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キーワード「マリア・ロサ・ルナ・ヘンソン」を含む投稿一覧

  • 地域別・フィリピン

    2020/08/28
    16:20

    フィリピンの慰安婦の実体は1992年9月に

    TFFCW(Task Force on Filipino Comfort Women)の呼びかけで、

    マリア・ロサ・ルナ・ヘンソンさんが

    証言を始めてから明らかになりました。

    1993年8月の時点で

    従軍慰安婦と思われる女性は75人

    (注:その後100人以上になりました)、

    強姦38件、拷問2軒が報告されています。

    その調査の中からいくつかの証言を書きます。

     

    ● 被害者「A」の証言 強姦

     米を売りにマニラに行った時だった。

     姉の借家を訪ねたが留守で、

     近所一帯焼け落ちていた。

     避難場所と思われるサン・アウグスチン教会に行った。

     教会は広く、彼女がいた場所だけでも

     50人ほどの女性がいた。

     姉は彼女に顔に泥や炭を塗るように言ったのでその通りにした。

     日本兵は昼夜を問わずやってきて

     恣意的に若い女性を連れて行った。

     彼女は教会に行ってから5日後に、

     日本兵によって駐屯地になっていた

     近くの女子大に連れて行かれた。

     とにかく生き延びて子どもに

     再び会いたいという思いと恐怖で

     泣きもせず抵抗もしなかった。

     連行された建物にはたくさんの部屋があり、

     その部屋の1つに連れ込まれた。

     家具はなく、書類のようなものが

     床に散らばっているだけであった。

     まず2人の日本兵が彼女を床に倒して強姦した。

     強姦された部屋の戸が開いており、

     2人の女性が連れて行かれるのが見え、

     その後叫び声が聞こえた。

     次の日の夜また別の2人の日本兵が強姦した。

     

    ● 被害者「B」の証言 (臨時の軍慰安所?)

     マニラ市内の市場で物を売っていたところ、

     周囲にいた者も含めて日本兵に拉致され、

     近くの空き家でまず強姦され、

     その後現在は動物園の

     入り口付近になっている大きな家に連行され、

     かなり長い期間にわたって監禁され強姦され続けた。

     監視員の他、管理、世話をする女性もおり、

     性病検査も週1回定期的に行なわれていた。

     

    ● 被害者「C」 拷問と強姦

     夫がゲリラに加わったという容疑で、

     日本軍に捕らえられて駐屯地に連れて行かれ、

     角材で殴打された。

     現場では他にも拷問を受けている

     フィリピン人が数人いた。

     その後2日間にわたって強姦された。

     

    次に、2001年5月29日に

    東京高裁に提訴された

    「フィリピン従軍慰安婦補償請求裁判」での

    証拠書類から見てみます。

    この証拠は防衛庁所蔵の

    「比島防衛295第11独立守備隊

    比島討伐に関する書類其1

    (第11独立守備隊 昭和17年12月~昭和18年4月)」で、

    それをもとに7人の被害者と

    加害部隊の調査をしたものです。

    ①原告 

     クリスティ-ナ・アルコベル 

     1926年7月26日生れ  当時16歳

     原告と弟は、銃や刀を持った日本兵に連行され、

     1キロほど歩いたサンホセの海沿いの

     飛行場に近い駐屯地に連れて行かれた。

     弟と引き離され、毎朝点呼を受けて

     夕方まで塹壕掘りなどの強制労働をさせられた。

     連行されて3日後から30人ほどの

     他の女性と共に浜辺のココナツヤシや

     バナナの木の下で強姦を受ける。

     最初の強姦の時に抵抗したため

     平手打ちで倒されて左鎖骨を骨折、

     さらに腿の付け根を銃剣で刺された。

     44年の秋頃の米軍による空爆・砲撃に

     紛れて逃げ出すまでの2年余り

     監禁され、強姦を受け続けた。

     ● 加害部隊 第3南遣艦隊所属第103施設部

    ②原告 

     アンドレサ・フェルナンデス 

     1929年2月26日生れ 当時14歳

     11月頃のある日の早朝、

     泉に行って水浴びした後、

     7~8人の小隊と遭遇し、

     「キャプテン タナカ」と名乗る日本兵(将校)により

     タリサヤン村の駐屯地に連行された。

     10日間監禁され、

     昼夜を問わず強姦を受ける。

     川で水浴びをしている時に脱走した。

     ● 加害部隊 歩兵第9連隊第3大隊(福田大隊)

