日本の細菌戦

1940年、日本軍資料
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最終更新日:2014/12/28 9:45

前回は1940年の細菌戦の実態を書きました。

今回はそれを裏付ける日本の正式資料です。

参謀本部作戦課 ・井本熊夫中佐の業務日誌から1940年分を見ます。

メモに近い書き方で、しかも暗号のように書かれていますので、「注」として解説を入れました。

不明な字は■としました。

井本日誌 (1940年分)

5月31日

「ホ号」

注:「ホ号」と書かれた部分の左側に、

  参謀本部・陸軍省・支那派遣軍・関東軍の上層部の名前が書かれています。

  「ホ号」とは細菌戦の意味ですから、陸軍全部が関係していた証拠でしょう。

参謀本部

沢田茂参謀次長・富永恭次参謀本部第一部長・岡田重一作戦課長

高月保作戦課作戦班長・荒尾興功作戦課員・谷川一男航空班長

松前末曾雄作戦課員・那須義雄編成動員課長・美山要蔵編成動員課編成班長

陸軍省

阿南惟幾陸軍次官・武藤章軍務局長・岩畔豪雄軍務局軍事課長

西浦進軍事課高級課員・松下勇三軍事課予算班長・他

支那派遣軍

西尾寿造軍司令官・板垣征四郎総参謀長・本多政材総参謀副長

井本熊男作戦主任参謀

関東軍

梅津美治郎軍司令官・飯村穣参謀長・秦彦三郎参謀副長・有末次高級参謀

中山源夫作戦主任参謀・他

6月5日

増田 荒尾と「保」を協議をした。   (注: 「保」「ホ」「ほ」「㋭」「O」は細菌攻撃の暗号です。)

実施時期は7月中

攻撃目標は浙かん沿線岸都市

実施部隊の指揮 支那派遣軍総司令部直轄

責任者は 石井大佐 (注:731部隊石井四郎の事)

実施方法 高度4000以上からの「雨下,ノミ」  (注:ペストノミを飛行機から雨の様に撒く事)

作戦に使用する飛行場は句容

6月28日

中央と「ホ」その他の連絡の為急遽上京することと決め(注:南京から)

7月2日

軍医学校に於て石井大佐以下と決定事項に関し確認的意味に於て更に一度打ち合わせを行

7月10日

荒尾興功作戦本部作戦課員と「保の件」で連絡

7月21日

午前石井部隊に於て「ホ」の打ち合わせのあと、

東京より命令下達するに付即時作戦の航空参謀上京すべき旨来電

杭州は思切りて偵察することに決心

7月22日

午前杭州に飛び斯要件偵察

旧(国民党の)中央航空学校を使用することに決定(注:現 杭州飛行場)

加茂部隊人員は残置(注:加茂部隊とは石井部隊のこと)

注:この作戦は延期になり改めて7月25日に関東軍からの「関作命丙第659号」 によって

   奈良部隊(実施部隊)に人員武器器材の輸送命令が出ました。

(細菌戦用兵器ノ準備及び使用ノ廉デ起訴サレタ元日本人ノ事件ニ関スル公判書類 より)

   この器材運搬に携わった陸軍軍属石橋直方の日誌

投下爆弾700発、自動車20輌、などを積んだ列車は

8月4日に南京の対岸浦口に着き、器材は船でいったん南京に運び込まれたのち、

8月6日に目的地の杭州市筧橋の旧蒋介石軍中央航空学校に運ばれた。

8月16日
杭州に於て連絡
1 命令の伝達
6 経費の出場所(ハルピンか南京かは総司令部に於て研究す)
12 目標の空中写真
13 消毒薬の請求
15 兵要地誌(攻撃目標到迄)
17 ○弾 15H(15発か)
8月28日

