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キーワード「ラ-ベ」を含む投稿一覧

  • 国際委員会が日本・米国大使館に提出した報告書 1

    2020/10/09
    13:31

    南京安全区国際委員会は

    あまりにもひどい日本軍の暴挙を

    何とか食い止めようと、

    日本やアメリカの大使館に

    報告書を提出しています。

    色々なメンバ-の報告を

    委員長のジョン・ラーベがとりまとめて、

    その都度通し番号をつけて提出しました。

    外務省に送られた報告書は

    敗戦時の徹底した焼却処分のため残っていません。

    報告書の通し番号ですが、

    以前早稲田大学の洞富雄教授がまとめた

    資料集では英文翻訳として444項目でした。

    今回中国語版が完成し、

    その資料では426項目になっています。

    いずれにしても相当な量の報告書です。

    ここでは中国語版を日本語に

    訳したものを紹介します。

    報告書番号の1番は1937年12月15日

    つまり南京陥落後2日目から始まり、

    最後の426番は1938年2月5日まであります。

    よく戦争だから多少の殺害や強姦はしょうがない、

    どこの国でもあることだ・・・と言う人がいます。

    しかし南京戦の被害は

    主として南京戦が終了してから起きています。

    問題はこれらの報告は現地日本大使館では

    きちんと受け取り、日本の外務省に報告していた事です。

    外務省では政府や軍中央にきちんと報告していますから、

    当時の日本政府や軍は南京事件を

    全部知っていた事になります。

    政府や軍中央が現地軍を押さえ切れなかった、

    つまり現地軍は勝手気ままに

    やりたい放題していたことになります。

    勿論国民には一切知らされていませんでした。

     

    ● 石射猪太郎 外務省東亜局長 

       東京裁判での宣誓口述書    

     1937年12月13日頃、我軍が南京に入場する。

     其のあとを逐つて、

     我南京総領事代理(福井淳氏)も

     上海から南京に復帰した。

     同総領事代理から本省への最初の現場報告は

     我軍のアトロシティ-ズ(強姦・掠奪・放火を含む)に

     関するものであった。

     此の電信報告は遅滞なく東亜局から

     陸軍省軍務局長宛に送付された。

     当時、外務大臣は此の報告に驚き且心配して、

     私に対し早く何とかせねばならぬと

     御話しがあったので、

     私は電信写しは既に陸軍省に

     送付されて居る事、

     陸海外三省事務当局連絡会議の席上、

     私から軍当局に警告すべき事を大臣に御答へした。

     其の直後、連絡会議が私の事務室で行われ・・・・

     其の席上、私は陸軍省軍務局第一課長に対し

     右アトロシティ-ズ問題を提起し、

     苟も聖戦と称し皇軍と称する戦争に於いて

     これは余にもヒドイ、

     早速厳重措置をする事を申し入れた。

     同課長も全く同感で、右申入れを受入れた。

     其の後いくばくもなくして

     在南京総領事代理から

     書面報告が本省へ到着した。

     それは南京在住の第三国人で組織された

     国際安全委員会が作成した

     我軍アトロシティ-ズの詳報であって、

     英文でタイプされてあり、

     それを我南京総領事館で受付け、

     本省に輸送して来たものである。

    注:これが今回の報告書です

     私は逐一之に目を通し、

     其の概要を直ちに大臣に報告した。

     そして大臣の意を受けて、

     私は次の連絡会議の席上、

     陸軍軍務局第一課長に其の報告書を提示し、

     重ねて厳重措置方を要望したが、

     軍は最早既に現地軍に

     厳重に云ってやったとの話であった。

     其の後、現地軍のアトロシティ-ズは

     大分下火になった。

     翌1938年1月の末頃と記憶するが、

     陸軍中央は特に人を現地軍に派遣したあとで、

     其の派遣された人物は

     本間少将であることがわかった。

     それ以降、南京アトロシティ-ズは終止した。

     

    ● 岡崎勝男 東京裁判での宣誓口述書(原文カナ)

        岡崎氏は事件当時南京の

        無任所総領事として事件の処理をした。

     南京安全地帯国際委員会は、

     同市内において行われたと主

     張せられている暴行に関する報告を

     南京駐在の日本領事に行い、

     そして私が南京滞在中、

     同市内の事態についてほとんど毎日

     私の所へ話しに来ました。

     福田篤泰氏は当時、

     大使館付きの外交官補でありました。・・・・

     南京安全地帯国際委員会の報告は

     南京の日本領事館で受取りました時、

     その報告書の概要は電報で東京に送られ、

     報告書その物もまた郵便で

     東京の外務省に送られました。

     