    ③原告 

     フェリサ・ボルナレス  

     1917年12月22日生れ  当時25歳

     銃撃があると母親と林に遭難したが、

     病気の父親の面倒を見るために

     家に戻る必要があった。・・・・

     夜11時頃、

     家に入ってきた日本兵に連行された。

     パニタン町中心の公設市場内の

     テントで仕切った部屋に連れ込まれ、

     6人の日本兵から強姦される。

     公設市場は日本軍が駐屯地として使用していた。

     その後、1日に1~10人の

     日本兵から強姦を受け続ける・・・・

     ● 加害部隊 独立歩兵第33大隊(瀬能部隊)第2中隊第2小隊

    ④原告 

     トマサ・サリノグ   

     1928年12月8日生れ 当時14~15歳

     自宅に押し入った日本兵2人に

     父親は斬首されて死亡。

     サリノグさんはただちにその場から

     数百メ-トル離れた大きな建物に連行された。

     翌日未明、同じ2人の日本人から強姦される。

     サリノグさんは、2人の内1の名前を

     キャプテン・ヒロオカ・ゲンノスケと記憶している。

     その直後の3日間を除き、連日強姦が続いた。

     一般の検診はあったが、性病検査はなかった。

     置き忘れた鍵を拾って脱走した。

     ● 加害部隊 独立歩兵第33大隊(瀬能部隊)第1中隊

     その後又、日本兵に発見され、

     オクムラ大佐と名乗る日本将兵が

     単身で滞在するギビエ-ル通りの

     石原産業倉庫脇の家に連行され、

     たびたび強姦される。

     ● 加害部隊 独立守備歩兵第37大隊

       (後に独立歩兵第170大隊・戸塚部隊)

       第4中隊(吉岡隊)

    ⑤原告  

     パシ-タ・サクラン・サンティリアン  

     1928年1月7日生れ 当時15歳

     家族等11人で洞窟に隠れていたが、

     約15人の日本兵に見つけられた。

     後ろ手に縛られる。

     谷間の滝でサンティリアンさんの

     母や姉も含めて女性6人は全員強姦される。

     兄も含めた男たち3人と母・姉は

     首をはねられて殺害された。

     別の家族の2歳と3歳の子どもは

     投げ上げられて銃剣で切られた。

     ● 加害部隊 独立守備歩兵第37大隊第3中隊の

       逸木見習下士官の指揮する16名

             以下省略

     

    フィリピンの国会では日本の参議院に

    提出された慰安婦問題を解決する法律

    「戦時性的強制被害者問題の解決の促進のための法律案」を

    全面的に支持する決議がなされました。

     

    ● フィリピン共和国下院第12会期第2通常国会 

     2002年10月4日提出 下院決議案799号

     フィリピン共和国議会下院は、

     未解決の「慰安婦」問題を終結させるため、

     いわゆる慰安婦として広く知られる

     戦時性的強制被害者問題の解決のために

     必要な事項を定める事を求めて、

     日本の国会に提出された法案に対する

     フィリピン共和国議会下院の全面的な支持を表明する。

     さらに、フィリピン共和国議会下院は、

     第二次世界大戦中に日本帝国軍人によって

     行なわれた性的虐待の被害者に対して

     公正に正義をもたらすために

     日本の国会に対して速やかに

     この法律を制定するように要請する。

     

     

     

    つづきを読む

  • 慰安婦問題の始まり

    2020/07/06
    15:18

    慰安婦問題が明るみに出た経過を簡単に整理してみます。

    韓国内で慰安婦問題が表面化したのは1970年代ですが、

    決して一部の人たちが言うように、知られていなかった訳ではありません。

    韓国内の新聞には慰安婦のことが1945年ごろから書かれています。

    このことを韓国・仁徳大学講師の心理学者「吉方べき」氏が

    2014年9月に調査をしました。

    週間金曜日第1035号(2015年4月10日号)から引用し、整理します。

     

    ●韓国の新聞に慰安婦や挺身隊のことが掲載された数

    注:年の表記は1945年を45と表記します。

    時期

     

    朝鮮日報

    東亜日報

    中央日報

    京郷新聞

    合計

    慰安婦

    挺身隊

    慰安婦

    挺身隊

    慰安婦

    挺身隊

    慰安婦

    挺身隊

    45~49

    0

    1

    0

    1

      

