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キーワード「岡崎勝男」を含む投稿一覧

  • 国際委員会が日本・米国大使館に提出した報告書 1

    2020/10/09
    13:31

    南京安全区国際委員会は

    あまりにもひどい日本軍の暴挙を

    何とか食い止めようと、

    日本やアメリカの大使館に

    報告書を提出しています。

    色々なメンバ-の報告を

    委員長のジョン・ラーベがとりまとめて、

    その都度通し番号をつけて提出しました。

    外務省に送られた報告書は

    敗戦時の徹底した焼却処分のため残っていません。

    報告書の通し番号ですが、

    以前早稲田大学の洞富雄教授がまとめた

    資料集では英文翻訳として444項目でした。

    今回中国語版が完成し、

    その資料では426項目になっています。

    いずれにしても相当な量の報告書です。

    ここでは中国語版を日本語に

    訳したものを紹介します。

    報告書番号の1番は1937年12月15日

    つまり南京陥落後2日目から始まり、

    最後の426番は1938年2月5日まであります。

    よく戦争だから多少の殺害や強姦はしょうがない、

    どこの国でもあることだ・・・と言う人がいます。

    しかし南京戦の被害は

    主として南京戦が終了してから起きています。

    問題はこれらの報告は現地日本大使館では

    きちんと受け取り、日本の外務省に報告していた事です。

    外務省では政府や軍中央にきちんと報告していますから、

    当時の日本政府や軍は南京事件を

    全部知っていた事になります。

    政府や軍中央が現地軍を押さえ切れなかった、

    つまり現地軍は勝手気ままに

    やりたい放題していたことになります。

    勿論国民には一切知らされていませんでした。

     

    ● 石射猪太郎 外務省東亜局長 

       東京裁判での宣誓口述書    

     1937年12月13日頃、我軍が南京に入場する。

     其のあとを逐つて、

     我南京総領事代理(福井淳氏)も

     上海から南京に復帰した。

     同総領事代理から本省への最初の現場報告は

     我軍のアトロシティ-ズ(強姦・掠奪・放火を含む)に

     関するものであった。

     此の電信報告は遅滞なく東亜局から

     陸軍省軍務局長宛に送付された。

     当時、外務大臣は此の報告に驚き且心配して、

     私に対し早く何とかせねばならぬと

     御話しがあったので、

     私は電信写しは既に陸軍省に

     送付されて居る事、

     陸海外三省事務当局連絡会議の席上、

     私から軍当局に警告すべき事を大臣に御答へした。

     其の直後、連絡会議が私の事務室で行われ・・・・

     其の席上、私は陸軍省軍務局第一課長に対し

     右アトロシティ-ズ問題を提起し、

     苟も聖戦と称し皇軍と称する戦争に於いて

     これは余にもヒドイ、

     早速厳重措置をする事を申し入れた。

     同課長も全く同感で、右申入れを受入れた。

     其の後いくばくもなくして

     在南京総領事代理から

     書面報告が本省へ到着した。

     それは南京在住の第三国人で組織された

     国際安全委員会が作成した

     我軍アトロシティ-ズの詳報であって、

     英文でタイプされてあり、

     それを我南京総領事館で受付け、

     本省に輸送して来たものである。

    注:これが今回の報告書です

     私は逐一之に目を通し、

     其の概要を直ちに大臣に報告した。

     そして大臣の意を受けて、

     私は次の連絡会議の席上、

     陸軍軍務局第一課長に其の報告書を提示し、

     重ねて厳重措置方を要望したが、

     軍は最早既に現地軍に

     厳重に云ってやったとの話であった。

     其の後、現地軍のアトロシティ-ズは

     大分下火になった。

     翌1938年1月の末頃と記憶するが、

     陸軍中央は特に人を現地軍に派遣したあとで、

     其の派遣された人物は

     本間少将であることがわかった。

     それ以降、南京アトロシティ-ズは終止した。

     

    ● 岡崎勝男 東京裁判での宣誓口述書(原文カナ)

