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キーワード「上海派遣軍」を含む投稿一覧

  • 南京戦に参加した日本軍 

    2020/10/02
    15:14

    南京戦には約20万人とも言われる

    日本軍が参加しました。

    第二次上海事変の昭和12年9月11日、

    臨参命第101号によって

    「上海派遣軍」が編成されました。

    さらに上海戦が苦戦していたため

    増援部隊として第10軍が

    杭州湾から上陸しました。

     

    昭和12年12月に

    大陸命第7号で上海派遣軍と第10軍は

    「中支那方面軍」に統合されました。

    その後絶えず編成は変化し、

    昭和13年2月に「中支那派遣軍」となりました。

     

    その部隊の全てが分かっているわけではありません。

    分かる範囲です。

    まず、上海派遣軍です。

    次に第10軍と海軍について書きます。

    上海派遣軍の最後に書いてある

    「野戦重砲兵第15連隊」や

    第10軍の「独立山砲兵第2連隊」は

    現在までに発見されている資料では

    詳しい事が分かっていません。

    野戦重砲兵第15連隊については

    全資料が私の手元にありますので

    後で別項目で詳しく書きます。

    1937年12月時点の内容をベースにして加筆しました。

     

    [陸軍]

    中支那方面軍 (司令官・松井石根大将)

    上海派遣軍 

      (司令官・朝香宮鳩彦王中将 

        参謀長・飯沼守少将)

     第3師団・名古屋 

        先遣隊(師団長・藤田進中将) 

        8月23日上陸開始

      歩兵第5旅団(旅団長・片山理一郎少将)

       歩兵第6連隊(名古屋 連隊長・川並密大佐)

       歩兵第68連隊(岐阜 連隊長・鷹森孝大佐)

      歩兵第29旅団(旅団長・上野勘一郎少将)

       歩兵第18連隊(豊橋 連隊長・石井嘉穂大佐)

       歩兵第34連隊(静岡 連隊長・田上八郎大佐)

      騎兵第3連隊(連隊長・星善太中佐)

      野砲兵第3連隊(連隊長・武田精一大佐)

      工兵第3連隊(連隊長・中島三栖夫大佐)

      輜重兵第3連隊(連隊長・栗岩尚治中佐)

     第9師団・金沢(師団長・吉住良輔中将)

               9月末~10初上陸

      歩兵第6旅団(金沢 旅団長・秋山義兌少将)

       歩兵第7連隊(金沢 連隊長・伊佐一男大佐)

       歩兵第35連隊(富山 連隊長・富士井末吉大佐)

      歩兵第18旅団(旅団長・井出宣時少将)

       歩兵第19連隊(敦賀 連隊長・人見秀三大佐)

       歩兵第36連隊(鯖江 連隊長・脇坂次郎大佐)

      騎兵第9連隊(金沢 連隊長・森吾六大佐)

      山砲兵第9連隊(金沢 連隊長・芹沢透大佐)

      工兵第9連隊(金沢 連隊長・野中利貞大佐)

      輜重兵第9連隊(金沢 連隊長・三田村正之助大佐)

     第11師団・善通寺(師団長・山室宗武中将)

                  8月23日上陸

      歩兵第10旅団(旅団長・天谷直次郎少将)

       歩兵第12連隊(丸亀 連隊長・安達二十三大佐)

       歩兵第22連隊(松山 連隊長・永津佐比重大佐)

      歩兵第22旅団(旅団長・黒岩義勝少将)

       歩兵第43連隊(徳島 連隊長・浅義雄大佐)

       歩兵第44連隊(高知 連隊長・和知鷹二大佐)

      騎兵第11連隊(連隊長・田辺勇中佐)

      山砲兵第11連隊(連隊長・山内保大佐)

      工兵第11連隊(連隊長・山内章大佐)

      輜重兵第11連隊(連隊長・大河原定大佐)

     第13師団(仙台 師団長 荻洲立兵中将

             参謀長 畑勇三郎大佐)

             9月末~10月初上陸

      歩兵第26旅団(旅団長・沼田徳重少将)

       歩兵第58連隊(高田 連隊長・倉林公任大佐)

       歩兵第116連隊(新発田 連隊長・添田孚大佐)

      歩兵第103旅団(旅団長・山田栴ニ少将)