    [報告書内容]

     この報告書は安全区の国際委員会の

     報告ですから、安全区内のことが中心になります。     

     そのためいわゆる大量虐殺には

     あまり触れられていません。

     強姦の被害が目立ちます。        

         注:最初の数字は報告書番号、

          日付は報告書を書いた日、

          番号と前後している事もあります。

          最後の人名はラ-ベに報告をした人です。

          名前がないのはラ-ベ自身です。

          読めない字は○にしました。

     

    1937年12月16日にまとめ、日本大使館に提出分

    1)12月15日、

     安全区衛生委員会第2区の6名の

     街路清掃工は、鼓楼にある住宅で、

     押し入ってきた日本兵に殺された。

     別の清掃工1人は、

     なんのはっきりした理由もなく、

     日本兵に銃剣で刺され重態である。

     この人たちは全員安全区の雇用員である    

    4)12月15日夜、

     7人の日本兵が金陵大学図書館ビルに押し入り、

     中国人の女性7人を拉致して行った。

     其の中の3名の女性はその場で強姦された。   

    6)12月14日、

     明らかに引率将校のいない

     日本兵30名が捜査を名目に、

     大学病院と看護婦の寝室に押し入った。

     病院の職員たちは組織的な略奪を受けた。

     盗まれた品物は:万年筆6本、現金180元、

     時計4つ、病院の包帯2巻、懐中電灯2つ、

     手袋2つと毛糸セータ-1枚である。  

    10)12月14日昼頃、

     日本兵が○銀巷のある家に押し入り、

     4名の若い女性を拉致していった。

     強姦された後、彼女たちは、

     2時間後に釈放された。  

    12)12月14日夜、

     11名の日本兵が○銀巷のもう1軒の家に

     押し入り、4名の中国女性を強姦した。

    15)12月15日、

     日本兵は漢口路の中国人民家へ押し入り、

     若い中国女性を強姦した後、

     3名の女性を拉致していった。

     その中2名の女性の夫が

     日本兵の後を追いかけていったが、

     この2名の男性はその場で日本兵に射殺された。

     前にのべたように、

     われわれ委員会の外国人メンバ-は

     以上の事実をすでに確かめている。

        提出報告書の署名:ルイスS.C.スマイス

    1937年12月19日にまとめ、日本大使館に提出分

    16)12月15日、

     銃剣で刺された1人の中国人が大学病院に来た。

     彼の話によれば、日本兵は

     彼と他5名の中国人男性を安全区から拉致し、

     下関へ弾薬を運ぶよう命令した。

     下関に着くと、彼ら6人は

     日本兵に銃剣で突き刺され、

     彼1人だけが幸いにも生き残って、

     金陵大学病院へ治療を受けに来たという。    

         (ウイルソン医師)

    18)12月15日、

     日本兵の一群が小桃園わきの

     金陵大学の建物に押し入り、

     30名の女性を強姦した。

     中には6回も輪姦された女性がいた。   

         (ゾ-ン)  

    20)12月16日夜、

     7名の日本兵がアメリカ大学(注:金陵大学)の

     建物に押し入り、窓ガラスを破り、略奪をした。

     大学側が時計と女性を差し出さないと、

     彼らは銃剣で何人もの大学職員を

     刺しまくって、怪我をさせ、

     さらに建物の中にいた女性多数を強姦した。  

         (ベイツ博士)

    43)12月17日、

     三元巷付近で2名の娘が

     多数の日本兵に輪姦された。 

         (王)

    45)12月17日、

     多くの女性が五台山小学校に

     強制的に拉致され、夜通し強姦され、

     翌朝やっと解放された。

         (王)  

    55)12月18日夜、

     450人の女性が助けを求めて

     我々のビルに逃げてきた。

     彼女たちは中庭の露天で一夜を過ごした。

     これまでに、その中の多くの女性が

     日本軍に強姦されている。  

         (フィッチ)

    62)12月18日、

     陸軍大学の難民収容所からきた報告によれば:

     12月16日、200名の男子が強制連行されていき、

     戻ってきたのはわずかに5名だった。

     12月17日と18日はまたそれぞれ

     26名と30名の男子が連れて行かれた。

     盗まれた品物は:現金、荷物、

     1袋の米、400セットの病院の布団。

     25才の中国男性が1人殺された。

     1人の老婆が激しく殴り倒され、

     20分後に死亡した。 

         (単渊寛)  

