事故調査委員会

地震による原発事故がどのようにして起こったのか、いくつかの委員会が調査をしています。

調査委員会は「東京電力事故調査委員会」「政府事故調査委員会」「国会事故調査委員会」「民間事故調査委員会」の4つが開かれました。

東電の事故調査委員会は自分に都合の良い結果を出すので論外です。

民間の事故調査委員会は多くの民間学者を含む研究なので一番正確だと思われますが、

国としては民間であることから重きを置かず今後の政策に反映されないようです。

政府と国会に設置された公の調査委員会の報告がその後の政策に反映されています。

国の調査委員夏季は事故の原因を想定外の天災事故から生じた想定外の津波が原因としました。

その為津波の対策と若干の地震に対する耐震補強さえすれば問題ないとなりました。

そしてそれでも事故が起きたときに、避難経路の確保とヨ-ド製剤の準備をすれば原発の再稼動が出来るとしたのです。

 

事故を起こした福島原発の吉田所長の証言に関して朝日新聞の報道が問題視されました。

朝日新聞がスク-プした吉田調書の内容が問題だったようですが、本来国の調書は一刻も早く国民の前に明らかにするべきです。

国が隠すからマスコミは独自にスク-プするのです。

隠した国の責任を問わずにスク-プした朝日新聞を攻撃することは本末転倒です。

その後国は小出しに調査の証言調書を発表しています。

2014年12月25日に追加で発表になった調書の内容を要約します。

12月26日の東京新聞からの抜粋です。

いわゆる原子力ムラといわれる内部癒着を匂わせる問題な証言があります。

 

●小林 勝 原子力安全・保安院耐震安全審査室長

 福島第一原発に敷地の高さを越える津波が来る可能性があると認識したのは、3号機でプルサ-マル計画が始まる2010年3月ごろ、

 議論になり始めていた貞観地震について「ちゃんと議論しないとまずい」と保安院の安全審査課長と話した

 同年7月ごろ、安全審査課長に、原子力安全委員会に話を持っていくべきだと具申した。

 課長は「その件は安全委と手を握っているから、余計なことを言うな」と言った。

 当時の課長の関心は、プルサ-マルの推進だった。

 広報課長からは「あまり関わるとクビになるよ」と言われた。

 保安院と東電の幹部が週に1度開く朝会で、

 審議官が吉田昌郎管理部長(注:所長)に「貞観地震の津波は大きく、繰り返し発生している」と話したと思う。

 東電は12年秋の学会にあわせて貞観地震の評価をしたいと言っていた。

 「そんな悠長なことではだめだぞ」と言ったが、それ以上強く言わなかった

 正直なところ、3.11のような大津波が来るとは思っていなかった。

●山形 浩史 保安院統括管理室

 電力会社は、自然災害への対策をほっとくとやらないし、そんなことをされると地元対策が大変

 彼らとしては、「安全で事故は起こらない」という説明を散々してきていて

 規制側から「起こるかもしれないから対策を取れ」と言われても、実際に対策をしたら地元は納得しない

 何のメリットもない。

 デメリットばかりで邪魔で仕方がない。

 そんなことをされたら困る、という意識だったのでは。

 私が電力会社に何かを言った時でも、ありとあらゆる場面で、嫌だ嫌だというような話だったし、

 指針の見直しとだと言った時も、ありとあらゆるところからプレッシャ-を受けた

 推測になるが、事故が起きないと彼らは絶対に動かないところがある。

●岡村 行信 産総研センタ-長

 2001年ごろから原発の審査に携わった。

 驚いたのは、電力会社の活断層評価がずさんなこと。

 過小評価になっていた。

 07年ごろスタ-トした耐震バックチェックの中間報告では、

 新潟県中越沖地震を踏まえ、活断層の評価が注目を集めた。

 津波の議論は後回しになった。

 09年6月の保安院の会合で、869年に福島を襲った貞観津波について発言したが、

 電力会社はまじめにやる気があるのか、ごまかす気なのかという感じ、東電の態度に違和感があった。

 しかし、貞観地震は確実に存在した。

 堆積物や文献の記述もある。

 1000年に一度と言われるが、400~800年周期で反復していると考えている。

 原発は10万年に1度の災害にも備えなければいけない。

 東電は、11年5月の学会で、津波の堆積物が見つからなかったから津波は低かったとの趣旨の発表をしていたが、その考え方はおかしい。

 貞観津波の再来があっても、問題ないと主張したかったのだろうか。

●安井 正也 保安院付

 福島第一原発3号機のHPCI(高圧注水系)が止まった3月13日午前、

 保安院長から「官邸に詰めている保安院次長のコミュニケ-ションに問題があり、うまく状況説明ができていない」と聞かされ、官邸に入った。

 斑目春樹・原子力安全委員長は少し楽観的な意見だった。

 「もう少しシビア側に事態を判断すべきでは」との印象を持った。

 これと前後して斑目氏は、3号機への海水注水が開始されたとの報告に「バンザイ、助かった」と興奮して、妙にハイテンションになっていた。

 通常なら安全委員長の立場は重いが、官邸内ではその意見が尊重されていなかった

 14日午前11時、3号機が爆発した。

 同日午後には2号機のRCIC(原子炉隔離時冷却系)が停止。

 ベント(排気)での減圧と注水が急がれる中、難航している状況を菅直人首相に説明すると、

 「銃で格納容器や弁を撃ち抜くことも考えたか」と言われた。

 びっくりするような案だが、格納容器から大気中に抜け道を作るという意味ではベントと同じ理屈で、

 菅氏がそこまで考えていたのかと思った

●匿名 東電社員

 これまでずっと安全業務に携わっている。

 東電では自然災害などの外部事象は、アクシデントマネジメント(事故対策)の対象外とされてきた。

 今回のように複数のプラント(原発)が同時に自然災害によって損傷したり、

 機能喪失するような事態が起きるとは思っていなかったし、そのような想定をする必要性も正直感じていなかった。

 全交流電源喪失についてはもちろん想定はしていた。

 ただ、隣接プラントが生きている前提で、複数プラントで電源を喪失する事態は想定していなかった

 危機管理としては各号機に2台目の非常用ディ-ゼル発電機を設置する際、別の建屋にするとか、

 設置場所の高さを変え、防護の多様性を確保する考えは全くなかった。

 設備を埋めるような津波は考えていなかったし、津波の議論も当時は承知していなかった。