       歩兵第65連隊(若松 連隊長 ・両角業作大佐)

        第1大隊(大隊長・田山芳雄少佐)

        第2大隊(大隊長・後藤常治少佐)

        第3大隊(大隊長・平顕美少佐)

       歩兵第104連隊(仙台 連隊長 田代元俊大佐)

        第1大隊(大隊長・高橋虎之助少佐)

        第2大隊(大隊長・斎藤淳一少佐)

        第3大隊(今不二雄少佐)

      騎兵第17連隊(連隊長・小野良三中佐)

      山砲兵第19連隊(高田 連隊長・横尾濶中佐)

       第1大隊(大隊長・松川信正少佐)

       第2大隊(大隊長・南條宏策少佐)

       第3大隊(大隊長・行方正一少佐)

      工兵第13連隊(連隊長・岩渕経夫少佐)

      輜重兵第13連隊(連隊長・新村理市少佐)

     第16師団・京都(師団長・中島今朝吾中将)

                 11月13、14日上陸  

      歩兵第19旅団(旅団長・草場辰己少将)            

       歩兵第9連隊(京都・滋賀 連隊長・片桐護郎大佐)            

       歩兵第20連隊(福知山 連隊長・大野宣明大佐)              

        第1大隊                

         第1~第4中隊                

         第1機関銃中隊                

         第1大隊砲小隊              

        第2大隊                

         第5~第8中隊                

         第2機関銃中隊              

        第3大隊                

        第9~第12中隊                

        第3機関銃中隊                

        第3大隊砲小隊          

      歩兵第30旅団(旅団長・佐々木到一少将)            

       歩兵第33連隊(津 連隊長・野田謙吾大佐)            

       歩兵第38連隊(奈良 連隊長・助川静ニ大佐)          

      騎兵第20連隊(京都 連隊長・笠井敏松中佐)           

      野戦重砲兵第22連隊(京都 連隊長・三国直福大佐)           

      工兵第16連隊(連隊長・今中武義大佐)           

      輜重兵第16連隊(連隊長・柄沢畔中佐)

     第100師団   後方警備

     第101師団・東京(師団長・伊東政喜中将)

               9月末~10月初上陸

      歩兵第101旅団(旅団長 佐藤正三郎少将)

       歩兵第101連隊(東京 連隊長・飯塚国五郎大佐)

       歩兵第149連隊(甲府 連隊長・津田辰参大佐)

      歩兵第102旅団(旅団長 工藤義雄少将)

       歩兵第103連隊(東京 連隊長・谷川幸造大佐)

       歩兵第157連隊(佐倉 連隊長・福井浩太郎大佐)

      騎兵第101連隊(連隊長・大島久忠大佐)

      野砲兵第101連隊(連隊長・山田秀之助中佐)

      工兵第101連隊(連隊長・八隅錦三郎大佐)

      輜重兵第101連隊(連隊長・鳥海勝雄中佐)

     重藤支隊・台湾(重藤千秋少将)

               9月18日上陸

      台湾歩兵第1連隊(連隊長・佐藤要大佐)

      台湾歩兵第2連隊(連隊長・高橋良大大佐)

      台湾山砲連隊(連隊長・中島要吉大佐)

      野戦銃砲兵第5旅団(旅団長・内山英太郎少将)

     他 直轄部隊

      独立機関銃第1大隊(大隊長・浦野清治郎歩兵少佐)

      独立機関銃第2大隊(大隊長・皆博武久歩兵少佐)

      独立機関銃第7大隊(大隊長・平柳源吾歩兵中佐)

      戦車第1大隊(大隊長・岩中義治歩兵大佐)

      戦車第5大隊(大隊長・細見惟雄歩兵中佐)

      独立軽装甲車第2中隊(中隊長・藤田實彦歩兵少佐)

      独立軽装甲車第6中隊(中隊長・井上直造歩兵中尉)

      独立軽装甲車第7中隊(中隊長・矢口昂歩兵中尉)

      独立軽装甲車第8中隊(中隊長・福田林治歩兵大尉)

      野戦重砲兵第10連隊(連隊長・長屋朝生砲兵中佐)

     野戦重砲兵第15連隊(連隊長・街道長作砲兵少佐)

