日本軍は南京城攻撃のドサクサで
関係のない外国船を攻撃してしまいました。
このことは重大な国際法違反で
外交問題に発展してしまいました。
当時の揚子江には
アメリカやイギリス等外国の軍艦や
商船が多数停泊していましたが
それらの船は危険を回避するために
南京から移動しました。
その様子を日本軍の兵士が記録しています。
● 前田吉彦少尉 日記 第6師団歩兵第45連隊
堤防の向こう側に駆けおり
脱糞せんとすれば
おりから揚子江を黒煙をはきつつ
汽船約十隻の遡行しつつあるを発見す。
尻をまくったままで双眼鏡をのぞく。
どの船上も灰色の軍服を満載しているその船には
いずれもアメリカ、英国、フランスなど
諸外国の旗が翻っている。・・・・
いまこの敵を無造作に取り逃がす心積もりなのか、
この機会を放棄するつもりなのか・・・・
注:日本の兵士は用便中でなく
武器があれば攻撃するつもりのようです
12月12日には
海軍航空隊が中国側の船と誤認して
アメリカの警備艦「パネイ号」を攻撃、
沈没させてしまいました。
意図的ではないにせよ
最初に日本軍の砲撃を浴びた時
「パネイ号」は、12日揚子江上流に避難をしました。
午後1時すぎ日本軍機6機が
急降下攻撃を加え始めました。
乗組員が避難し2時すぎ
船は軍艦旗と共に沈没しました。
この攻撃でパネイ号では乗組員2名、
イタリア人記者1名、
タンカ-の船長1名が死亡し、
3名が重症、11名が負傷しました。
その時のアメリカの電報です。
● パネイ号日本空軍に撃沈される
海軍無線 EB 平文電報
発信 CINCAF
受信 12月13日
海軍作戦部 在上海アメリカ総領事館宛
第○○13号、
11時、日本参謀長がCINCAFを訪れ、
米国司令官に12月12日午後
呉淞上流221マイルのパネイ号と
3隻のスタンダ-ド石油商船への
爆撃について報告した。
4隻は速度4ノットで上流を航行中、
日本軍飛行機1機が船籍を
確かめようと努力して、
高度300メ-トルを飛んだが、
国旗を確認できなかった。
13時25分、爆撃機3機が、
護送船団隊形の2隻を攻撃し、炎上させた。
13時40分、
爆撃機6機が攻撃1隻に損害を与えた。
パネイ号の爆撃による沈没の正確な時間は不明。
長谷川司令長官が電報で
以下のことを伝えてきた。
日本海軍は責任を感じていると陳謝し、
遺憾の意を表明した。
日本軍は適切な処置をとる準備のあること、
また、生存者の救出を申し出で、
生存者救出のためすでに
海軍機を派遣したと述べた。
イギリス艦ビ-号とオアフ号が現在、
生存者のいる和県方面に直行している。
4隻には、ともに8月、
上甲板に水平国旗を示す表示が出ており、
パネイ号はこの命令に従っていた。
これらの事件が
国際問題になるという認識が
日本の司令官にはなかったようです。
● 松井石根 中支那方面軍司令官 陣中日記
13日、橋本大佐の率ゆる重砲兵隊が
江を渡りて退却中なる敵を砲撃するさい、
付近にありし英国商船および
英国砲艦乗員に小損害を与えたる事件あり。
これ居留民避難保護に任じたるものにて
中に英独領事館員、武官等もあり、
将来多少の問題を惹起すべきも、
かかる危険区域に残存する第三国人ならびに
その艦船が多少の側杖をこうむるはやむなきことなり。
いわんや我が方はすでにこの方面における
戦場の危険を列国に予告しおきたる
日本はこの時点では
まだアメリカやイギリスと
戦争しているわけではありませんから、
政府、外務省はかなり困りました。
大きな外交問題に発展しないように
外務省はすぐにアメリカやイギリスの
大使館に謝罪をしています。
● 日本外務大臣より
駐日アメリカ大使宛の口上書
1937年12月14日付
謹啓 大使殿
12月12日、アメリカ砲艦パナイ号と
スタンダ-ド石油会社の汽船3隻が
長江上流26マイル地点で
日本海軍機の爆撃をうけ沈没した事件に関して、
事件が非公式に本官に伝えられるや、
わが国政府の陳謝を大使閣下から
アメリカ政府にお伝えいただくように
ご依頼申し上げました。・・・・・・
アメリカ砲艦パナイ号と
スタンダ-ド石油会社船舶を、
逃走中の中国軍をのせた中国船を
取り違え、撃沈させました。
しかるに、先の状況にてらしてみれば、
明らかに今回の事件は主として
日本の誤認によるものであるので、