    64)12月18日、

     廣州路83号と85号の家には、

     540人の難民が住んでいる。

     12月13日から17日まで、

     この家は毎日三々五々群れをなす

     日本兵の略奪と脅かしを度々うけた。

     今日12月18日、そこで前代未聞の略奪が起った。

     若い女性が毎夜トラックで拉致され、

     強姦されて、翌朝になってようやく釈放された。

     現在までのところ30数名の婦人と

     若い女性が蹂躙され、

     女性と子供のなく声が夜通し絶えることがない。

     ここにおける状況はもはや言葉に言い尽くせない。    

         提出報告書の署名:ルイスS.C.スマイス

    1937年12月20日にまとめ、日本大使館に提出分

    72)12月19日、

     農科作物学部(注:金陵大学内)の

     労働者の1人が日本兵に10元奪われた。

     彼はすでに前の日に2.5元奪われていた。

     午後、部屋にいた2名の女性は日本兵に強姦され、

     夜になってさらに5名の婦人が日本兵に強姦された。   

         (高) 

    75)12月19日16時45分、

     ベイツ博士は平倉巷16号に

     大声で呼ばれて行った。

     この家に住んでいた難民は、

     数日前日本兵に追い出された

     (リッグス氏、スマイス博士とスティル氏が

     其の事件を目撃していた)。

     日本人はこの家のものをたった今

     奪い尽くしたばかりか、

     3階に火をつけたのだ。

     ベイツ博士は火を消そうとしたが、

     力及ばず、全焼してしまった。 

         (ベイツ)

    80)12月20日朝7時、

     マッカラムは大学病院から夜勤の帰り道で、

     大勢の女性と児童が

     大学へ逃げてくるのに出くわした。

     違う方向から来た3家族の人たちの

     話によると、彼らは昨夜家から追い出された。

     日本兵は家に火をつけて、焼いてしまった。   

         (マッカラム) 

    89)12月18日、

     日本兵は100人の難民がいる

     金陵大学農科作物系へ押し入り、

     屋外にいた女性を強姦しようとした。

     この家の主人は日本語が話せたので、

     妻子が屈辱を受けるに至らなかった。

    (第6区、第一難民収容所) 

    1937年12月21日にまとめ、日本大使館に提出分 

    101)12月21日午後3時、

     3名の日本将校が漢口路小学校の

     難民収容所の事務室に押し入り、

     職員が通訳を通して将校と

     話をしようとしたが、追い出された。

     将校は事務所で白昼堂々と2名の女性を強姦した。

         (鄭大成、難民収容所責任者)

    1937年12月22日にまとめ、日本大使館に提出分

    115)12月19日午後、

     五台山のアメリカンスク-ルで、

     日本兵が妊娠6ケ月半の19歳の妊婦を

     強姦しようとした。

     女性が反抗すると、

     日本兵は短刀や銃剣で彼女に切り付けた。

     彼女の胸と顔の切り傷は合計19ケ所になり、

     脚にも数箇所の切り傷がある。

     特に下半身には深い刀傷がある。

     胎児の心拍はすでに聞こえない。

     女性は目下大学病院に保護されている。  

         (ウィルソン医師)   

      注:この女性は李秀栄さんです。  

        1947年、李さんは南京の軍事法廷

        (戦犯裁判)の谷寿夫の公判で証言しました。     

        日本の作家村松俊夫氏が

        この被害者は別人であると誹謗する本

        「南京虐殺への大疑問」を出版したことから、

        李さんは村松氏と出版社の展転社を訴えました。

        1,2審勝訴、

        2006年に最高裁で勝訴が確定しました。  

        勝訴確定の前、

        2004年12月4日、86歳で亡くなりました。

    117)12月19日、

     金陵大学の蚕飼育場の

     難民収容所からの報告によれば、

     昨夜8時から深夜1時の間に、

     8名の女性が強姦され、

     その中の1人が刺されて怪我をした。

     さらに妻を保護しようとした男性4名も刺された。

     女性は拉致され、その後1人だけ帰ってきた。 

         (呉国京 第6区)

    123)12月22日、

     元郵便局職員である施望杰の

     今朝の報告によれば、

     郵便局に置いてある小包や

     手紙が入っている沢山の袋が

     日本兵に奪われた。 

         (スマイス博士)