              上海派遣軍直轄 9月26日上陸 

       注:本隊は近衛師団、臨時編成の機械化部隊。

         少佐が連隊長になるのは珍しい

      以下多くの小部隊省略

     

    次は陸軍の第10軍です。

    第10軍は上海派遣軍と共に

    中支那方面軍を構成し、

    杭州湾から強制上陸しました。

     

    陸軍

    中支那方面軍

    第10軍(司令官・柳川平助中将  

        参謀長・磯田三郎大佐)

     第6師団(熊本 師団長・谷寿夫少将)

                11月5日上陸

      歩兵第11旅団(旅団長・坂井徳太郎少将)

       歩兵第13連隊(熊本 連隊長・岡本保之大佐)

       歩兵第47連隊(大分 連隊長・長谷川正憲大佐)

      歩兵第36旅団(旅団長・牛島満少将)

       歩兵第23連隊(都城 連隊長・岡本鎮臣大佐)

       歩兵第45連隊(鹿児島 連隊長・竹下義晴・大佐)

      騎兵第6連隊(熊本 連隊長・猪木近太中佐)

      野戦重砲兵第6連隊(熊本 連隊長・藤村謙中佐)

      独立山砲兵第2連隊(久留米)

      工兵第6連隊(熊本 連隊長・中村誠一大佐)

      輜重兵第6連隊(熊本 連隊長・川真田国衛大佐)

     第18師団(久留米 師団長・牛島貞雄中将)

                    11月5日上陸

      歩兵第23旅団(旅団長・上野亀甫少将)

       歩兵第55連隊(大村 連隊長・野副昌徳大佐)

       歩兵第56連隊(久留米 連隊長・藤山三郎中佐)

      歩兵第35旅団(旅団長・手塚省三少将)

       歩兵第114連隊(小倉 連隊長・片岡角次大佐)

       歩兵第124連隊(福岡 連隊長・小堺芳松大佐)

      騎兵第22大隊(久留米 大隊長・小池昌次中佐)

      野砲兵第12連隊(久留米 連隊長・浅野末吉中佐)

      工兵第12 連隊(久留米 連隊長・井沢新大佐)

      輜重兵第12連隊(久留米 連隊長・川内益実大佐)

     第114師団(宇都宮 師団長・末松茂治中将)

                     11月5日上陸

      歩兵第127旅団(旅団長・秋山充三郎少将)

       歩兵第66連隊(宇都宮 連隊長・山田常太中佐)

       歩兵第102連隊(水戸 連隊長・千葉小太郎大佐)

      歩兵第128旅団(旅団長・奥保夫少将)

       歩兵第115連隊(高崎 連隊長・矢ケ崎節三中佐)

       歩兵第150連隊(松本 連隊長・山本重省中佐)

      騎兵第118大隊(大隊長・天城幹七郎少佐)

      野戦重砲兵第120連隊(連隊長・大塚昇中佐)

      工兵第114連隊(連隊長・野口勝之助少佐)

      輜重兵第114連隊(連隊長・中島秀次少佐)

     国崎支隊(歩兵第9旅団司令部 支隊長・国崎昇少将)

      歩兵第第41連隊(福山 連隊長・山田鐵次郎大佐)

      独立山砲兵第3連隊(久留米 連隊長・月野木正大佐)

     野戦銃砲兵第6旅団(旅団長・石田保道少将)

      野戦銃砲兵第13連隊

      野戦銃砲兵第14連隊(連隊長・井手龍男大佐戦死~

                      丸山八束中佐)

      旅団輜重隊

     

    次は海軍です

    海軍

    支那方面艦隊 (司令官長谷川清中将)

     第3艦隊

      第11戦隊

     

     

     

    つづきを読む

  • 参謀本部の増派決定

    2020/09/07
    13:33

    9月に入り天皇の意向を受けて

    上海に増派が始まりました。

     

    ● 9月6日   

     重藤支隊―台湾守備司令官重藤千秋少将が

     指揮する台湾歩兵第1、第2連隊及び     

     華北から後備歩兵10個大隊等

     

    ● 9月21日 

     上海派遣軍として次の部隊が派遣された

     9月27日から上陸

      第9師団      

     10月1日から上陸

      第13師団(特設師団・後備役兵を召集して

      臨時編成した。高年齢である)

                             

