日本の細菌戦

1942年、日本軍資料
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最終更新日:2015/01/31 12:20

1942年になると、米軍による空襲が始ったため,その発進基地を叩くために細菌戦も増えます。
作戦目的は「浙かん鉄道沿線の敵兵力の撃滅です。

*衢州,玉山,麗水等飛行場の壊滅。蛍石等の鉱物資源の獲得」
                 (第13軍第22師団砲兵第52連隊第2中隊のあゆみから)

作戦期間は4月30日から9月30日の5ケ月で4期にわけました
この作戦には南京の細菌部隊 栄1644部隊の多摩部隊が参加していました。

まず井本日誌、それから沢田茂中将日記を見てみます。

*井本日誌 (1942年分)

3月18日

「バタン」に対する㋭の件

東京1月 300kg-使用せば東京にて作る必要ありべし

「ハ」は南京、能力小なり

MC又はその他の輸送機2機を必要とす

これに必要なる人を十数名必要とす

「マニラ」に50-100名を置くこと(総、東京、関東軍より)

1000kg位を10回位必要?爆弾300発あるべし

バタ-ン半島にいる米・フィリピン軍に対する細菌攻撃です)

4月12日

昭和17年㋭号指導計画

1.攻撃目標

イ.昆明

.麗水・玉山・衢県・桂林・南寧(沿岸飛行基地)

ハ.サモア(撤退する場合)

ニ.ダッチハ-バ-

ホ.豪州要点

ヘ.カルカッタ

5月27日

㋭ 下打合

石井四郎少将・村上隆中佐・増田知貞中佐・小野寺義男中佐 ・田美保少佐

1.機密保持に注意する事

2.編成装備を具体的に計画すること

3.飛行機は「新散布器をつけた」99式双発機

4.本年使用可能な菌は

C(コレラ),T(チフス)  中出来

PA(パラチフス) 上出来

P(ペスト) 1/1000万ミリグラム迄向上せり

5.ペスト菌現在量は

平房2キロ

南京1キロ(ネズミ不足)

その他1キロ  合計4キログラム

6.友軍の感染防御と機密保持のため2個班をつけること

関連して石井少将からの要望

1.731部隊の細菌製造機関を増強すること

2.細菌戦実施のための中央機関を編成すること

3.国際連盟は放っておく事

4.軍医学校と731部隊の要員を中支那派遣軍に配属すること

5月30日

参謀本部に石井少将・村上中佐・増田中佐・小野寺中佐・増田少佐が招集

[参謀本部]第一部長[田中新一少将]より大陸指及注意伝達
                  (注:細菌戦実施の指令と注意が伝達された)

6月29日

増田中佐と連絡

ふ号(注:細菌戦用の風船爆弾のこと)

証拠隠滅の公算70%

部隊を作ること

50k以下なら精度相当に大

人事の件

7月6日

碇常重中佐来

支那㋭は準備出来た

天候之を許せば常時進出可能なり

7月15日   (注:支那派遣軍の中で細菌戦に対する意見対立がみられます)

後宮淳総参謀長-「兵害予防に対し特に懸念」

畑俊六総司令官-「(アメリカ軍が進出した)桂林.衡州に対し攻撃しては如何との意見」

沢田茂第13軍司令官-「稍々消極的…」

住民の侵入後を狙う如く無住地帯に施策す

(注:住民が逃亡した無人地帯に細菌を撒いて戻ってきた住民が 感染するようにする)

餅不足(注:ネズミが足りない)

実力攻撃は8月中旬以降と予定す

具体的には示されあらず

要するに㋭に対して信頼を持たず、厄介視ある現況なり、

将来相当に考慮せざるべからず

7月26日

石井少将閣下と連絡

(細菌戦の)Xデ-は8月20日の公算大

8月28日

長尾参謀からの報告「㋭ の実施の現況」

1   広信 イ.ペスト毒化ノミ

 ロ.ペストを野ネズミに注射して放す

広豊 イ.ペスト毒化ノミ

玉山 イ.ペスト毒化ノミ

 ロ.ペストを野ネズミに注射して放す

 ハ.米にペストの乾燥菌を附着せしめ,鼠-蚤-人間の感染を狙う

江山 a.コレラ菌を井戸に直接入れる

 b.食物に附着せしむ

 c.果物に注射

常山 江山に同じ

衢県 チフス,パラチフス ノミ

麗水 チフス,パラチフス ノミ

10月2日

次長電に依りて飛行機に依り実施する事は当分の間延期すべき旨

    (注:中国政府が日本の細菌戦を非難しはじめので参謀次長が延期命令を出したようです。)

