防疫給水部(細菌戦部隊)

実験動物の供給基地埼玉県春日部周辺
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最終更新日:2014/10/11 17:01

戦争中細菌戦用の実験小動物を大量に飼育して

軍の研究所、100部隊、731部隊などの細菌戦部隊に供給していたのは埼玉県です。

春日部周辺の農家が副業として動物の飼育をしていました。

その数4000軒とも言われます。

陸軍省医務局医事課の金原節三大佐の業務日誌には

43年の段階ですでに埼玉で年間47万匹、

さらに飼料を補給すれば20万増産可能・・・・と書かれています。
庄和高校の生徒たちが周辺の農家で聞き取り調査をした結果では、

1軒で5箱(20~40匹)ぐらい買っていたようですし、

庄和町内だけで仲買をしていた人が23人(名前が確認できた人だけで)いたそうです。

ネズミの価格は1940年以前は1銭ぐらいだったものが、

45年になるとラット1円、マウス10銭にまでなたそうです。

飼育された動物は立川の飛行場から各地の細菌部隊に空輸されました。

支払は当初防疫給水部が直接担当していましたが、

扱い量が多くなると陸軍省経理局が「委任支払」というかたちで業者に代金を支払うようになりました。
敗戦後はアメリカ軍の第406部隊に引き続き動物の供給をしています。

朝鮮戦争の細菌使用に役立ったと思われます。

農家から小動物を集めて軍に納入する業者もいました。

その内の一人春日部の試験動物集荷業者小澤市三郎は、

戦後は連合軍総司令部御用達の看板をかかげ、

米軍406部隊に動物の供給を続けていました

朝鮮戦争が始まると需要が増大し、

小沢は集荷所を埼玉県販売農協連合会医科学試験動物取扱所と組織替えし、その所長となりました。

同時に日本実験動物総合研究所(731部隊の小林孝吉が勤務した)を併設して新しい動物の飼育も始めました。

戦争中はラッテマウスが中心でしたが、アメリカ軍の需要に答えるため、

モルモット、ハムスタ-、兎、猫、鶏、亀、がま蛙、カマキリ、山羊まで飼育したといわれています。

当時仲買人が不当な利益を上げているとの告発が農家からGHQにあり、

GHQ埼玉地方経済調査庁調査をしました。

その報告書で当時の状況が分かります。

*「埼玉県に於ける医科学試験用マウス種20日鼠の飼育状況実態調査」

1.飼育状況

埼玉県下における農家の副業として南埼玉、北埼玉、北葛飾の3郡及び

足立、入間両郡の1部計2市16町93ケ村に亘って飼育されている。
飼育戸数  6038戸  
飼育頭数 81400匹

2.集荷体系

右の表(略)の体系を以って連合軍406部隊へは毎週月曜木曜の2回に亘って納入している。

其の他予研伝研帝大等に納入している。

納入数量は     昭和23年において   429219匹  
昭和24年において   510897匹

1943年4月に参謀本部で開かれた「ホ号打合」の様子を業務日誌から見てみます。

*上記金原大佐の業務日誌からネズミの供給について・・・・

(記述からネズミの供給が茨城や栃木でも行われていたことが分かります)

医校(軍医学校の防疫研究室)

1.粕壁(注:現春日部)付近が主力となる。

  1軒30。

  4千軒で1組合(親1匹1ケ月2匹)本年度予定 埼玉47.5、 茨城20.5 、栃木6.45、
  計74.45万  
2.埼玉に飼料を補給せば20万増産可能。

  茨城県、栃木県は指導強化により10万程度増産見込。

  最大産出見込100万。 
3.輸送の円滑にゆくのは関東軍のみ。南方軍には種を補給す。北満、南満特に予定せず。

関東軍

1.2万だけ中支、残の全部関東軍に、北支、南支、南方は餅種のみ。

  これが輸送の援助を行うべし。
2.体重が増加すればする程生存日数長く抵抗大となる。80g以上。

新聞記事からも見てみます

*埼玉新聞の記事  1943年12月10日

粕壁(現、春日部)で小動物増産協議会・・・・

田中一郎(仮名・小沢の事か?)組合長の挨拶に続いて協議に移り、

小動物増産が決戦下重要使命を帯びる為、これが増産に関する協議をなし・・・・

証言

*小沢と親しかった高木一郎の証言  1991年11月

日本実験動物研究所の職員が昼休みよくビリヤ-ドをやっていましてね、

私も好きなもんで入れてもらってたんですけど、ある日アメリカ兵がビリヤ-ドをやってたんです。

それがちょうど朝鮮戦争のちょっと前でした。

それから日本実験動物は、アメリカ軍が細菌爆弾を開発するのに

必要な実験用のネズミや兎を大量に供給してるんだってことが町中の噂になったんです。

そのころからネズミを飼育している農家は急に需要が増えて、

農閑期だけじゃなく、年中農業の忙しい時期も飼育するようになりましたね。

小沢さんとこの集荷人も20人くらいに増えて、毎日回ってました。

1軒の農家は少なくとも週1回1度に50-60匹出していました。

朝鮮戦争が始まってからは、4トントラックが来ることもありました。

*田口新吉 証言   1991年11月

元陸軍衛生兵、戦後共産党に入党、河辺村で飼育者の組合を作った

アメリカ兵がトラックで実験動物を取りに来ていました。

そのトラックには大きく「アメリカ陸軍医学研究所」と書いてあり、

その下に406と書いてあるので、それで分かったわけです。

ある程度親しくなってから、農協の職員に「今日のはどこへ持っていくんだ」とか、

さりげなく聞いたりしたが、「朝霞」とか「座間」とか「根岸」とか色々でしたね。

忙しいときはね、月にラッテマウスがね20万匹、モルモットは1万匹くらいは扱っていたと思う。

朝鮮戦争の頃はよく督促されたね。

集荷人の数も増やしたから、集荷地域を拡大したんじゃないかと思うね。

昆虫なんかも出荷していた。

高さ2メ-トル、幅2メ-トルくらいの風呂桶のようなものを出荷しようとしていたから、

これは何に使うのかと聞いたら

「これは水槽なんだと、このなかにボウフラを飼って蚊を繁殖させるのに使うんだ」と言っていた。

* 天野良治 1918年生れ  陸軍防疫研究室の経理部勤務

・・・・小動物(ネズミ、ノミ、ニワトリなど)は埼玉県の粕壁(現・春日部)、

川辺、南桜井(現・庄和町)の生産組合から週1回ほど納入され、

月に5万匹(1匹5~6銭)ほど調達していと記憶しております。

納入されたものを防疫研究室分、731部隊分、1644部隊分などに区分し、

定期に運行している航空機により立川から運んでいきました。

私たち主計は陸軍の階級のほかに、“前渡金管理官”という肩書もありました。

ここで私が支払をしていた品物としては、細菌培養缶、寒天、肉、実験用のネズミ、サルなどがあげられます。

 

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