    124)12月21日夜8時、

     宣教師資格訓練学校の難民収容所で、

     7人の女性が日本兵に強姦された。 

         (王明徳)

    1937年12月26日にまとめ、日本大使館に提出分

    138)12月22日、

     リッグスの住宅は今日再び略奪に遭い、

     そこにいた2名の女性が強姦された。

     夜になって、日本兵が再び押し入り、

     53歳の女性を強姦した。 

         (リッグス)

    139)12月13日、

     11歳の少女が父母と一緒に

     防空壕の入り口に立って

     日本人が進駐するのを眺めていた。

     1人の日本兵が銃剣で父親を刺し殺し、

     母親を撃ち殺した後、

     少女の腕を銃剣で激しく刺し、

     肘関節に傷を負わせた。

     この少女は他に兄弟姉妹もなく、

     1週間後になってようやく病院に送られてきた。 

         (ウィルソン医師)

    148)12月24日~25日夜、

     7名の日本兵が宣教師資格訓練学校

     難民収容所に押し入り、そこに一晩滞在した。

     25日朝9時と午後2時に、

     それぞれ4名と3名の日本兵が押し入り、

     衣服と現金を奪い、2人の女性を強姦した。

     その中の1人はわずか12歳だった。  

    154)1937年12月26日午後4時、

     13歳の少女が陳家巷6号で、

     3名の日本兵に強姦された

         (王)

    1937年12月30日にまとめ、日本大使館に提出分

    156)12月24日、

     日本兵は金陵大学農学院の

     アメリカ国旗を引き降ろした。

         (ベイツ)

    158)夜11時~12時の間、

     3人の日本兵が司令部から

     検査に派遣されたと称して、

     自動車に乗って大学の正門から入ってきた。

     門衛は脅かされて警報を出す事が出来なかった。

     また女性を捜すのに無理矢理つきあわされた。

     3人の娘がこの兵隊たちに強姦された

     (その中の一人は11歳になったばかりである)。

     その中の一人は拉致されて行った。

         (ベイツ)

    159)12月26日、

     この日は3~4人一組の兵隊が数組、

     延べ7度も宣教師資格訓練学校に押し入ってきた。

     数え切れない略奪でわずかに残っていた

     衣服、食品と現金も奪われてしまった。

     彼らは6名の女性と12歳の少女を強姦した。

     夜、12~14人で組んだ沢山の兵隊が

     4度も押し入り、20人の女性を強姦した。

         (ミルズ牧師)

    163)12月30日朝、

     4名の中国人が估衣廟を通りかかった時、

     日本兵に撃たれた。

     その場で一人が死亡した。

     もう一人もひどい傷を負った。

     今は大学病院にいるが、医師は

     治療できないのではないかと心配している。

         (ウイルソン医師)

     

    以下 次に続く

     

     

    つづきを読む

  • 南京安全区国際委員会

    2020/09/22
    11:37

    日本軍が南京に近づいてくる段階で、

    戦火に巻き込まれる市民や避難民を

    救済するために、決死の覚悟で南京に留まる事を

    決意した外国人たちによって

    難民区(safety zone 安全区)が作られました。

    組織は「南京安全区国際委員会」と呼ばれ、

    本部は国民政府軍の張群将軍が

    寧海路の官邸を提供しました。

    避難所としては学校を始め

    公共機関の施設などを利用して

    18ケ所が設けられました。

     

    ● 協力した外国人たちは大きく

     4つのグル-プに分けることが出来ます。

    1. アメリカ人のキリスト教関係で

     宗教的或いは人道的信念に基づいて

     南京にとどまった人。 

     職種は大学講師・医師・看護婦・宣教師等です

    2. 南京のアメリカ大使館メンバ-で

     上記のアメリカ人の保護のために残った人

    3. 南京のドイツ大使館やドイツ商社員。

    4. 外国人及びジャ-ナリスト  

     

