1942年、日本軍資料

1942年になると、米軍による空襲が始ったため,

その発進基地を叩くために細菌戦も増えます。

作戦目的は「浙かん鉄道沿線の敵兵力の撃滅」です。

 

●  衢州,玉山,麗水等飛行場の壊滅。

 蛍石等の鉱物資源の獲得

  (第13軍第22師団砲兵第52連隊

      第2中隊のあゆみから)

 作戦期間は4月30日から9月30日の

 5ケ月で4期にわけました。

 この作戦には南京の栄1644部隊の

 多摩部隊が参加していました。

 まず井本日誌、それから

 沢田茂中将日記を見てみます。

 

●井本日誌 (1942年分)

3月18日

 「バタン」に対する㋭の件

 東京1月 300kg-使用せば

 東京にて作る必要ありべし

 「ハ」は南京、能力小なり

 MC又はその他の輸送機2機を必要とす

 これに必要なる人を十数名必要とす

 「マニラ」に50-100名を置くこと

 (総、東京、関東軍より)

 1000kg位を10回位必要?

 爆弾300発あるべし

 (バタ-ン半島にいる米・フィリピン軍に

 対する細菌攻撃です)

 

4月12日

 昭和17年㋭号指導計画

  1.攻撃目標

 イ.昆明

 ロ.麗水・玉山・衢県・桂林・南寧(沿岸飛行基地)

 ハ.サモア(撤退する場合)

 ニ.ダッチハ-バ-

 ホ.豪州要点

 ヘ.カルカッタ

 

5月27日

 ㋭ 下打合

 石井四郎少将・村上隆中佐・増田知貞中佐

 小野寺義男中佐・田美保少佐

  1.機密保持に注意する事

  2.編成装備を具体的に計画すること

  3.飛行機は「新散布器をつけた」99式双発機

  4.本年使用可能な菌は

 C(コレラ),T(チフス)  中出来

 PA(パラチフス) 上出来

 P(ペスト) 1/1000万ミリグラム迄向上せり

  5.ペスト菌現在量は

 平房2キロ

 南京1キロ(ネズミ不足)

 その他1キロ  合計4キログラム

  6.友軍の感染防御と

   機密保持のため2個班をつけること

 関連して石井少将からの要望

  1. 731部隊の細菌製造機関を増強すること

  2. 細菌戦実施のための中央機関を編成すること

  3. 国際連盟は放っておく事

  4. 軍医学校と731部隊の要員を

   中支那派遣軍に配属すること

 

5月30日

 参謀本部に石井少将・村上中佐・増田中佐

 小野寺中佐・増田少佐が招集

 [参謀本部]第一部長[田中新一少将]より

 大陸指及注意伝達                 

   注:細菌戦実施の指令と注意が伝達された

 

6月29日

 増田中佐と連絡

 ふ号(注:細菌戦用の風船爆弾のこと

 証拠隠滅の公算70%

 部隊を作ること

 50k以下なら精度相当に大

 人事の件

 

7月6日

 碇常重中佐来

 支那㋭は準備出来

 天候之を許せば常時進出可能なり

 

7月15日 

  注:今会談では支那派遣軍の中で

    細菌戦に対する意見対立がみられます

 後宮淳総参謀長-「兵害予防に対し特に懸念」

 畑俊六総司令官-「(アメリカ軍が進出した)

 桂林.衡州に対し攻撃しては如何との意見」

 沢田茂第13軍司令官-「稍々消極的・・・」

 住民の侵入後を狙う如く無住地帯に施策す

注:住民が逃亡した無人地帯に細菌を撒いて

  戻ってきた住民が 感染するようにする

 餅不足(注:ネズミが足りない)

 実力攻撃は8月中旬以降と予定す

 具体的には示されあらず

 要するに㋭に対して信頼を持たず、

 厄介視ある現況なり、

 将来相当に考慮せざるべからず

 

7月26日

 石井少将閣下と連絡

 (細菌戦の)Xデ-は8月20日の公算大

 