        岡崎氏は事件当時南京の

        無任所総領事として事件の処理をした。

     南京安全地帯国際委員会は、

     同市内において行われたと主

     張せられている暴行に関する報告を

     南京駐在の日本領事に行い、

     そして私が南京滞在中、

     同市内の事態についてほとんど毎日

     私の所へ話しに来ました。

     福田篤泰氏は当時、

     大使館付きの外交官補でありました。・・・・

     南京安全地帯国際委員会の報告は

     南京の日本領事館で受取りました時、

     その報告書の概要は電報で東京に送られ、

     報告書その物もまた郵便で

     東京の外務省に送られました。

     

    [報告書内容]

     この報告書は安全区の国際委員会の

     報告ですから、安全区内のことが中心になります。     

     そのためいわゆる大量虐殺には

     あまり触れられていません。

     強姦の被害が目立ちます。        

         注:最初の数字は報告書番号、

          日付は報告書を書いた日、

          番号と前後している事もあります。

          最後の人名はラ-ベに報告をした人です。

          名前がないのはラ-ベ自身です。

          読めない字は○にしました。

     

    1937年12月16日にまとめ、日本大使館に提出分

    1)12月15日、

     安全区衛生委員会第2区の6名の

     街路清掃工は、鼓楼にある住宅で、

     押し入ってきた日本兵に殺された。

     別の清掃工1人は、

     なんのはっきりした理由もなく、

     日本兵に銃剣で刺され重態である。

     この人たちは全員安全区の雇用員である    

    4)12月15日夜、

     7人の日本兵が金陵大学図書館ビルに押し入り、

     中国人の女性7人を拉致して行った。

     其の中の3名の女性はその場で強姦された。   

    6)12月14日、

     明らかに引率将校のいない

     日本兵30名が捜査を名目に、

     大学病院と看護婦の寝室に押し入った。

     病院の職員たちは組織的な略奪を受けた。

     盗まれた品物は:万年筆6本、現金180元、

     時計4つ、病院の包帯2巻、懐中電灯2つ、

     手袋2つと毛糸セータ-1枚である。  

    10)12月14日昼頃、

     日本兵が○銀巷のある家に押し入り、

     4名の若い女性を拉致していった。

     強姦された後、彼女たちは、

     2時間後に釈放された。  

    12)12月14日夜、

     11名の日本兵が○銀巷のもう1軒の家に

     押し入り、4名の中国女性を強姦した。

    15)12月15日、

     日本兵は漢口路の中国人民家へ押し入り、

     若い中国女性を強姦した後、

     3名の女性を拉致していった。

     その中2名の女性の夫が

     日本兵の後を追いかけていったが、

     この2名の男性はその場で日本兵に射殺された。

     前にのべたように、

     われわれ委員会の外国人メンバ-は

     以上の事実をすでに確かめている。

        提出報告書の署名:ルイスS.C.スマイス

    1937年12月19日にまとめ、日本大使館に提出分

    16)12月15日、

     銃剣で刺された1人の中国人が大学病院に来た。

     彼の話によれば、日本兵は

     彼と他5名の中国人男性を安全区から拉致し、

     下関へ弾薬を運ぶよう命令した。

     下関に着くと、彼ら6人は

     日本兵に銃剣で突き刺され、

     彼1人だけが幸いにも生き残って、

     金陵大学病院へ治療を受けに来たという。    

         (ウイルソン医師)

    18)12月15日、

     日本兵の一群が小桃園わきの

     金陵大学の建物に押し入り、

     30名の女性を強姦した。

     中には6回も輪姦された女性がいた。   

         (ゾ-ン)  

    20)12月16日夜、

     7名の日本兵がアメリカ大学(注:金陵大学)の

     建物に押し入り、窓ガラスを破り、略奪をした。

     大学側が時計と女性を差し出さないと、

     彼らは銃剣で何人もの大学職員を

     刺しまくって、怪我をさせ、

     さらに建物の中にいた女性多数を強姦した。  

         (ベイツ博士)

    43)12月17日、

     三元巷付近で2名の娘が

     多数の日本兵に輪姦された。 

         (王)

    45)12月17日、

     多くの女性が五台山小学校に

     強制的に拉致され、夜通し強姦され、

     翌朝やっと解放された。

         (王)  

    55)12月18日夜、

     450人の女性が助けを求めて

     我々のビルに逃げてきた。

     彼女たちは中庭の露天で一夜を過ごした。

     これまでに、その中の多くの女性が

     日本軍に強姦されている。  

         (フィッチ)

    62)12月18日、

     陸軍大学の難民収容所からきた報告によれば:

     12月16日、200名の男子が強制連行されていき、

     戻ってきたのはわずかに5名だった。

     12月17日と18日はまたそれぞれ

     26名と30名の男子が連れて行かれた。

     盗まれた品物は:現金、荷物、

     1袋の米、400セットの病院の布団。

     25才の中国男性が1人殺された。

     1人の老婆が激しく殴り倒され、

     20分後に死亡した。 

         (単渊寛)  

    64)12月18日、

     廣州路83号と85号の家には、

     540人の難民が住んでいる。

     12月13日から17日まで、

     この家は毎日三々五々群れをなす

     日本兵の略奪と脅かしを度々うけた。

     今日12月18日、そこで前代未聞の略奪が起った。

     若い女性が毎夜トラックで拉致され、

     強姦されて、翌朝になってようやく釈放された。

     現在までのところ30数名の婦人と

     若い女性が蹂躙され、

     女性と子供のなく声が夜通し絶えることがない。

     ここにおける状況はもはや言葉に言い尽くせない。    

         提出報告書の署名:ルイスS.C.スマイス

    1937年12月20日にまとめ、日本大使館に提出分

    72)12月19日、

     農科作物学部(注:金陵大学内)の

     労働者の1人が日本兵に10元奪われた。

     彼はすでに前の日に2.5元奪われていた。

     午後、部屋にいた2名の女性は日本兵に強姦され、

     夜になってさらに5名の婦人が日本兵に強姦された。   

         (高) 

    75)12月19日16時45分、

     ベイツ博士は平倉巷16号に

     大声で呼ばれて行った。

     この家に住んでいた難民は、

     数日前日本兵に追い出された

     (リッグス氏、スマイス博士とスティル氏が

     其の事件を目撃していた)。

     日本人はこの家のものをたった今

     奪い尽くしたばかりか、

     3階に火をつけたのだ。

     ベイツ博士は火を消そうとしたが、

     力及ばず、全焼してしまった。 

         (ベイツ)

    80)12月20日朝7時、

     マッカラムは大学病院から夜勤の帰り道で、

     大勢の女性と児童が

     大学へ逃げてくるのに出くわした。

     違う方向から来た3家族の人たちの

     話によると、彼らは昨夜家から追い出された。

     日本兵は家に火をつけて、焼いてしまった。   

         (マッカラム) 

    89)12月18日、

     日本兵は100人の難民がいる

     金陵大学農科作物系へ押し入り、

     屋外にいた女性を強姦しようとした。

     この家の主人は日本語が話せたので、

     妻子が屈辱を受けるに至らなかった。

    (第6区、第一難民収容所) 

    1937年12月21日にまとめ、日本大使館に提出分 

    101)12月21日午後3時、

     3名の日本将校が漢口路小学校の

     難民収容所の事務室に押し入り、

     職員が通訳を通して将校と

     話をしようとしたが、追い出された。

     将校は事務所で白昼堂々と2名の女性を強姦した。

         (鄭大成、難民収容所責任者)

    1937年12月22日にまとめ、日本大使館に提出分

    115)12月19日午後、

     五台山のアメリカンスク-ルで、

     日本兵が妊娠6ケ月半の19歳の妊婦を

     強姦しようとした。

     女性が反抗すると、

     日本兵は短刀や銃剣で彼女に切り付けた。

     彼女の胸と顔の切り傷は合計19ケ所になり、

     脚にも数箇所の切り傷がある。

     特に下半身には深い刀傷がある。

     胎児の心拍はすでに聞こえない。

     女性は目下大学病院に保護されている。  

         (ウィルソン医師)   

      注:この女性は李秀栄さんです。  

        1947年、李さんは南京の軍事法廷

        (戦犯裁判)の谷寿夫の公判で証言しました。     

        日本の作家村松俊夫氏が

        この被害者は別人であると誹謗する本

        「南京虐殺への大疑問」を出版したことから、

        李さんは村松氏と出版社の展転社を訴えました。

        1,2審勝訴、

        2006年に最高裁で勝訴が確定しました。  

        勝訴確定の前、

        2004年12月4日、86歳で亡くなりました。

    117)12月19日、

     金陵大学の蚕飼育場の

     難民収容所からの報告によれば、

     昨夜8時から深夜1時の間に、

     8名の女性が強姦され、

     その中の1人が刺されて怪我をした。

     さらに妻を保護しようとした男性4名も刺された。

     女性は拉致され、その後1人だけ帰ってきた。 

         (呉国京 第6区)