    国際委員会は、1937年11月22日に

    市民の安全を守るための声明を発表し、

    アメリカ大使館を通じて

    中国と日本に難民区の安全の

    保障をするように申し入れました。

    ● 声明文の内容                       

       海軍無線 GA jr                       

       発信:南京 1937年11月22日                       

       平文電報            

       定時連絡            

       送信:米国政府、上海総領事、

          ワシントン国務長官、北京大使館            

       第944号、11月22日午後10時        

       下記文書中にある委員会より送信を依頼される

     デンマ-ク人、ドイツ人、イギリス人、

     アメリカ人より構成される国際委員会は、

     南京およびその近郊において、

     不幸にも戦闘が行われた際の避難場所として、

     安全区を設置することを

     日中両国の当局へ提起したい。

     国際委員会は、

     設定される安全区に関して、以下のような

     特別な条件を認めさせることを保証する。

     すなわち、同区内に軍事施設および

     通信所を含む事務所を置くことはできない、

     また同目的に使用することもできない。

     市民警察がピストルを携帯する以外は

     誰も武器を持つことはできない。

     何らかの戦闘能力を有する兵士および将校が、

     同区を通行することは許されない、など。

     国際委員会は、これらの約束事項が

     十分満足に履行されるように、

     安全区を検閲・監視するつもりである。

     国際委員会は、

     民間の避難民の面倒をみるのに

     便利で適当な場所として、

     以下に示す地域の指定をしたい。

     (中略:細かく地区を定めています)

     国際委員会は、

     安全区の境界を関係者に

     分かりやすく示すために、

     白旗か他の了解を得られた標識をもちいて

     はっきりと表示するつもりである。

     国際委員会は、

     両国の当局に提出した通告に対する

     双方の了解が得られた日をもって、

     安全区の効力が生ずることとしたい。

     国際委員会は、

     上記の条件がみたされた場合には、

     日本当局は人道的理由から、

     この安全区の民間的性格を

     尊重してくれるよう切に希望する。

     委員会は両国の責任ある当局が

     市民のために慈悲深い配慮を示すことが、

     双方に名誉をもたらすものと信じるものである。

     中国当局との必要な交渉を

     可能な限り短期的に達成するために、

     また難民を保護するための

     適切な準備がなされるために、

     委員会はこの提案に対する

     日本当局の即答を、

     喪心よりお願い申し上げる。        

     国際委員会は本アピ-ルにたいして、

     好意ある理解が得られるものと確信している。

     以上謹んで提案する。  

       注:この声明の最後にデンマ-ク人、

         ドイツ人、イギリス人、アメリカ人の

         15名の委員の名前が書かれていますが、

         後述の名前と重複しますので省略します。

     できるだけ早急に日本大使に伝えていただきたい。

     そして、当該の委員会に対する

     回答・文書を私宛に送ってください。 

     上海に送信、国務省・北京・上海・東京へ回送。

           ジョンソン(Johnson)

     

    この申し入れに対しての返事ですが、

    中国当局からは、

    委員会の提起した条件を

    全面的に遵守するという回答が

    アメリカ大使館に寄せられました。

    日本からは

    12月4日に上海の日本領事館を通して

    次のような回答がアメリカ大使館に出されました。

     

    ● 日本の回答(長いので要約します)

    海軍無線 平文電報 Cajr                                           

    発信:上海

    受信:南京、1937年12月5日                

    南京安全区                

    漢口・南京・北平アメリカ大使館、

    ワシントン国務長官宛

    1. 提案された地域が、

     南京城壁の内側にあってかつ広大であること、 

     安全区の周囲に効果的に

     外界との交通を遮断する自

     然の地形や建物がないことを考慮すると、 

     安全計画地域を維持する側に十

     分強力な人員(列強諸国)が備わっていなければ

     無理であると思われる。

    2. 提起された地域内や周辺には

     中国軍の施設や用地があって、 

     中国軍がそれを利用しないということは

     考えられない。

    3.   2.と重複するため 省略

    4. 日本当局は、安全区の発起人たちの

     高邁な動機には敬意を表するが、 

     同区を爆撃しないとか、

     砲撃しないとかの約束を

     与えられる立場にはない

    5. しかしながら、

     そこが中国軍によって軍事目的に

     使用されない限りにおいて、 

     また、中国軍が防衛施設を建設せず、

     さらに中国部隊を配置しない限りにおいて、 

     日本軍はそのような場所を

     攻撃する意図をいささかも有しないのは、

     当然と思われてよい・・・・

     

    その後安全区国際委員会から

    日本当局へのメッセ-ジと

    南京市民に告げる書が出されました。

    続けて書きます

     