     9月22日から上陸

      第101師団(同上)

      野戦重砲兵第5旅団

     9月26日上陸

      野戦重砲兵第15連隊(特設連隊・

        本隊は近衛野戦重砲兵第8連隊)              

      第16師団 追加派遣

      その他

     

    ● 10月上旬  

     参謀本部は杭州湾の上陸作戦を決定し、 

     第10軍が編成(軍司令官柳川平助中将)された。

      第6師団

      第18師団

      第114師団

      国崎支隊(第5師団の一部で、歩兵第9旅団長

        国崎登少将指揮の歩兵第41連隊基幹)

     

    ● 11月5日 

     第10軍(司令官柳川平助中将)の

     3個師団余が杭州湾北岸に奇襲上陸。

     

    ● 11月6日 

     「日軍百万上陸杭州北岸」の

     アドバル-ンが上海にあがった。

     

    ● 11月7日 

     上海派遣軍と第10軍を合せて

     中支那方面軍の編合が発令され、

     松井石根大将が上海派遣軍との

     兼任司令官になりました。

      注:編合は仮の編成の事               

        戦闘序列は天皇が命ずる正式の編成

     

    ● 11月13日、

     第16師団は白茆江に上陸成功

     

    当初日本の参謀本部は

    中国軍の力を余りにも過小に判断して、

    簡単に終わらせる事が出来るという

    非常に甘い判断をしていました。

    ところが実際には中国国民政府の

    70万人もの軍隊のト-チカ陣地は強固で、

    民族意識の高まりからくる中国軍兵士の

    果敢なる抵抗に日本軍は莫大な損害を出しました。

    11月8日までに戦死9115名、

    戦傷3万1257名と合計4万人を越えてしまいました。

    第3師団や第11師団はほぼ全員が

    補充兵と入れ替わるほどだったといわれています。

    中国側の戦死者は25万人前後と言われています。

          (石島紀之「中国抗日戦争史」)

     

    準備不足で始まった上海戦は、

    軍中央の制止にも関わらず

    現地軍の暴走で拡大していきました。

    大本営も引きづられて

    結局拡大の方向に変化していったのです。

    増派で優位になった日本軍が南京へ進撃を開始したとき、

    予定外の暴走で食糧や準備が不足していた上に

    今まで受けた損害から中国兵に対して敵愾心を持ったため、

    民間人の殺害、略奪、強姦などが増えたのだと思われます。

     

     

    つづきを読む

  • 第二次上海事変から全面戦へと拡大 1

    2020/09/04
    16:28

    大山中尉殺害事件は1937年8月9日です。

    その後事件はどのように拡大し、

    事変になったのか時間の流れで見ます。

    非常に手っ取り早く事が進むのがわかります。

     

    8月10日から書きます。

     

    ● 8月10日 

     呉海兵集団の呉第2特別陸戦隊が出航、

     13日から上海での戦闘開始

     

    ● 8月10日(同日)  

     海軍軍令部は「大山事件対処方針と時局処理方針」を決定

     

    「大山事件対処方針と時局処理方針」

    要旨

     大山事件の解決は将来この種事件の

     根絶を期する方針とし、

     左記要求事項の充足を目途として

     交渉するを要す。

     而して支那側当事者に於て

     解決実行に対し誠意を示さざるに於ては、

     実力を以て之を強制するも

     敢えて辞せざる決意あるを要す。

    要求事項

     1. 事件責任者の陳謝及処刑

     2. 将来に対する保障

    (1)停戦協定地区内に於ける

      保安隊員数、装備、駐屯地の制限

    (2)右地区に於ける陣地の防衛施設の撤去

    (3)右の実行を監視すべき日支兵団委員会の設置

    (4)排抗日の取締励行

     

    ● 8月10、

     軍令部や伏見宮総長から

     海軍省に陸兵派遣の要請が出されたが、

     米内海軍大臣は和平交渉が進行中のため

     陸軍派兵は見送る方針を表明した

     

    ● 8月12日 

     上記海軍の要求事項を受けて

     中国国民党は中央常任委員会を開催し、  

     蒋介石軍事委員会委員長は

     「承認することは不可能」

     「戦闘準備の命令」を出しました。

     

    ● 8月12日(同日)  