    123)12月22日、

     元郵便局職員である施望杰の

     今朝の報告によれば、

     郵便局に置いてある小包や

     手紙が入っている沢山の袋が

     日本兵に奪われた。 

         (スマイス博士)

    124)12月21日夜8時、

     宣教師資格訓練学校の難民収容所で、

     7人の女性が日本兵に強姦された。 

         (王明徳)

    1937年12月26日にまとめ、日本大使館に提出分

    138)12月22日、

     リッグスの住宅は今日再び略奪に遭い、

     そこにいた2名の女性が強姦された。

     夜になって、日本兵が再び押し入り、

     53歳の女性を強姦した。 

         (リッグス)

    139)12月13日、

     11歳の少女が父母と一緒に

     防空壕の入り口に立って

     日本人が進駐するのを眺めていた。

     1人の日本兵が銃剣で父親を刺し殺し、

     母親を撃ち殺した後、

     少女の腕を銃剣で激しく刺し、

     肘関節に傷を負わせた。

     この少女は他に兄弟姉妹もなく、

     1週間後になってようやく病院に送られてきた。 

         (ウィルソン医師)

    148)12月24日~25日夜、

     7名の日本兵が宣教師資格訓練学校

     難民収容所に押し入り、そこに一晩滞在した。

     25日朝9時と午後2時に、

     それぞれ4名と3名の日本兵が押し入り、

     衣服と現金を奪い、2人の女性を強姦した。

     その中の1人はわずか12歳だった。  

    154)1937年12月26日午後4時、

     13歳の少女が陳家巷6号で、

     3名の日本兵に強姦された

         (王)

    1937年12月30日にまとめ、日本大使館に提出分

    156)12月24日、

     日本兵は金陵大学農学院の

     アメリカ国旗を引き降ろした。

         (ベイツ)

    158)夜11時~12時の間、

     3人の日本兵が司令部から

     検査に派遣されたと称して、

     自動車に乗って大学の正門から入ってきた。

     門衛は脅かされて警報を出す事が出来なかった。

     また女性を捜すのに無理矢理つきあわされた。

     3人の娘がこの兵隊たちに強姦された

     (その中の一人は11歳になったばかりである)。

     その中の一人は拉致されて行った。

         (ベイツ)

    159)12月26日、

     この日は3~4人一組の兵隊が数組、

     延べ7度も宣教師資格訓練学校に押し入ってきた。

     数え切れない略奪でわずかに残っていた

     衣服、食品と現金も奪われてしまった。

     彼らは6名の女性と12歳の少女を強姦した。

     夜、12~14人で組んだ沢山の兵隊が

     4度も押し入り、20人の女性を強姦した。

         (ミルズ牧師)

    163)12月30日朝、

     4名の中国人が估衣廟を通りかかった時、

     日本兵に撃たれた。

     その場で一人が死亡した。

     もう一人もひどい傷を負った。

     今は大学病院にいるが、医師は

     治療できないのではないかと心配している。

         (ウイルソン医師)

     

    以下 次に続く

     

     

    つづきを読む

  • 極東国際軍事裁判 2

    2020/10/09
    11:50

    日本側の弁護人側証人の宣誓口述書を

    2人を掲載します。

     