    0

    1

    3

    50~54

    0

    0

    1

    0

      

    0

    0

    1

    55~59

    0

    0

    0

    1

      

    0

    1

    2

    60~64

    0

    0

    0

    1

      

    4

    4

    7

    65~69

    0

    0

    1

    4

    0

    1

    2

    5

    10

    70~74

    0

    0

    4

    11

    3

    15

    5

    6

    41

    75~79

    1

    1

    4

    4

    3

    6

    4

    12

    30

    80~84

    1

    7

    5

    49

    18

    52

    9

    45

    161

    85~89

    0

    4

    4

    33

    2

    11

    2

    15

    68

    90~94

    328

    289

    566

    732

    380

    492

    383

    536

    2825

    注:合計数字が合っていませんが、

      各新聞の記事には慰安婦と挺身隊の両方が含まれていることが多く、

      細かい数はそれぞれですが合計は記事の数になっています。

      中央日報は1965年9月22日の創刊です。

    吉方氏が選んだ目立つ記事を書きます。

     

    ●1963年8月14日 京郷新聞

     ・・・・年頃の乙女たちを戦場に連行し、慰安婦にしたのだ。・・・・

     どれほど多くの韓国の乙女が連行され、

     その後どうなったのか、知る人はいない・・・・

     

    ●1964年3月23日 東亜日報 岡村昭彦氏の寄稿として

     ・・・・乗船した漁船の船長は次のように語る「大東亜戦争の時、

     韓国人の18歳から20歳までの乙女たちは、

     挺身隊という名目で連行され、

     結局は全てが軍隊の娼婦にされてしまったんですよ」

     私は顔を上げることができなかった。

     

    ●1965年2月17日 京郷新聞 殉国先烈遺族会会長の寄稿

     未婚女性を挺身隊との名目で拉致動員し、慰安婦にした

     

    1970年代に入ると日本人のキ-セン観光に対して、

    韓国の女性たちが批判を始めました。

    注:キ-セン(妓生)

      昔からあった高官の接待の時に働く、

    日本で言えば芸者のような存在。

      場合によっては娼婦の役割も果たした。

      戦後その言葉だけが残り、

      買春目的の外国人特に日本人男性の観光に利用された。

    ●批判の内容

     日本男性は、戦争中同胞の女性たちを女子挺身隊員として軍の力で狩り出し、

     それを反省せず、今度は金の力でキ-センの性を弄んでいる。

     

    ところが韓国は当時独裁政権で、

    日本とうまくやるために国際観光振興政策をとり、

    あまり問題とはなりませんでした。

     注:女子挺身隊

       日本軍は工場労働者として朝鮮女性を狩り出すとき「女性挺身隊」という名称で、

       募集、詐欺募集、強制連行を行ないました。

       挺身隊という名目でありながら慰安婦にされたケ-スが多くありました。

     

    1977年には日本でも、松井やよりさんたちが中心になってキ-セン観光反対運動が始まりました。

     

    後ほど詳しく書く吉田清治氏の証言本が出たのが1977年ですので、

    ここまでは吉田証言や朝日新聞報道以前になります。

    1984年にシンガポ-ル特派員をしていた松井やよりさんは、

    タイで韓国人の元慰安婦「盧寿福」さんにインタビュ-し、朝日新聞に掲載しました。

     

    1988年、韓国梨花女子大学教授「尹貞玉」さんが

    「日本軍の犠牲になった同時代の女性たちを

    歴史の闇の中に埋もれさせる事は出来ない。

    この問題に余生を捧げたい」と調査の為に来日、

    アジア各地の取材を始めました。

    1990年1月、韓国ハンギョレ新聞に尹貞玉さんが「挺身隊取材記」の連載を開始。

    1990年5月18日、盧泰愚大統領来日の機会に、

    韓国の女性団体連合等が

    「盧泰愚大統領の訪日及び挺身隊に対する女性界の立場」と題する共同声明を発表し、

    日本政府に真相究明と謝罪、補償を求めました。

    11月、韓国挺身隊問題協議会が結成される。

     

