軍による性暴力

GHQ マッカ-サ-の機密文書
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最終更新日:2014/05/05 16:18

2013年8月15日、韓国の聨合ニュ-スが

「慰安婦強制動員 マッカッサ-の機密文書で明るみに、」と報道しました。

この機密文書は敗戦後の1945年11月15日付で作成された文書で、

「連合軍通訳部(ATIS)調査報告第120号 日本軍における各種アメニティ」と題されています。

長い間機密でしたが1993年3月に機密解除され、

2006年ブッシュ大統領下で議会が日本軍の慰安婦問題を検討する資料となっていました。

そして、今回米下院外交委員会東アジア担当専門委員をつとめたデニス・ハルピン氏が

聨合ニュ-スに公開したものです。

Stiffmuscleさんが翻訳したものを引用します。

内容はこの「軍による性暴力」と重複するので最初だけ引用します。

B .ビルマ

 (1) 捕虜(1944年8月10日ワイモウ附近で、その妻および従軍売春婦20とともに捕獲された

  一般市民の売春宿経営者)の供述

捕虜、その妻、及び義理の姉妹は、朝鮮の京城にて食堂経営者としてそれなりに稼いでいたが、

客足は減ってきていた。

彼らはより多く稼ぐ機会を探していたので、

「慰安婦」を京城からビルマへ連れて行く許可を京城の陸軍司令部に申請した。

捕虜によると、その示唆は、もともと陸軍司令部から出たもので、

京城にいる捕虜と同じような多数の日本人「実業家」たちに伝えられていた

注: 軍の方針だったことです

捕虜は朝鮮人女性22名を購入し、

女性の性格、容姿、年齢に応じて300~1000円を彼女の家族に支払った。

これら22名の女性の年齢は19~31歳であった。

女性たちは捕虜の占有財産なっていたので、陸軍は彼女たちから利益を得なかった。

朝鮮軍司令部は、日本陸軍の全ての軍司令部あての書簡を捕虜に与え、

移送、食料、医療など、捕虜が必要とした場合の援助は全て提供するよう要請した。

注: 各軍が業者に大変な便宜を図ったということです

食堂を続けるために義理の姉妹を残して、

捕虜とその妻は、22名の女性を連れて、女性703人(全員が朝鮮人)および

日本人男女90名程度(全員が捕虜と同じようないかがわしい者たち)からなる一行で、

1942年7月11日に釜山を出航した。

7隻からなる船団の中で、一行は4000トンの旅客船に搭乗して航行した。

陸軍司令部からは無料乗船券が提供されたが、航海中の食事は捕虜が全額支払った。

台湾に寄港したした際、シンガポ-ルへ向う女性22名が新たに乗船した。

その後、シンガポ-ルに寄港した際に、一行は別の船に乗り換え、1942年8月20日ラング-ンに到着した。

ラング-ンで、一行は20~30名ずつのグル-プに分けられ、

各グル-プは異なった連隊、部隊、もしくは中隊に配属され、ビルマ各地へ分散して行ったため、

各グル-プは独自の売春宿を持つようになった。

捕虜のグル-プは歩兵第114連隊に配属され、

客に追従して、ダウング-、メイクテ-ラ-、およびメイミョ-で数ヶ月過ごした後、

(1943年1月ごろ)ミッチナに到着した。

すでにミッチナには売春宿2軒が設置されていたので、

売春宿は3軒、女性は総勢63名ということになった。

内訳は、捕虜の売春宿であったキョウエイが朝鮮人女性22名、キンスイが朝鮮人女性20名、

そしてモモヤが中国人女性21名であった。

この中国人女性たちは、ここの朝鮮人女性と同一条件で広東で購入された。

後方地域には慰安所に日本人女性がいたが

(例:メイミョ-では8件の慰安所のうち2軒が日本人女性で成り立っていた)、

前線地域には日本人女性はいなかった。

           以下省略

 

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