    ● 石射供述書 外務省東亜局長石射猪太郎    

     (1937年)12月13日頃、

     我が軍が南京に入城する。

     その後を追って、我が南京総領事代理(福井淳氏)も

     上海から南京に復帰した。

     同総領事代理から本省への

     最初の現場報告はアトロシテ-ズ

     「それは南京に入城したわが軍による

     強姦・放火・掠奪というようなことを

     含んでおりました」に関するものであった。

     この電信報告は遅滞なく東亜局から

     陸軍省軍務局長宛に送付された。

     当時、外務大臣はこの報告に驚きかつ心配して、

     私に対し早く何とかせねばならぬと

     お話があったので、

     私は電信写しは既に陸軍省に送付されている事、

     陸海外三省事務当局連絡会議の席上、

     私から軍当局に警告すべき事を大臣にお答えした。

     この直後、連絡会議が私の事務所で行われ・・・・

     その席上、

     私は陸軍省軍務局第一課長に対し

     右アトロシテ-ズ問題を提起し、

     いやしくも聖戦と称し皇軍と称する

     戦争においてこれは余りにひどい、

     早速厳重措置をする事を切実に申し入れた。

     同課長もまったく同感で、右申入れを受け入れた。

     その後いくばくもなくして

     在南京総領事代理から書面報告が

     本省へ到着した。

     それは南京在住の第三国人で組織された

     国際安全委員会が作成した

     我軍アトロシテ-ズの詳報であって、

     英文でタイプされてあり、

     それを我南京総領事館で受付け、

     本省に輸送してきたものである。

     私は逐一これに目を 通し、

     その概要を直ちに大臣に報告した。・・・・・

     

    ● 岡崎勝男供述書   

        中国駐在の無任所総領事で

        南京での処理に当たった 原文カナ

     南京安全地帯国際委員会は、

     同市内において行われたと

     主張せられて居る暴行に関する報告を

     南京駐在の日本領事に行い、

     そして私が南京滞在中、

     同市内の事態についてほとんど毎日

     私のところに話しに来ました。

     福田篤泰氏は当時、

     大使館付の外交官補でありました。・・・・

     南京安全地帯国際委員会の報告は

     南京の日本領事館で受け取りました。

     その報告書の概要は電報で東京に送られ、

     報告書その物もまた郵便で

     東京の外務省に送られました。

     

    結局反論は反証の書証は僅か8通(内5通は却下)、

    証人は3人に過ぎなかったので、

    法廷はあっけにとられたまま

    (児島譲の回想録から)判決に進んだのです。

    現在よく言われる虐殺された人数ですが、

    実は虐殺の人数を決める事は

    検察側の目的ではありませんでした。

    東京裁判では

    非武装化した捕虜や一般市民が

    虐殺されたという事実を立証する事が目的で、

    100人なのか1万人なのか、10万人なのかといった

    数の問題ではなかったのです。

    ただし記録として推定総数はあります。

     ◎判決書には10万代の上位のほう     

     ◎判事の見解 総数20万人と思われる。

      多くの団体が埋葬した記録の総数15万5千人

     

    1946年4月30日付の朝日新聞に

    「第一級戦犯容疑者起訴状」が掲載されました。

     

    ● 起訴状の第二類殺人の訴因 付属書A [訴因45]

     被告荒木・橋本・畑・平沼・広田・板垣・

     賀屋・木戸・松井・武藤・鈴木及び梅津は、

     1937年(昭和12年)12月12日及び

     その後引き続き・・・・南京市を攻撃し、

     かつ国際法に反して該住民を鏖殺する事を

     日本軍に不当に命じ為さしめ、

     かつ許すことにより、

     不法に、目下その氏名及び員数不詳なる

     数万の中華民国の一般人及び武装を

     解除せられたる軍隊を殺害し、殺戮せり

     

    ● 付属文書A第二節中華民国の

        他の部分に於ける軍事的侵略  

     1937年12月13日頃、

     日本軍は南京を攻略し、

     数万の一般人を鏖殺し、

     かつその他非道なる行為を行いたり

     

    東京裁判のキーナン主席検事の

    冒頭陳述の要旨が朝日新聞に報道されています。

     

    ● 6月5日 朝日新聞 

     「残虐無比・南京事 到る處 人命無視の蛮行」      

     南京占領は俘虜、一般人、婦女子

     数万に対する組織的かつ残忍なる

     鏖殺、暴行並びに拷問及び、

     およそ軍事的必要を超えたる家

     屋財産の放埓無差別なる

     大量破壊を特徴として居る。

     この行為は普通「南京掠奪暴行事件」と

     呼ばれて居るが、

     近代戦史においてこれに匹敵する例はない。

     南京は日本人が彼等の侵略計画の一部として、

     その性質と規模において、

     殆ど信じ難いほどの残虐行為を遂行する事により、

     人民の戦意を破摧しようとした

     幾多の中華民国都市中の

     一つに過ぎなかったのである。

     この非人道的な戦闘型式は

     地理的分布および遂行のいずれもが

     極めて普遍的であった為に、

     事実上日本の軍事的侵略の

     凡ての場合を特色づけている。

     阿片が人民の士気を沮喪させ

     彼等の戦意を破摧する武器として

     且日本軍の資金調達の

     収入財源として使用せられた。

     パネイ号、レディバ-ド号

     その他の中立国艦船に対する攻撃も、

     人命及び財産に対する放恣にして

     無謀なる無視の追加的証拠として

     示されるであろう。

     

