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キーワード「小野賢二」を含む投稿一覧

  • 第65連隊の記録 1

    2020/09/26
    16:39

    前の項目で「野戦重砲兵第15連隊」の

    行動記録を書きました。

    ここでは別の部隊「第13師団山田支隊」の

    記録を転載します。

    2015年と2018年の2回、

    日本テレビ系列のBS日テレや

    NNNドキュメントでこの部隊のことを放映しました。

    かなり詳しい内容でよく調査されていました。

    この資料が出版されたのは

    1996年3月14日ですから、

    テレビ放映の19年も前になります。

     

    「第13師団山田支隊の記録」

    南京に近くなった12月11日、

    中国軍の退路を遮断する為に

    上海派遣軍は第13師団に支隊を編成しました。

    山田支隊です。

     

    福島在住の民間研究者「小野賢二」氏は

    1990年頃からこの山田支隊に所属した

    歩兵第65連隊と

    山砲兵第19連隊第3大隊兵士の

    陣中日記、戦闘日記や

    出征日誌等の調査を始め、

    1996年に調査資料を

    「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち・大月書店」

    として出版しました。

     

    その結果全ての捕虜は虐殺された事が分かりました。

    ほとんどの日本兵は

    仮名となっていますが、

    大変重要な証拠資料なので掲載します。

     

    資料は山田支隊に所属した

    次の2つの部隊に所属する兵士の日記です。

    ◎歩兵第65連隊

      (若松 連隊長 両角業作大佐)の3つの大隊

    ◎山砲兵第19連隊

      (越後高田 連隊長 横尾濶中佐)の第3大隊

     

    「当時の新聞記事」

    まず当時の新聞の内容です。

    読みやすく漢字等を修正、不明の字は○にしました。

     

    ● 東京朝日新聞 号外 1937年12月16日   

     ☆両角部隊大武勲         

      敵兵一万五千余を捕虜

       (南京にて横田特派員15日発)

      鎭江から揚子江岸を強く進撃した

      両角部隊は13日烏龍山、

      14日朝幕府山2砲台を占領したが、

      その際南京城から雪崩を打って

      敗走して来た第18師、88師

      及び軍官学校教導総隊等

      総数一万四千七百七十七名の敵軍と出会い、

      敵は白旗を掲げて降服、

      両角部隊は寡兵をもってよく

      一万四千余の全部を捕虜とする大武勲を樹てた

     

    ● 東京朝日福島版  1937年12月17日     

     ☆おゝでかした両角部隊          

      捕虜一万五千とは           

      何と凄い武勲だ             

      県下に又々歓喜爆発      

      「両角部隊大武勲敵兵一万五千余を捕虜」の

      快ニュ-スが昨16日朝、

      本社特電によって報道されるや

      全県下ははち切れれんばかりの

      爆発的歓喜に包まれ

      「でかしたでかした」と出征家族の門前には

      感謝感激の日の丸が躍り出で

      町といわず村といわず、

      この日の丸の下で譬へようのない

      喜びの挨拶が交はされ学校では

      早速教室で教材に取り上げられる。

      生徒児童の万歳の爆発となり

      県○初め官庁銀行会社等も

      この快ニュ-スで仕事も手につかない有様 

      「白旗を立てゝ降参するに至れり・・」とは痛快だ、

      思ひ切って一人残らず屠殺してやればよいのに、

      と老若男女一様に南京陥落の祝賀の興奮

      消えやりぬ胸を再び沸き立たせ、

      同夜各家庭の晩餐は心からなる

      祝杯と万歳の声で大賑わいだった

     

    ● 福島民友新聞 1937年12月17日

     ☆両角部隊大殊勲    

      一万五千の敵を捕虜      

      燦!幕府山砲台占領        

      南京にて15日発 

      さきに○山の堅塁を抜き鎮江を経て、

      揚子江岸を長躯進撃した両角部隊は

      13日には烏龍山、

      14日朝は南京の北方幕府山の

      両砲台を占領したが、

      その際南京城内から

      雪崩を打って敗走してきた

      第18師、第37師、第34師、

      88師及び軍官学校、教導総隊等

      総数一万四千七百七十七名の敵軍と出会い、

      敵は白旗を掲げて両角部隊の軍門に降り、

      同部隊は寡兵よくこの大敵軍を

      捕虜とする無比の殊勲を樹てた

     

    次は実際の兵士の日記等を書きます。

     