     海軍軍令部総長伏見宮から

     長谷川清第三艦隊司令長官に

     機密電報による指示がされた。

     ◎機密電報

    1. 第三艦隊司令長官は

     敵総攻撃し来らば上海居留民保護に

     必要なる地域を確保すると共に  

     機を失せず航空兵力を撃破すべし

    2. 兵力の支出に関する制限を解除す

     

    ● 8月12日(同日)  

     軍令部第一部長の近藤中将から

     第三艦隊司令長官宛に

     陸軍の派兵に関する機密電報が出された。

     ◎機密電報

      陸軍出兵は未決定なるも出兵の場合は

      2個師団同時派兵のことに協定しあり。

      但し陸軍の前進攻撃行動開始は

      概ね動員20日後なるに付、

      其の間海軍陸戦隊の戦闘

      正面は成るべく之を拡大することなく、

      陸軍派兵を待つ如く考慮あり度。

       注1:陸軍の準備は

           20日要するということです。

             このことでも海軍が事前準備を

          していたことがこれでも分かります。

       注2:石原莞爾中将回応答録から

           今次の上海出兵は海軍が

           引きずって行ったものといっても

           差し支えないと思う・・・・

           私は上海に絶対に出兵したくなかったが、

           実は前に海軍と 出兵する協定がある・・・・

     

    ● 8月12日(同日)  

     第三艦隊司令長官は

     南京等への空襲命令を発令し、

     第1連合航空隊、第2連合航空隊は

     出撃待機を整えた。

     

    ● 8月12日(同日)  

     長谷川第三艦隊司令長官は

     陸軍派兵をの緊急要請をした。

     首相、海相、陸相、外相の

     緊急4相会議が開かれ、

     陸軍の上海派兵が決定された。

     

    ● 8月13日   

     長谷川清第三艦隊司令長官は東京に

     「此の際、速やかに陸軍派兵促進緊要なり

     と認む」と打電した。

     軍令部から「本13日陸軍派兵決定せり、

     派兵時機兵数等に就いては追って通知す」の

     電報が上海に打電された。

     

    ● 8月13日(同日)  

     長谷川清第三艦隊司令長官から

     次の命令が出された。

     (命令)

     明14日空襲を実施する場合

     航空部隊の任務行動を左の通予定す

     1.敵情  

       第三艦隊機密第558及561番電の通

     2.空襲部隊は全力を挙げて

      敵航空基地を急襲し、

      敵航空兵力を覆滅すべし。 

      此の場合飛行機隊の行動は

      特に隠密を旨とし

      高高度天象の利用に務るものとす。

     3.空襲目標

      第2空襲部隊 

       第2航空戦隊 南京・広徳・杭州

      第3空襲部隊(台湾部隊) 

       第1連合航空隊鹿屋隊 南昌

      第8・第1航空戦隊及第1水雷隊飛行機  

       虹橋

      第1空襲部隊 

       第1航空戦隊及第3空襲部隊(大村部隊)

      第1連合航空隊木更津隊を

       使用し得る場合は追って令す。

     4.飛行隊の進発及攻撃時期は特令す。

     内容:此の際、速やかに陸軍派兵促進緊要なりと認む

     

    ● 8月13日 

     日本での閣議では派兵に消極的だった

     石原作戦部長の意見は抑えられた。

     

    ● 8月14日 10時頃、

     中国軍は先制攻撃を開始し、

     中国空軍は第3艦隊旗艦「出雲」や

     陸戦隊本部、日本人学校を攻撃した。   

     先制攻撃されて長谷川長官は怒り、

     嵐の中にもかかわらず出撃を命令した。

      注:実は12日に出撃命令を出し、

        13日に攻撃する予定が嵐のため

        14日に延期されたのです。

          先制攻撃するつもりが先にされてしまったのです。

     

    ● 同日  

     政府は名古屋の第3師団及び

     善通寺の第11師団の出兵を決定した

     

    ● 同日     

     臨時閣議で消極的だった米内光政海相も

     「出雲」を攻撃されたことから

     「不拡大方針」の放棄を主張し、

     南京占領の提言も始めました。 

     上海への陸軍の派遣を決定しました。

     