日本政府はアメリカ軍艦、船舶に損害を与え、
その乗員に死傷者をだしたことに対し、
深甚なる遺憾の意を表明し、
そしてここに喪心より謝罪する次第です。
日本政府は、これらの損害の全てに対し
賠償を行い、事件の責任者を適切に処分する所存です。
この不幸な事件により、
日米の友好関係に悪影響が及ばないことを
日本政府は強く希っております・・・・
● 駐日アメリカ大使より
外務大臣宛への口上書
1937年12月14日付
大臣閣下
・・・・このような事態にあって、
わが国政府は日本政府に対し、
次のことを要求するものです。
日本政府は正式書面により
遺憾の意を表明すること、
また完全かつ十分なる賠償を執り行うこと。
さらに、今後、中国にあるアメリカ国民の財産が
武装日本軍の攻撃もしくは
一切の日本官憲または日本軍による
不法な干渉を受けることのないよう、
確実に実効ある措置をとる保証を与えること。
この事件はアメリカの新聞・
ニュ-ヨ-クタイムズにも
大きく取り上げられています。
● 「日本陸軍指揮における内紛」
1937年12月20日 上海発特電
ハレット・アベント記者
日本陸軍が中国軍を追い詰め、
前線が拡大していく一方で、
陸軍内部において指揮権をめぐり、
もう一つの激しい戦いが行われている。
12月12日、ランチに乗った日本兵が、
アメリカ砲艦、パナイ号に
機関銃を浴びせかけたことにより、
この熾烈な戦いは頂点に達した。
というのも、この指令は、
橋本欣五郎大佐の独断によるものであったからだ。
中支那方面軍司令官松井石根大将は
橋本大佐を処罰しないのではないかと、
日本軍将校らは松井の権力を疑問視し始めている。
第三者からみると、
いかなる軍隊の大佐と言えども、
この場合のように、上官に背いてまで
本人の意思を貫くことなど、
あってはならないことである。
1936年2月26日、
東京で起こった軍事ク-デタ-の
推進者の一人が橋本大佐であったといえば、
彼の反抗的行動の説明がつく。・・・・
橋本大佐が自己の地位保全のため、
政治力を行使したことが、
陸軍総体の規律を致命的に
乱したと言われている。
つまり、上官が処罰されないというのなら、
略奪や強姦をしても、なんら咎めはないはず、
と兵卒は解釈するのである。
事実かどう不明ですが、
日本軍では外国船に対する
攻撃を許可していたという
野戦重砲第13連隊長・
橋本欣五郎大佐の証言があります。
その橋本大佐はイギリス海軍の
レディバ-ド号を攻撃しました。
● 英国大使館の電報
日本軍、レディ-バ-ド号を砲撃
発信 上海 12月13日発
在中国英国代理大使発
在東京英国大使宛
レディ-バ-ド号から以下のごとき報告あり。
イギリスの材木会社のタグボ-ト清大号が
本日午前7時30分、
在南京英国領事、領事館付き武官および
旗艦長を乗せて三山から蕪湖に到着した。
彼らがレディ-バ-ド号に乗船してから後、
午前8時10分頃、
日本軍は清大号に向け機関銃射撃を加えた。
レディ-バ-ド号は
午前9時10分に停泊位置についた。
4発の砲弾がレディ-バ-ド号に直撃し、
1人の水兵が死亡、1人が重症を負い、
旗艦長を含む数人が軽傷を負った。
清大号の被害は不明。
そのことに対する橋本欣五郎の釈明が
英国大使館の同じ電報に見られます。
● 在中国英国代理大使ホ-ウィ-氏から
在東京英国大使館宛電報
発信 上海 1937年12月13日午前2時5分
受信 12月13日午前9時
私は蕪湖で、日本軍の上級指導者である
橋本欣五郎大佐と短時間面会し、
今朝の異常な出来事について強い抗議を行った。
彼はくだらない言い訳をしたが、
軍艦を砲撃したのは彼のミスであったこと、
および日本軍は長江上にあるすべての船を
砲撃するよう命令されていたことを認めた。
日本軍の最高司令部に対して
至急、蕪湖およびその下流にイギリスや
他の商船、軍艦がいることを悟らせる必要がある。
蕪湖の日本軍にはこの事実が
知らされていないふしがある。
橋本大佐には、蕪湖および三山上流2マイルの
通告済係留地における
船舶の位置を記した文書を渡しておいた。
また今朝の出来事に関して橋本大佐は、
明日月曜日9時に川岸で行われる予定の
看護水兵の葬儀に対して、
日本軍はしかるべき代表を送ることをみとめた。