    ● 南京安全区国際委員会より

         日本当局へのメッセ-ジ                      

       海軍無線 平文電報 EA

       発信:南京

       受信:1937年12月7日午前9時                

       上海総領事、ワシントン国務長官、

       漢口・北平米大使館宛        

    国際委員会からの以下のメッセ-ジを、

    大使館に代わって早急に

    日本大使に伝えてください。

    1. 国際委員会は

     日本当局からの返答を受け取り、

     指摘されているのと

     全く同じことを注意している。 

     中国軍当局はすでに、

     区内の軍事施設や用具を撤去しつつある。

     そこで委員会は安全区の境界に

     白地に丸赤十字(赤十字を円で囲んだもので、

     円は安全区を意味する)の旗をつけて、

     境界標示とする作業を進めている。 

     安全区の境界の角には

     地面か建物の屋根の上に 

     同じマ-クが印された大きな布を

     水平に広げておくことにする。

    2. 安全区にまだ残っている中国側の

     軍事要員の移動を促進する立場から、また、

     安全区に入り込んでいる

     多数の難民・市民の不安や切実な願いに

     かんがみて、国際委員会は、

     日本当局が安全区の準備が

     活発に進められている現時点においても、 

     また安全区の体裁が完全に

     整った後においても同様に、 

     爆撃や攻撃を控えてくれることを

     心から信じている。 

     国際委員会は、

     中国側が承認した条件を

     可及的速やかに実行させるべく、

     督促しているところである。

    3. 国際委員会は、

     日本当局の回答の第5項目に含まれている

     保証を、喜びをもって留意する。

     すなわち、「そこが中国軍によって

     軍事目的に使用されない限りにおいて、 

     また、中国軍が防衛施設を建設せず、

     さらに中国部隊を配置しない限りにおいて、 

     日本軍はそのような場所を攻撃する意図を

     いささかも有しないのは、 

     当然と思われてよい」ということである。

    4. 国際委員会は日本当局に対して、

     およそ15人から20人の外国人が、 

     安全区の業務を支援するために

     留まっていることを知らせておきたい。 

     これらの外国人が引き続き南京に留まっているのは、 

     安全区に対する中国および日本当局の

     十分な誠意を信頼しているからであり、 

     また、安全区の機能が十分に果たされるのを

     見届けたいという、 

     国際委員会の決意が堅固だからである。

            委員長 ラ-ベ(サイン)

    上海へ送信。国務省、漢口、北京へ転送。

    北京は東京の大使へ転送されたい。

                アチソン

     

    ● 国際委員会から南京市民に告げる書

           (原文中国語ビラ)       

     現在、南京の国際委員会も

     本市に同様な区域を設定すべく

     (上海事変の時安全区が作られたと同様に)

     建議いたしました。

     この区域の境界は以下の通りです。

     「東側の境界は中山北路広場まで。

     北側の境界は山西路広場から同路に沿って

     西へ西康路まで(すなわち新住宅区の西南境界の路)。

     西側の境界は西康路に沿って

     南へ漢口路との交差点まで

     (すなわち新住宅区の西南の隅)、

     そこから南東方向へ上海路との交差点まで

     直線で結んだところ。

     南側の境界は漢中路と上海路の

     交差点から出発地点の新街口まで。」

     この区域の境界には

     すべて旗を使って目印がしてあります。

     旗には赤十字のマ-クが描いてありますが、

     それ以外に赤丸のマ-クのもあります。

     さらにまた、旗には「難民区」の3字が書いてあります。

     上述の区域を民間人のための

     安全の場所とするために、

     防衛軍司令長官は、

     本区域内の兵士および軍事施設を

     一律に速やかに撤去し、

     以後一切軍人を本区に入れないことを

     承諾いたしました。

     日本は一方では「指定された区域に対して

     爆撃しないと請け負うことはすこぶる

     困難である」と言いながら、

     また一方では「日本軍は、軍事施設がなく

     軍事用工事・建設がなく、駐屯兵がおらず、

     さらに軍事的利用地でないような

     場所に対してはすべて、

     爆撃する意図を決して持っていない。

     それは当然のことである」と述べています。

     以上のような日中双方の承諾に鑑みて、

     われわれは指定された区域内にいれば、

     民間人は真に安全であるという

     希望を持っています。

     しかしながら、戦時下にあっては、

     何人といえども、その安全を保証することが

     できないのは当然です。

     それでもわれわれは、

     もし中日双方が共に彼らが承諾したことを

     遵守すれば、

     この区域内の人民は

     他のところの人民にくらべて、

     ずっと安全であることは

     間違いないと信じています。

     したがって市民の皆さん、

     本難民区へおいでになってはいかがでしょうか!

            南京難民区国際委員会

            民国26年(1937年)12月8日

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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