    ● 同日  

     軍令部は次の海軍声明を発表した。

     ◎本14日午前10時頃、支那飛行機10数機は

      我艦船、陸戦隊本部及総領事館等に対し

      爆撃を加うるの不法を敢えてし、

      暴戻言語に絶す。  

      帝国海軍は今日迄隠忍を重ね来りしが、  

      今や必要にして且有効なる

      あらゆる手段を執らざるべからずに至れる・・・・

     

     ● 同日  

     中国軍の暗号を解読して攻撃を

     予想していた海軍は、渡洋爆撃を開始しました。

     

    ● 同日  

     「軍令部は大海令第13号」を発令

     1. 帝国は上海に派兵し、

      同地に於ける帝国臣民を保護するとともに

      当面の支那軍を撃破するに決す

     2. 第3艦隊司令長官は・・・・

      所要の地域を確保し、

      同方面における敵陸軍

      及中支那に於ける敵航空兵力を

      撃破すると共に所要海面を制圧し、

      必要に応じ敵艦隊を撃破すべし・・・・

     注:海軍は政府や陸軍よりも先に

       不拡大方針を止めて全面戦争を準備したのです。

       つまり7月12日の海軍軍令部

       「対支作戦計画内案」の第二段階に突入したのです。      

          海軍の計画通りに仕掛けが成功したのです。

         

    ● 同日 夕方、

     広徳及び杭州の飛行場爆撃

     

    ● 8月15日 南昌及び南京の飛行場爆撃

     

    ● 8月15日(同日)  

     午前1時半、近衛内閣は下記の

     帝国政府声明を発表した。

     ◎帝国政府声明

       事変発生いらいしばしば

      声明したるごとく、

      帝国は隠忍に重ね事件の不拡大を方針とし、  

      つとめて平和的かつ局地的に

      処理せんと企図し・・・・

      (南京政府は)兵を集めて

      いよいよ挑発的態度を露骨にし、  

      上海においてはついに、

      我に向って砲火を開き、

      帝国軍艦に対して爆撃を加わうるにいたれり。  

      かくのごとく支那側が帝国を侮辱して

      不法暴虐いたらざるなく、  

      全支にわたる我が居留民の

      生命財産危殆に陥るにおよんでは、  

      帝国としてはもはや隠忍その限度にたっし、

      支那軍の暴戻を膺懲し、

      もって南京政府の反省を促すため、

      今や断乎たる措置をとるのやむなきにいたれり。

     注:暴戻-ぼうれい、ぼうるい・・・

       残酷で人道に外れている事

          膺懲-打ち懲らしめる事

     

    ● 同日  

     国民党政府は総動員を下令し

     蒋介石は自ら陸海空の総司令官に就任し、 

      中国共産党は「抗日救国十大綱領」を

     宣言し全面戦争は開始されたのです。

     

    ● 同日 

     上海派遣軍が編成され、

     予備役の松井石根大将を指揮官として   

     名古屋の第3師団、善通寺の第11師団

     (天谷支隊を除く)の派遣命令が出ました。   

     その任務の範囲は「海軍と協力して

     上海付近の敵を掃滅し上海並びに

     その北方地区の要線を占領し

     帝国臣民を保護すべし」いう

     限定されたものでした。

      注:米内海相や軍部に追従していった

        近衛首相の様子を批判している

        外交官もいました。

        石射 外務省東亜局長の日記を見ます

     

    ◎石射猪太郎 外務省東亜局長の日記から

     8月13日 

      上海では今朝9時過ぎから

      とうとう打ち出した。

      平和工作一頓挫である。・・・・ 

      海軍もだんだん狼になりつつある

      同14日 

      海軍は南京を空爆すると云う。

      とめたが聴きそうもない。 

      陸戦隊は日本人保護なんかの使命は

      どこかに吹きとばして今や本腰に喧嘩だ。 

      もう我慢ならぬと海軍の声明

      同16日 

      豊田軍務局長も事態を知るが故に

      停戦を欲して居るのだが、 

      海軍部内の昂奮に手が出ないようだ

        同31日 

      近衛首相の議会草稿を見る。

      軍部に強いられた案であるに相違ない。 

      支那を膺懲とある。 

      排日抗日をやめさせるには

      最後までブッたたかねばならぬとある。 

      彼は日本をどこへ持って行くというのか。 

      アキレはてた非常時首相だ。 

      彼はダメダ

     

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