軍による性暴力

地域別・グアム島、米海軍によるBC級裁判
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最終更新日:2016/04/24 9:24

グァム島では戦争終了前から米海軍による裁判が始まっています。

日本側の資料と米海軍の資料(1997年公開)があり、若干異なるので米軍資料をもとにします。

季刊戦争責任研究・第40号・41号の林博史氏の論文を参考にします。

米太平洋艦隊の資料1949年7月時点での数字です。

● 起訴された犯罪種別と被告人数

犯罪種別

人数

殺人

104

虐待行為及び拷問

4

飢餓及び怠慢

1

他の暴行及び虐待

3

休戦の白旗、軍服、紋章の誤用

0

指揮下隊員の監督不行届き

18

捕虜の保護失敗

19

殺人共同謀議

10

捕虜の名誉ある埋葬妨害

11

捕虜を危険な仕事に使用

1

軍事作戦に直接関係する仕事に捕虜を使用

1

裁判なし処刑によるスパイの不法な処罰

3

捕虜の墓の侮辱

1

注:慰安婦に関することは「虐待行為及び拷問」「他の暴行及び虐待」に含まれています。

    裁判は日本人だけではなく日本に協力した現地人も含まれます。

● 判決ならびに最終的に確認された人数

 

死刑

終身刑

禁固11~25年

禁固6~11年

禁固5年以下

有罪合計

判決

28

12

35

24

9

108

最終確認

11

28

32

21

4

96

● 篠原のケース

1887年生まれの篠原武熊は1905年にグァム島に渡り色々なビジネスを手がけ現地では有力な商人でした。

終戦直前に米軍の軍事委員会から多くの罪で告訴されました。

罪状は反逆罪、窃盗、暴行殴打、売春目的での女性の連行、国旗侮辱などでした。

その中で慰安婦に関することを記述します。

起訴状番号 4-1

容疑 売春目的での女性の連行

内容 1942年2月、不正確な説明で同意を得て、売春目的で女性Aさんを不法に連行

起訴状番号 4-2

容疑 売春目的での女性の連行

内容 1942年2月、彼女の意思に反して、かつ同意なしに、売春目的で女性NMさんを不法に連行

裁判は1945年7月28日(敗戦前)に開始し、8月27日に死刑判決が出されました。

篠原はその後、1948年9月24日に東京スガモプリズンに移され、1952年1月10日仮出所しました。

その後の動向は不明です。

 

 

 

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