     

     

    つづきを読む

  • 上海戦から南京陥落前後までの事件

    2020/09/21
    12:22

    上海で日本軍はかなり苦戦したため

    多くの日本兵も戦死しました。

    その様な状態で南京へ急進撃をしましたから、

    先頭の部隊だけどんどん先行し、

    馬、車両は遅れ、行李・輜重さらに

    補充部隊は後から第一線を

    追いかけることになりました。

    上海での苦戦での恨みも加わって

    まるでイナゴの大群に襲われたように

    略奪と虐殺がが行われたと言われます。

    そのため日本軍は皇軍と言わずに

    蝗軍(イナゴ)と言われた位です。

     

    上海に上陸した時からの

    日本側の残された僅かな資料の中にも、

    殺害・強姦・略奪の証拠が見られます。

     

    ● 第10軍参謀長・田辺盛武少将

          「支那住民に対する注意」(原文カナ)

     上海方面の戦場においては、

     一般の支那住民は老人、女、子供と

     言えども敵の間諜を勤め、

     或いは日本軍の位置を敵に知らしめ、

     或いは敵を誘導して日本軍を襲撃せしめ、

     或いは日本軍の単独兵に危害を加える等、

     まことに油断なり難し実例多きをもって、

     特に注意を必要とす、

     特に後方部隊において然りとす、

     かくの如き行為を認めし場合において、

     いささかも仮借することなく

     断固たる処置を執るべし

      注:第10軍では一般の支那住民は老人、

        女、子供でも殺害してもよいという命令です

     

    ● 松本重治・同盟通信社上海支局長「上海時代」から        

     (柳川兵団に従軍していた同盟記者の話として)

     柳川兵団(第10軍)の進撃が速いのは、

     将兵の間に、略奪・強盗勝手放題という

     暗黙の了解があるからだ

     

    ● 第13師団歩兵第116連隊の

       10月21日から11月1日までの戦闘詳報(原文カナ) 

     鹵獲表 俘虜 准士官下士官兵  29    

     備考 俘虜は全部戦闘中なるを以って之を射殺せり

     

    ● 同 第2大隊11月11日の大隊命令(原文カナ)

     一般の良民は総て城内に避難しあるを以って、

     城外にある一切の者は

     敵意を有するもの認め之を殲滅す・・・・

     掃討にあたりては家屋を焼却するを

     便とするを以って之が材料を準備すること・・・          

      注:城外にいるものを総て殺し、

        家屋を焼き払う道具を準備せよ

     

    南京戦に参加した各部隊兵士の

    陣中日記や個人日記がだんだん発見されてきました。

    この記録は本人が現場で書いた

    記録ですから重要な証拠になります。

    中でも福島県の小野賢二氏が

    発見した大量の陣中日記があります。

    この内容は独立した項目として

    後で詳しく書きます。

     

    ● 永井仁左右軍曹、戦後のメモおよび

        陣中日記  野戦重砲兵第15連隊

     ☆途中無錫で腕にホーソ-の跡のある者を

      兵士として処置した      

     ☆上海戦であるとき一人の老婆が

      何処に隠れていたのか歩兵に引っ張って来られた。  

      暑い盛りに綿入れの黒い服を着て

      汚れて青い顔は痩せていた。  

      その内「行け」と言って突き放されて逃げ出すと、

      背中へ一発小銃を打ち込まれ、  

      倒れるとき振り返ったその顔の恐ろしかった事、

      今でも目に浮かぶ      

     ☆隣の中隊の召集少尉は日暮里の或る寺の僧侶で、

      話も上手だが何よりも殺すのが好きで、  

      人の分まで引き受けて首を切っていた。  

      切っては拝んでいた。     

     ☆12月14日       

      観測所より敵を発見、

      あまりに大部隊のため、

      砲撃をちゅうちょしていたら

      白旗が見えたので、

      歩兵1個中隊が出向き、

      そのうち1万5千から2万を俘虜として連行、

      武装を解除した。・・・・

      俘虜があまりに多いので、

      砲兵団長が適当に処置しろといわれたと伝聞した。

      誰でも何人でも引き取って

      切りたいりたいだけ切ってよいとか、いろいろあった。

      城壁の隅に多数押し込め鉄条網を張り

      機関銃で射殺したり、

      石油で焼き殺した部隊もあった。

     

