敗戦後1948年と翌年に当時の文部省は
少年少女向けに「民主主義」という冊子を発行しました。
多くの日本人やアジアの人々を犠牲にした侵略戦争を反省し、
良い戦争も悪い戦争も「もう戦はいやだ」と言う思いで、
政府も国民もすべて平和を願っていたことがわかります。
一つ上の項目の戦争責任調査も同じことです。
挿絵はすべて一流の画家や漫画家が
担当していることも国の姿勢がうかがえます。
内容はについては「週間金曜日」に少し掲載されましたので
知っている方も多いと思います。
現在の政府と比較すると
あまりにも逆のことが書いてありますし、
危惧されている通りになっています。
現在の政治家やマスコミ関係者に学んでもらいたい冊子です。
要点を記載します。
「はしがき」
・・・・これからの日本にとっては、
民主主義になりきる以外に、
国として立って行く道はない。
これからの日本人としては、
民主主義をわがものとする以外に、
人間として生きていく道はない。
それは、ポツダム宣言を受諾した時以来の
堅い約束である。
しかし、民主主義は、
約束だからというのでしかたなしに歩かされる
道であってはならない。
それは、自分から進んで
その道を歩こうとする人々に対してのみ
開かれた道であり、
その人たちの努力次第で、
必ず反映と建設とに導く道である。
われわれ日本国民は、
自ら進んで民主主義の道を歩み、
戦争で一度は見るかげもなくなった祖国を再建して、
われわれ自身の生活に
希望と繁栄とを取りもどさなければならない。
ことに日本を再建するというこの仕事は、
今日の少年少女諸君の双肩にかかっている。
その意味で、すべての日本国民が、
ことに、すべての少年少女諸君が、
この本を読んで、
民主主義の理解を深められることを切望する。
第1章 民主主義の本質
民主主義の根本精神
・・・・政治上の制度としての
民主主義ももとより大切であるが、
それよりもっとたいせつなのは、
民主主義の精神をつかむことである。
なぜならば、民主主義の根本は、
精神的な態度にほかならないからである。
それでは、民主主義の根本精神はなんであろうか、
それは、つまり、人間の尊重ということにほかならない。
人間が人間として自分自身を尊重し、
互いに他人を尊重しあうということは、
政治上の問題や議員の候補者についての
賛成や反対の投票をするよりも、
はるかに大切な民主主義の心構えである。・・・・
自分自身を人間として尊重するものは、
同じように、
すべての他人を人間として尊重しなければならない。・・・・
自らの権利を主張する者は、
他人の権利を重んじなければならない。
自己の自由を主張する者は、
他人の自由に深い敬意を払わなければならない。
そこから出て来るものは、お
互いの理解と好意と信頼であり、
すべての人間の平等性の承認である。・・・・
下から上への権威
民主主義の反対は独裁主義である。
独裁主義は権威主義とも呼ばれる。
なぜならば、独裁主義の下では、
上に立って者が権威を独占して、
下にある人々を思うがままに動かすからである。・・・・
専制政治には国王がある。
権門政治には門閥がある。
金権政治には財閥がある。
そういう人々にとっては、
一般の者はただ服従させておきさえすれば
よい動物にすぎない。・・・・
文明が向上し、人知が発達して来るにつれて、
専制主義や独裁主義のやり方も
だんだんとじょうずになってくる。
独裁者たちは、彼らの貪欲な、
傲慢な動機を露骨に示さないで、
それを道徳だの、国家の名誉だの、
民族の繁栄だのというよそ行きの着物で飾るほうが、
いっそう都合がよいし、
効果も上げるということを発見した。
帝国の光栄を守るというような美名の下に、
人々は服従し、馬車うまのように働き、
一命を投げ出して戦った。・・・・
現にそういう風にして
日本も無謀きわまる戦争を始め、
その戦争は最も悲惨な敗北に終り、
国民のすべてが独裁政治によってもたらされた
塗炭の苦しみを骨身にしみて味わった。
これからの日本では、
そういうことは二度と再び起こらないと思うかもしれない。
しかし、そういって安心していることはできない。
独裁主義は、民主化されたはずの今後の日本にも、
