軍による性暴力

地域別・グアム島
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最終更新日:2014/05/05 10:49

グアム島は東南アジアから移住してきたといわれるチャモロ人が大部分で、

その他はスペイン、メキシコ、フィリピン、中国系です。

当時の総人口は2,300人位で、米国寄りで比較的文化程度は高かったようです。

1941年12月10日に日本軍が上陸し占領しました。

 日本軍がグアム島で負けたのが、1944年7月21日ですから、2年7ケ月占領していた事になります。

占領直後の1942年2月、日本の民政府は「善良な子女に手を出さぬよう」慰安所を5ケ所設置しています。

  場所はアガニャに3軒、後はアサン、ササです。

  慰安婦たちのケ-スは幾つかに分けられます。

    1 内地または隣のサイパンから来た日本人のいわゆる「芸者」と呼ばれた女性

    2 軍に連行されてきた朝鮮半島からの従軍慰安婦

    3 戦争前にアメリカ人相手にホステスやガ-ルフレンドだったチャモロ人の女性

    4 占領後日本軍によって慰安婦にさせられたチャモロ人の女性

その中で日本人の芸者は将校や軍属用慰安婦、朝鮮人やチャモロ人は一般兵士用と、働く慰安所も分けられていました。

慰安所の数も少なく、現地人の慰安婦も比較的少なかったため、

また狭い島のせいで名乗り出る女性がいなかったため調査は進んでいませんでした。

ただし島の内部の開墾地ではかなり組織的な強姦が行なわれていた記録はあります。

1944年7月、反撃を開始したアメリカ軍は16,000発の無差別攻撃を開始しました。

あわてた日本軍は親米的で日本になつかないチャモロ人に対して虐殺や強姦をしました。

フェナの大虐殺と言われる事件です。

   * アルフォンシナ・サブラン・シュミット(当時13歳の少女)の証言を中心に

米軍の上陸が近づいた頃、

フェナ地区では「タケナベ」という隊長が16歳から19歳の少女50人を洞窟に閉じ込め、奉仕させた。

7月21日(米軍が上陸)夜、酒に酔った日本兵は彼女たちを御飯と肉の祝宴に招き、

隊長は少女たちに銃を突きつけ、「日本兵は戦争のために生命を与える覚悟で戦っている。

あなたたちも日本の兵隊に自分を与えるべきである。」と命令した。

次々と衣服を引き裂き、抵抗する者は殴打し、ビンタを喰らわせながら、

夜を徹して次々とレイプが行なわれた。

兵士たちは満足すると、少女を射殺したり、手榴弾を洞窟に投げ込んで逃走した。

他の洞窟でも18人の少女が同様にされた。同じころイゴ、メリッツアガットでも虐殺やレイプが行なわれた。

 

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