富永第一部長・荒尾作戦課作戦班員・美山編成動員課編成班長・松前作戦課員と

「ホ」についての連

8月30日
中支那防疫給水部の増田知貞中佐と「奈良部隊経費」「奈良部隊編成表提出の件」について連絡
9月10日
奈良部隊太田中佐、増田大尉と連絡
1 目標を10/9捜索す、
  寧波と衢県は目標として適当なるが如し
  金華は?(注:候補地の事と思われる)
2 第一回弾薬輸送の処遅る、数日中に到着の予定
  第一回「C」(コレラ)を「T](チフス)に改む
9月18日
二 奈良部隊との連絡
1 開始遅延の理由
2 弾薬は航空中のほか陸上輸送も合わせおこなうこととなれり
3 福島雇員戦死情況
4 製産量は1日10Kg(C)
  (T)はそれ以上
                (注:(C)はコレラ菌  (T)はチフス菌の事)
5 目標、寧波 は可なり(付近部落1K平方に 1.5)
     金華,玉山は1キロ×2K(付近部落1Kに 0.7から0.8)
山本参謀より
1 希釈せしめたる弾薬を広く行うものと、濃度大なるものを回数少なく落下する場合とあり、
   後者の為に、目標を 温州に選定す(台州,温州,麗水)
2 雨下法決定の為に落下傘使用の件
   寧波の海上案
3 航空写真機1個借用
4 筧飛行場の使用に関する件
   他部隊の使用は遠慮すべきこと、その他連絡のこと
5 地図を渡す件
6 謀略関係事項
   之が用法に関する件
10月7日
細菌戦(実施)の報告
一 奈良部隊の状況聴取
山本参謀、福森少佐、太田中佐、金子大尉、増田大尉
1 輸送 今までに6回(内船2回)
   空輸は各その日に到着、船は6日を要す、将来は航空機を可とす
2 今までの攻撃回数6回(別表により説明)
(注:1940年9月18日から10月7日までに6回の細菌攻撃をしたという事です。)
   ノミは、1g、約 1700
3 効果の判定を期待す
   密偵
4 気象諸源は杭州に於て測定して之を現地に移すこととし、
   落下傘を使用せざる如くす(寧波に対してのみ)
5 温州は雨下の目標となるも台州等は不適当、
  但し温州を攻撃する場合は気象諸原決定は傘を使用せざれば困難なり
6 (山本参謀より)
  目標及攻撃法に融通性ある如くせられ度
  (決定)
  攻撃法を重複することを得
9 「ホ作戦将来(継続の見透)」
10月8日
実験は何時迄経ちても終了するものに非ず
12月になれば如何にするやを考慮し置くを要す
(12月には一応引上げて来年出直す)
Cは出ないと思う、Pは或いは成功するかもしれず
  (注:コレラは効果がないがペストは効果がある
南方施策のため熱帯気候の場所に恒久的のものを施設するを可とす
台湾に設けるを可とすべし
10月8日に井本熊男は転任で南京を離れ参謀本部第2課に移りました。
11月25日
医校北條中佐Oに関する報告
「大陸指690号に依り試験は本月末を以て終了する如く指示を出さる」
           (注:1940年の細菌戦は終了ですが、作戦はさらにその後も続きます。)
11月30日
1 11月20日頃止める方針(総司令官)
2 之に対し土井大佐より12月まで如何と返
3 右に対し■■へも680号
  右申来れるとき突撃的としては石井大佐より
  何と云われても止める如くせられ度と意見具申あり
  (派遣軍に於ても制える考えあり)
  此時石井大佐来寧、お示しの通り終り電撃的に引上ぐる考えなりと申込あり、
  11月末日終了する事に異存なしと石井大佐答ふ
  (□撃部隊■■北条中佐立会い)
  22日の作業に関する希望あり
  実施の成果明瞭なる如く杭州、上海の中間に同案持参せり
  之を反復したるに承服せり、次で紹興、諸曁等を出せり
  土井大佐書翰をも示し次て金華を攻撃する如く協定成立せり
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