いつ、どこから忍びこんで来るかわからないのである。
独裁政治を利用しようとする者は、
今度はまたやり方を変えて、
もっとじょうずになるだろう。
今度はだれもが反対できない
民主主義という一番美しい名前を借りて、
こうするのがみんなのためだと言って、
人々をあやつろうとするだろう。
弁舌でおだてたり、金力で誘惑したり、
世の中をわざと混乱におとしいれ、
その混乱に乗じてじょうずに
宣伝したり、手を変え、品を変えて、
自分の野望をなんとか物にしようとする者が
出て来ないとは限らない。・・・・
それを打ち破る方法は、ただ一つある。
それは、国民のみんなが政治的に賢明になることである。
人に言われて、その通りに動くのではなく、
自分の判断で、正しいものと正しくないものとを
かみわけることができるようになることである。
民主主義は、「国民のための政治」であるが、
何が、「国民のための政治」であるかを
自分で判断できないようでは
民主国家の国民とはいわれない。
民主主義の国民生活
・・・・民主主義の政治には二つの型があるが、
どちらの場合にも、政治の権威は国民にある。
言い換えると、
政治の方針の決定者は、国民でなければならない。・・・・
全体主義の特色は、個人よりも国家を重んずる点にある。
世に中で一番尊いものは、強大な国家であり、
個人は国家を強大ならしめるための手段であるとみる。
独裁者はそのために必要とあれば、
個人を犠牲にしてもかまわないと考える。
もっとも、そう言っただけでは、
国民が忠実に働かないといけないから、
独裁者といわれる人々は、
国家さえ強くなれば、
すぐに国民の生活も高まるようになると約束する。
あとでこの約束が守れなくなっても、
言いわけはいくらでもできる。
もう少しのしんぼうだ。
もう五年、いや、もう十年がまんすれば、
万事うまく行く、などと言う。
それもむずかしければ、
現在の国民は、子孫の繁栄のために
犠牲にならなければならないと言う。
その間にも、独裁者たちの権力欲は
際限もなくひろがって行く。
やがて、祖国を列国の包囲から守れとか、
もっと生命線をひろげなければならない、とか言って、
いよいよ戦争をするようになる。
過去の日本でも、すべてがそういう調子で、
一部の権力者たちの考えている通りに運んで行った。
つまり、全体主義は国家が栄えるにつれて国民が栄えるという。
そうして、戦争という大ばくちを打って、元も子もなくしてしまう。・・・・
自由と平等
民主主義は、国民を個人として尊重する。
したがって民主主義は、
社会の秩序および公共の福祉と両立する限り
個人にできるだけ多くの自由を認める。
各人が生活を経営し、幸福を築き上げて行くことは、
他人に譲り渡すことのできない自然の権利であるとみる。・・・・
民主主義が重んずる自由の中でも、
とりわけ重要な意味を持つものは、
言論に自由である。
事実に基づかない判断ほど
危険なものはないということは、
日本人が最近の不幸な戦争中
いやというほど経験したところである。
ゆえに、新聞は事実を書き、
ラジオは事実を伝える責任がある。
国民は、これらの事実に基づいて、
各自に良心的な判断を下し、
その意見を自由に交換する。
それによって、批判的に物事を見る目が養われ、
政治上の意見を高める訓練が与えられる。・・・・
これに反して、独裁主義は、
独裁者にとって都合のよいことだけを宣伝するために、
国民の目や耳から事実をおおい隠すことにつとめる。
正確な事実を伝える報道は、
統制され、差し押さえられる。
そうして、独裁者の気に入るような意見以外は、
あらゆる言論が封ぜられる。・・・・
注:現在、NHK、サンケイ、読売を始めとした
多くの報道機関はまさにこのように
権力の監視と事実の報道と言う
ジャナ-リズムの使命を放棄しています。
世界の中で日本の報道の信頼度が
かなり低いことは問題になっています。
第4章 選挙権
選挙の権利と選挙の義務
・・・・世の中には政治に無頓着な人が少なくない。
そういう人々には大別して二つの型がある。
第一の型に属するものは、
相当に知識もあり、能力もありながら、
かえってそのために、
政治をくだらないこととして見おろそうとする人々である。
