害者は頭部がのこぎりで切り開かれ大脳を摘出され、

背部中央にものこぎりで深い溝がつき脊髄は取り出され,

胸腔も腹部も開いて心臓、肝臓、脾臓、肺、腎臓、腸も

すべて研究材料として一部を切り取られており、両眼さえもえぐり出されて、

全身のうち1ケ所として完全な部分がなくなったありさまだった。

死体の上、解剖台上、床のいたるところその跡も生々しく鮮血がしたたり、

皮膚の色も硬さも生きている人間と変わるところがなかった・・・・

 

* 渡辺はつ  看護婦 1993年証言  海南島での生体解剖について

・・・・海南島の定安の同仁会の診療所に勤務しました・・・・

海軍からの伝令が届きました。

私たちが案内されたのは、大学の講義教室のように席が段々になっていて、

中央に演壇がある広い部屋でした。

演壇の上に30~40歳ぐらいの2人の“匪賊”の男性が、

戸板のようなものの上に大の字に寝かされていたのです。

段々になっている席には100人程の人が座っていました・・・・

生体解剖でした。

2人の匪賊のうちの1人が生きたまま解剖されたのです。

「アイゴ-、アイゴ-」という叫び声が聞えてきました。

麻酔もせずに軍医は、戸板に縛りつけた“匪賊”をメスで切っていきました。

その体から、胃や他の内臓を取り出していったのです。

縛られている体がピクピクしていたのを覚えています。

「アイゴ-、アイゴ-」という叫び声は強烈でした。

その朝鮮人は30分ぐらい生きていたのではないかと思います。

何が目的だったかわかりませんが、こうしたことは前任地でもあったと聞いています。

 

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