    「公開書簡の内容」

    日本政府に対しては

     1.日本政府は朝鮮人女性たちを従軍慰安婦として強制連行した事実を認めること

     2.そのことについて公式に謝罪すること

     3.蛮行の全てを自ら明らかにすること

     4.犠牲となった人々のために慰霊碑を建てること

     5.生存者や遺族たちに補償すること

     6.こうした過ちを再び繰り返さないために、歴史教育の中でこの事実を語り続けること

    韓国政府に対しては

     1.日本政府から謝罪を受け取ること

     2.韓国政府が積極的に真相解明をすること

     3.韓国に慰霊碑建て、日本政府から被害賠償を受け取り、

      生存者がいる場合にはその被害者に補償をすること

     4.不平等で屈辱的な外交関係を、自主平等外交に転換すること

     5.日本の韓国への歴史歪曲を訂正させ、自らも「慰安婦」の被害を歴史教育に明記すること

     

    「挺身隊」

    日本の植民地だった朝鮮半島ではありとあらゆる名目を考え出して朝鮮人を動員しました。

    多く使われた名称は「○○挺身隊」でしょう。

      農村挺身隊

      内鮮一体挺身隊

      国語(日本語)挺身隊

      報道挺身隊・・・・

    これらの挺身隊は男性中心で組織されましたが、1943年以降は女子の挺身隊も準備されました。

      婦人農業挺身隊

      特別女子青年挺身隊

      女子救護挺身隊

      女子勤労挺身隊

    女子の場合はこれらの挺身隊とは別に処女供出と言う言葉が使われたり、

    別の言葉も使われました。

      各種女子挺身隊

      慰問団

      歌劇団

      慰安婦募集(ずばりこのままの応募広告もありました)

    このように色々な言葉が使われていたので、韓国では一括して、

    日本軍の慰安婦問題を「挺身隊問題」と呼ぶ事が多くなっています。

     

    「やっと明るみに」

    1990年6月6日、国会、参院予算委員会で

    労働省清水傳雄職業安定局長は次のように答弁しました。

    ●戦前の国家総動員法に基づく徴用には従軍慰安婦は関係ない。

      慰安婦なるものは民間の業者が連れて歩いたというのが実体で、調査できかねる。

     

    1990年12月、ソウルで開かれたアジア女性人権評議会主催の

    「アジア女性人身売買問題会議」で、

    韓国代表が「慰安婦問題」を報告。

    アジア各地に知れ渡る。

     

    ●1991年8月14日、日本政府だけではなく韓国政府も真相究明に消極的姿勢だったため、 

     韓国で元慰安婦として「金学順」さんが初めて名乗り出た。

     当時経験したことがあまりにも凄まじく、むごたらしくて、

     一生胸の中にしまったまま生きてきたけれど・・・・

     国民のみんなが過去を忘れたまま日本にしがみついているのを見ると、

     とても我慢ができない

     

    その年12月には金学順さん等3名が

    日本政府に謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴しました。

    その直前の11月28日、

    金学順さんはNHK「ニュ-ス21」のインタビュ-に答えて次のように訴えました。

    ●日本軍に踏みつけられ、一生を惨めに過ごしたことを訴えたかったのです。

     日本や韓国の若者たちに、日本が過去にやった事を知って欲しい

    注:公式には金学順が最初に名乗り出たことになっていますが、

      実は1990年5月の韓国の雑誌「時代人物」に

      「恥辱と絶望の人生を克服し国の独立を願って生きる沈美子さん」という

      記事があった事が発見されました。

      伊藤孝司氏が2001年4月に発見したものです。

      つまり沈美子さんが金学順せんより早く名乗り出たということです。

     

    1992年9月、TFFCW(フィリピンの女性人権擁護団体)のマスコミを使った呼びかけに対して、

    マリア・ロサ・ルナ・ヘンソンさんがフィリピンで最初の証言者として名乗り出ました。

    その後、フィリピン、台湾、マレ-シア、インドネシア、中国、北朝鮮、オランダで、

    元慰安婦たちが続々と名乗り出ました。

    1993年6月、ウイ-ンで開かれた「国連世界人権会議」始めて取り上げらました。

    1995年8月~9月、北京で開かれた第4回世界女性会議で行動綱領に取り上げられました。

    以上のような経緯で慰安婦問題が闇の中から明るみに出てきたのです。

     

    つまりこの問題が明るみに出たのはまだ最近、

    1991年なのだということを覚えておいて欲しいと思います。

    そしてその前1977年から吉田清治氏の証言は話題にはなっていました。

     

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