かれらは、政治のことに夢中になる人々を
いやしむ傾きがある。
そのくせ、自分よりくだらないと考える人間が
権力を握ってしまうと、
そのことをだれよりも慨嘆するのは、
かれら自身なのである。
これに対して、もう一つの型に属するのは、
政治などということは、
自分たちにはわからない高いところにある
事柄だと思う人々である。・・・・
第5章 多数決
多数決原理に対する疑問
・・・・多数の意見だから
必ず正しいと言いうるであろうか。
少数の賛成者しか得られないから、そ
の主張はまちがっていると考えてよいものであろうか。
そうは言えないことは、もとより明らかである。
実際には、多数で決めたことがあやまりであることもある。
少数の意見の方が正しいこともある。
むしろ、少数のすぐれた人々が
じっくりと物を考えて下した判断の方が、
おおぜいでがやがやと付和雷同する意見よりも
正しいことが多いであろう。・・・・
民主主義の落とし穴
なんでも多数の力で押し通し、
正しい少数の意見には
耳もかさないというふうになれば、
それはまさに「多数党の横暴である」
民主主義は、この弊害を、
なんとかして防いで行かなければならない。
多数決という方法は、用い方によっては、
多数党の横暴という弊を招くばかりではなく、
民主主義そのものの
根底を破壊するような結果に陥ることがある。
なぜならば、多数の力さえ獲得すれば
どんなことでもできるということになると、
多数の勢いに乗じて一つの政治方針だけを
絶対に正しいものにまでまつり上げ、
いっさいの反対や批判を封じ去って、一
挙に独裁政治体制を作り上げてしまうことができるからである。・・・・
多数決と言論の自由
多数決の方法に伴うかような弊害を防ぐためには、
何よりもまず言論の自由を重んじなければならない。
言論の自由こそは、
民主主義をあらゆる独裁主義の野望から守るたてであり、
安全弁である。・・・・
言論の自由ということは、個人意思の尊重であり、
したがって、
少数意見を尊重しなければならないのは、そのためである。・・・・
第6章 覚めた有権者
民主主義と世論
新聞や雑誌やラジオや講演会などは、
用い方いかんによっては、
世論を正しく伝える代わりに、
ありもしない世論をあるように作り上げたり、
ある一つの立場にだけに有利なように
世論を曲げて行ったりする
非常に有力な手段ともなりうる。
もしも、自分たちだけの利益を図り、
社会の利益を省みない少数の人々が、
巨額の金を投じて新聞や雑誌を買収し、
一方的な意見や、
ありもしない事実を書き立てさせるならば、
国民大衆が実際には反対である事柄を、
あたかもそれを欲しているように見せかけることができる。
そうして、
国民の代表者がそれにだまされるだけではなく、
国民自身すらも、
いつのまにかそれをそうだと
思いこんでしまうこともまれではない。
宣伝機関
・・・・国民をめくらにし、
権力者が宣伝機関を独占する
最も危険なやり方である。
言論機関に対する統制と検閲こそ、
独裁者の用いる一番有力な武器なのである。・・・・
だから自由な言論の下で真実を発見する道は、
国民が「目ざめた有権者」になる以外はない。
目ざめた有権者は、最も確かな嘘発見器である。
国民さえ賢明ならば、
新聞がうそを書いても売れないから、
真実を報道するようになる。
国民の正しい批判には勝てないから、
新聞や、雑誌のような宣伝機関は
真の世論を反映するようになる。
それによって政治が常に正しい方向に向けられて行くのだ。
第7章 政治と国民
人任せの政治と自分たちの政治
・・・・政治を人任せにしておいてよいものだろうか。
国民の知らないうちに
政治家たちによって戦争が計画され、
夫やむすこを戦場に奪い去られ、
あげくの果ては、家を焼かれ、財産を失い、
食べるものにも窮するような悲惨な境遇に
おとしいれられたのは、
ついこの間のことではなかったか。
政治のやり方が悪いために、
一番ひどい目に合うのは、
ほかならぬ国民自身である。
反対に、よい政治が行われることによって、
その利益を身にしみて感じる立場にある者も、
また国民自身である。
国民は政治を知らなければならない。
政治に深い関心を持たなければならない。