10月5日

(浙かん戦における)地上実施に冠する実情

ペストその他はまず成功?

衢県T(チフス)は井戸に入れたるも之は成功せしが如し(水中にてとける)

 

次の沢田中将の記録を見ると沢田中将は細菌攻撃にかなり批判的だったことが 分かります。

*第13軍司令官・沢田茂中将陣中記録

(自衛隊防衛研究所  1942年分 静岡大学名誉教授藤本治氏論文から)

5月28日

乗馬にて諸曁を出発 蘇湲鎮に向う 義烏は細菌迄ペスト流行しありしを以て

同地の宿営を避け蘇湲鎮となしたるなり

6月16日

辻中佐(注:参謀本部作戦班長辻正信のこと)の言によれば

大本営は当方面に石井部隊の使用を考えあるが如し

反対なる旨開陳しおけり

日支関係に百年の痕を残す且つ又利益なく我方防疫の手続きだけも厄介なり

山中田舎の百姓を犠牲にして何の益あら

6月18日

衢州司令部より得たる書類によれば、衢州は昨年迄にペスト大流行しありし事明瞭なり

防疫緊急の要事となれり

6月25日

石井部隊の使用、総軍よりも反対意見を開陳せしも、大本営の容るる処とならず

大陸命(注:天皇の命令)を拝したり、とならば致し方なきも、作戦は密なるを要す

苦き作戦□□人選を抑える処に総軍の力なかるべからず

遺憾なり

6月26日

軍の反転開始を7月末日とす

7月11日

石井少将連絡の為来着す

其の報告を聞きても余り効果を期待し得ざるが如し

効果なく弊害多き本作戦を何故続行せんとするや諒解に苦しむ

蓋し王者の戦をなせば可なり

何故こんな手段を執るや予には不可解なり

されども既に命令を受けたる以上実施せざるべからず
            (注: 細菌作戦が天皇及び軍上層の命令だったことがわかります。

仍って次の3点に就て特に注意せしむ

1 秘密の絶対保持

2 □□の予防(注:自軍への感染と思われる)

3 飛行場は攻撃を向くる事

7月12日

石井部隊の行動要領を幕僚にて研究したる結果によれば到底秘密を保持し得ざるが如し

仍って作戦主任に命ずるに 石井部隊の行動を単に其の観察に一任する事なく

機密保持の見地より如何に行動せしむべきかを戦術常識にて研究決定すべきを命ず

8月16日

X日(注:大規模な細菌戦開始に日)を8月19日と定むる旨 命令す

8月22日

午前8時半より衢州飛行場破壊の状況を視察す

25日終了の予定

それ迄の使用延べ人員約10万にして 内半数は俘虜なり

9月3日

22師団の減員頗る大にして師団の半数は杭州地区の□□□□病院に在りて戦力著しく減少しあり

因って22師団の広報残置兵力が追及し

同師団の戦力恢復実現する迄軍主力は金華付近に留まるべきものと思考し

今朝参謀長へ之を明示す

(注:22師団が自軍の細菌に感染して戦力低下しているのです)

9月16日

午前第70師団司令部の初度視察を行ふ

引き続き同師団野戦病院、第40師団野戦病院、杭州陸軍病院の患者を見舞ふ

杭州陸軍病院長の報告によれば同病院の収容患者総数12,000余、

内空輸3,900、水路輸送7,000にして その治療に及ぼしたる影響は極めて良好

特に空輸は良好の成績を挙げ・・・・

    以下省略

 

 

 

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