    ● 牧原信夫上等兵の陣中日記  

       京都第16師団歩兵第20連隊第3機関銃中隊 

     11月22日 

      道路上には支那兵の死体、

      民衆および婦人の死体が見づらい様子で

      のびていたのも可愛そうである。

      ・・・・橋の付近には5,6個の支那軍の死体が

      焼かれたり、あるいは首をはねられて倒れている。

      話では砲兵隊の将校がためし切をやったそうである。

     11月26日 

      自分たちが休憩している場所に

      4名の敗残兵がぼやっと現れたので

      早速捕らえようとしたが、

      1名は残念ながら逃がし、

      あと3名は捕らえた。

      兵隊たちは2名をエンピ(小型シャベル)や

      十字鍬で叩き殺し、

      1名は本部に連行、通訳が調べた後銃殺した。         

      8時半、宿舎に就く。

     11月27日 

      支那人のメリケン粉を焼いて食う。

      休憩中に家に隠れていた敗残兵をなぐり殺す。

      支那人2名を連れて11時出発す・・・・

      鉄道線路上を前進す。

      休憩中に5,6軒の藁ぶきの家を焼いた。

      炎は天高くもえあがり、気持ちがせいせいした。

     11月28日 

      橋本与一は船で逃げる5,6名を発見、

      照準をつけ1名射殺。

      掃蕩はすでにこの時から始まったのである。

      自分たちが前進するにつれ

      支那人の若い者が先を競って逃げて行く。

      何のために逃げるのか分からないが、

      逃げるものは怪しいと見て射殺する。          

      部落の12,3家に付火するとたちまち

      火は全村を包み全くの火の海である。

      老人が2,3人いて可哀想だったが

      命令だから仕方がない。

      次ぎ、次ぎと3部落を全焼さす。

      そのうえ5,6名を射殺する。

      意気揚々とあがる

     11月29日 

      武進は抗日、排日の根拠地であるため全町掃蕩し、

      老若男女をとわず全員銃殺す。・・・

      3時過ぎ、12中隊は5~6人の支那人を集め、

      手榴弾を投げて殺していた。

      壕にはまった奴はなかなか死ななかった。

     11月30日 

      昨日昼食した所へ行ってみると、

      昨日殺した支那人がまだ橋の下に

      ぷかぷかと浮いていた。・・・・

      昼食を終えて午後1時、

      南城門出発することになった。

      本道路上の休憩中チョット見ると

      焼け跡に双児の死体が土にうずもれて

      まったく可愛そうである。

     12月 1日 

      途中の部落を全部掃蕩し、

      また舟にて逃げる2名の敗残兵を射殺し、

      或いは火をつけて部落を焼き払って前進する       

     12月4日 

      昨夜は大変に寒くて困った。

      2,3日は滞在の予定だというので、

      今度こそは一服だということで早速徴発にでる。

      自分は炊事当番で

      岡山、関本と共に昼食を準備する。

      徴発隊は鶏・白菜をもって帰り、

      家の豚も殺して昼食は肉汁である。

     

    ● 某衛生兵の日記 

       京都第16師団歩兵第20連隊近藤大隊       

     11月29日 常州            

      午前10時出発、常州の敵を掃討に行く。

      正午入城す。

      住民を殺せの命により、

      全部で80人程老若男女を一まとめにし、

      夕方銃殺す。

      最初にして最後の光景ならん。

      全部一ヶ所に集める。

      念仏をとなえるもの、泣くもの、助けを乞うもの、

      惨状にまったく目もあてられず、

      やがてひびく重機関銃により、

      バタバタ悲鳴をあげて倒れる光景は、

      まったく心を鬼にしても見ておられぬ。

      実際戦争は悲惨である。

     

    ● 或る戦いの軌跡-岩崎昌治陣中書簡 

          岩崎稔 近代文藝社より      

     日本軍も戦地では観兵式で

     見るような兵隊様ではなくなります。

     相当に自分の部下を、

     戦友を殺し傷つけて居る為

     気でも狂って居る様です。

     支那人さえ見れば、

     「やっつけろ」で、すぐに永の旅です。

     又、彼等1名でも生きて

     味方の陣地に帰ったらさもなくも

     宣伝上手な支那人です。・・・・

     内地に居らるゝ人も此の気持ち、

     苦しい気持ち、

     良民と判って居ても殺さなくてはならない

     気持ちは良くわかってもらえるでせう・・・・

     

     

     

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