    ● 作家・石川達三氏の思い出 

        読売新聞1946年5月9日「語る石川達三氏」

        東京裁判に向けて           

        石川達三は昭和13年3月号の中央公論に

        小説「生きてゐる兵隊」を発表したが

        雑誌は発禁になり、

        石川氏は禁固4年執行猶予3年の刑を受けた。

     ・・・・かうして女をはずかしめ、

     殺害し、民家そのものを掠奪し、

     等々の暴行はいたるところで行われた。

     入城式におくれて正月私が南京に着いたとき、

     街上は死体累々大変なものだった。         

     大きな建物へ一般の中国人数千を

     おしこめて床へ手榴弾をおき、

     油を流して火をつけ焦熱地獄中で悶死させた。

     また武装解除した捕虜を連兵場へ

     あつめて実弾の一斉射撃で葬った。

     しまいには弾丸を使うのは

     もったいないとあって、

     揚子江へ長い桟橋を作り、

     河中へいくほど低くなるやうにしておいて、

     この上へ中国人を行列させ、

     先頭から順々に日本刀で首を切って

     河中につきおとしたり、

     逃げ口をふさがれた黒山のような

     捕虜が戸板や机へつかまって川を流れていくのを

     下流で待ちかまえた駆逐艦が

     いっせい射撃で片ッぱしから殺害した。  

     戦争中の興奮から兵隊が無軌道の行動に

     逸脱するのはありがちのことではあるが、

     南京の場合はいくら何でも無茶だと思った。

     三重県からきた片山某という従軍僧は

     読経なんかそっちのけで殺人をして歩いた。

     左手に数珠を持って民家にとびこみ、

     にげまどう武器なき支那兵をたたき殺してあるいた。

     その数は20名を下らない。

     彼の良心はそのことで少しも痛まず、

     部隊長や師団長のところで自慢話していた。

     支那へさへ行けば簡単に人も殺せるし

     女も勝手に出来るという考えが、

     日本人全体の中に

     永年培われてきたのではあるまいか。

     ただしこれらの虐殺や愚行を

     松井司令官が知っていたかどうかは知らぬ。

     「一般住民でも抵抗するものは

     容赦なく殺してもよろしい」という命令が

     首脳部からきたという話を聞いたことがあるが、

     それが師団長からきたものか

     部隊長からきたものなのかそれを知らなかった。

     何れにせよ南京の大量殺害というものは

     実にむごたらしいものだった。

     私たちの同胞によってこのことが

     おこなわれたことをよく反省し、

     その根絶のためにこんどの裁判を

     意義あらしめたいと思う。

     

    1946年7月26日、

    目撃者としてロバ-ト・ウイルソン医師が

    法廷証言をしました。

    そのことについて読売新聞の社説です。

     

    ● 1946年7月31日 読売新聞社説(若干読み易くしました)      

     南京暴行事件は、当時従軍したものならば

     多かれ少なかれその事実を知っているであろう。

     「聖戦」といいながら侵略戦争を強行し、

     一時的な「勝利」ののちに行なわれた

     数々の蛮行を目撃しながら、

     しかもなお「皇軍」と言い、

     そのような蛮行が戦争には不可欠なものとして、

     高いヒュ-マニティにみづから目隠しをし、

     敢えて直面し得なかった

     われわれ報道陣の罪は決して軽いものではない。

     あのような蛮行を敢えてしながら

     「中国民衆を敵とするものにあらず」という声明を

     押しつけようとした無理は、

     その後のあらゆる対華施策の

     矛盾となってあらわれているのだが、

     何よりも中国民衆に対日敵意を植え付け、

     その敵意が十数世紀にわたる日華国交史に

     いまだかってみなかったほどの

     深刻無残なものとして尾を曳いた、

     われわれは南京暴行事件を中心とする

     軍閥蛮行の拭うことの出来ない

     歴史的罪悪を認めずにはおられない。

     

     

     

     

     

     

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