8月28日

 長尾参謀からの報告「㋭ の実施の現況」

  1  広信 イ.ペスト毒化ノミ

  ロ.ペストを野ネズミに注射して放す

 広豊 イ.ペスト毒化ノミ

 玉山 イ.ペスト毒化ノミ

   ロ.ペストを野ネズミに注射して放す

   ハ.米にペストの乾燥菌を附着せしめ、

   鼠-蚤-人間の感染を狙う

 江山 a.コレラ菌を井戸に直接入れる

   b.食物に附着せしむ

   c.果物に注射

 常山 江山に同じ

 衢県 チフス,パラチフス ノミ

 麗水 チフス,パラチフス ノミ

 

10月2日

 次長電に依りて飛行機に依り

 実施する事は当分の間延期すべき旨

  注:中国政府が日本の細菌戦を

    非難しはじめたので参謀次長が  

    延期命令を出したようです。

 

10月5日

 (浙かん戦における)地上実施に冠する実情

 ペストその他はまず成功?

 衢県T(チフス)は井戸に入れたるも

 之は成功せしが如し(水中にてとける)

 

次の沢田中将の記録を見ます。

沢田中将は細菌攻撃にかなり

批判的だったことが 分かります。

 

●  第13軍司令官・沢田茂中将陣中記録

 自衛隊防衛研究所 1942年分 

    静岡大学名誉教授藤本治氏論文から

5月28日

 乗馬にて諸曁を出発 蘇湲鎮に向う 

 義烏は細菌迄ペスト流行しありしを以て

 同地の宿営を避け蘇湲鎮となしたるなり

 

6月16日

 辻中佐(注:参謀本部作戦班長辻正信のこと)の言によれば

 大本営は当方面に石井部隊の使用を考えあるが如し

 反対なる旨開陳しおけり

 日支関係に百年の痕を残す且つ又利益なく

 我方防疫の手続きだけも厄介なり

 山中田舎の百姓を犠牲にして何の益あらん

 

6月18日

 衢州司令部より得たる書類によれば、

 衢州は昨年迄にペスト大流行しありし事明瞭なり

 防疫緊急の要事となれり

 

6月25日

 石井部隊の使用、

 軍よりも反対意見を開陳せしも

 大総本営の容るる処とならず

 大陸命(注:天皇の命令)を拝したり、

 とならば致し方なきも、作戦は密なるを要す

 苦き作戦□□人選を抑える処に総軍の力なかるべからず

 遺憾なり

 

6月26日

 軍の反転開始を7月末日とす

 

7月11日

 石井少将連絡の為来着す

 其の報告を聞きても余り効果を期待し得ざるが如し

 効果なく弊害多き本作戦を

 何故続行せんとするや諒解に苦しむ

 蓋し王者の戦をなせば可なり

 何故こんな手段を執るや予には不可解なり

 されども既に命令を受けたる以上実施せざるべからず

  注: 細菌作戦が天皇及び軍上層の

    命令だったことがわかります。

 仍って次の3点に就て特に注意せしむ

  1 秘密の絶対保持

  2 □□の予防(注:自軍への感染と思われる)

  3 飛行場は攻撃を向くる事

 

7月12日

 石井部隊の行動要領を

 幕僚にて研究したる結果によれば

 到底秘密を保持し得ざるが如し

 仍って作戦主任に命ずるに 

 石井部隊の行動を単に其の観察に一任する事なく

 機密保持の見地より如何に行動せしむべきかを

 戦術常識にて研究決定すべきを命ず

 

8月16日

 X日(注:大規模な細菌戦開始に日)を

 8月19日と定むる旨 命令す

 

8月22日

 午前8時半より衢州飛行場破壊の状況を視察す

 25日終了の予定

 それ迄の使用延べ人員約10万にして 

 内半数は俘虜なり

 

9月3日

 22師団の減員頗る大にして

 師団の半数は杭州地区の□□□□病院に在りて

 戦力著しく減少しあり

 因って22師団の広報残置兵力が追及し

 同師団の戦力恢復実現する迄

 軍主力は金華付近に留まるべきものと思考し

 今朝参謀長へ之を明示す

注:22師団が自軍の細菌に感染して

  戦力低下しているのです

 

9月16日

 午前第70師団司令部の初度視察を行ふ

 引き続き同師団野戦病院、

 第40師団野戦病院、

 杭州陸軍病院の患者を見舞ふ

 杭州陸軍病院長の報告によれば

 同病院の収容患者総数12,000余、

 内空輸3,900、水路輸送7,000にして 

 その治療に及ぼしたる影響は極めて良好

 特に空輸は良好の成績を挙げ・・・・

    以下省略