自分たちの力で政治を良くして行くという
強い決意をいだかなければならない。
政党
・・・・独裁主義は、反対党の存在を許さない。
したがって、一国一党などといって、
権力で思想を統制してしまう。
これに反して、
民主主義は言論の自由と政党を選ぶ自由とをたっとぶ。
だから、多数党が政権を握っても、
かならずその反対党があって、
政府のやることを遠慮なく批判する。
それによって、政府や多数党も
自分の政策について反省することにもなるし、
国民も、どういうところに問題があり、
それについてそういう考え方が
ありうるかを知ることができる。
少数党の意見は多数決によって否決されても、
その見解が正しければ、
だんだんと国民の支持を得て、
少数党も多数党に成長する。
第8章 社会生活における民主主義
個人主義
・・・・民主主義に反対するものは、
独裁主義である。
ゆえに独裁主義は個人主義を排斥する。
そうして、その代わりに全体主義を主張する。
全体主義は、個人を尊重しないで、
個人をこえた社会全体を尊重する。
民族全体とか国家全体とかいうようなものを、
一番尊いものと考える。
・・・・なるほど、
民族や国家はたいせつなものである。
しかし、民族のひとりひとりが栄えないで、
どこに民族全体の繁栄がありえようか。
国民のすべてを犠牲にして、
どうして国全体が発展する余地があるであろうか。
・・・・それなのに、個人の尊さを否定して、
社会全体を絶対に尊いものだと教え込むのは、
独裁主義のからく以外の何ものでもない。
独裁者は、国民にそういうことを教えこんで、
国民が犠牲をいとわないようにしむける。
そうして、これは民族のためだ、
国家のためだといって、
「滅私奉公」の政策を強要する。
その間に、戦争を計画し、戦争を準備する。
戦争ほど個人の犠牲を大量に必要とするものはない。
だから、戦争という大ばくちをやろうとする者は、
国家のために命をささげるのが
尊いことだと思い込ませる。
道徳も、宗教も、教育も、
すべてそういう政策の道具につかわれる。
第16章 国際生活と民主主義
民主主義と世界平和
・・・・戦争を好むのは、
戦争によって野心を満足させようとする
一部の政治家や、軍閥や戦時済 によって
大もうけをしようと企てる財閥だけである。
だから、国民の多数の意見が
政治を動かすしくみになっていれば、
戦争の起こるおそれは非常に少なくなる。・・・・
反して、専制主義の国では、
政治の実権を握っている少数の者が
戦争をしたいと思えば、
国民の大多数が心から反対していても、
戦争が起こるおそれがある。・・・・
政府は自分の国が正しくて
相手が悪いのだと国民に思いこませるために、
あらゆる巧妙な宣伝をするから、
国民もだんだんとその気になる。
いったん戦争になってしまえば、
国民には愛国心もあり、敵愾心もあるから、
はっきり負けと決まるまでは、
もうやめるわけにはゆかなくなる。
だから、外国と戦うことを計画する者は、
まず国内の組織を専制主義に切り換え、
議会を無力にし、行政権とともに立法権をも
政府の手に握って、思うままの政治をするのである。
第17章 民主主義のもたらすもの
討論と実行(最後のむすび)
日本の将来の希望は、
かかって、今まで人類の経てきたいろいろな経験を生かして、
討論しつつ実行し、実行しつつ討論する、
国民すべての自主的な意思と努力とのうえに輝いている。・・・・
日本人が日本を見捨てない限り、
世界は日本を見捨てはしない。
民主主義の理想は遠い。
しかし、そこへいたるための道が開かれうるか否かは、
われわれが一致協力して
その道を切り開くか否かにかかっている。
意思のあるところには、道がある。
国民みんなの意思でその道を求め、
国民みんなの力でその道を開き、
民主主義の約束する国民みんなの
安全と幸福と繁栄とを築き上げていこうではないか。
以上
文部省がこの冊子を作った時期の内閣は、
芦田均~吉田茂内閣です。
保守政党民主自由党です。
つまり現在の自由民主党の前身です。
戦後平和を維持してきた保守政党が、
現在急に戦前に回帰しているのです。
改めて、小学校~高校の教材として
この教材を要約して使用出来たら良いと思います。