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キーワード「慰安婦の集め方」を含む投稿一覧

  • 慰安婦をどうやって集めたか?

    2020/08/24
    16:34

    慰安婦と言われた女性たちはどの様にして

    集められたのでしょうか?

    この件は議論が分かれるところです。

    色々なケースがありますが、私なりに整理してみます。

     

    「集めた場所」

    1. 日本・朝鮮・台湾から集めた方法

     現地軍が業者を指定して集めさせました。

     その業務の統制は方面軍、

     師団、旅団などの司令部が行いました。

     また、派遣軍からの依頼を受けて、

     日本、朝鮮、台湾の部隊が業者を選定して

     集めさせる事も行われました。

    2. アジア各地に派遣された日本軍が

     占領地で慰安婦を集めた方法

     現地軍直接、現地に出向いていた

     日本の業者、現地人の組織や行政などの

     場合もあります。

     ◎「憲兵下士官」 鈴木卓四郎著 から

      1941年4月21日、台湾第48師団は

      福州を占領したが、

      師団専属の慰安婦がついてこなかったので、

      師団参謀部は兵站部に

      軍慰安所の設置を指示した。

      そこで、兵站部は福州憲兵隊の兵長に

      協力を求め、市内の有力者に

      物資を提供して女性たちを集めさせた・・・・

     ◎「新京陸軍経理学校第5期生記念文集(追悼)」から

      1944年5月25日の洛陽攻略の後、

      戦車第3師団のある少尉は、

      後方参謀に呼ばれて

      「至急民家を改造して兵隊用の慰安所を作れ、

      ついでに洛陽で女を集めて来い」という命令を受けた。

      そこで「これはメチャクチャである」と思ったが、

      トラックに塩2~3袋を積んで洛陽に行き、

      2~3軒まわって10数名の女性を集めた。

     

    「どの様にして集めたか」

    その時に多くの問題が発生しました。

    1. 募集 

     軍が選定した業者に依頼して、

     日本、朝鮮、韓国で慰安婦として募集したケ-ス     

     この場合、業者が年齢を偽って

     連れ出す例が多かったようです。

     ● 日本から 

      日本は婦人・児童の売買を禁止した

      国際条約に加盟していたので、  

      内地で慰安婦を募集する場合は、

      すでに売春婦として商売をしている

      21歳以上の女性を集めました。

      しかし年齢は守られない事が多く、

      警察は黙認していたようです。

      参考:「支那渡航婦女の取扱に関する件」

         内務省発警第5号 1938年2月23日

         (1)醜業を目的とする婦女の渡航は

         現在内地において娼妓その他

         事実上醜業を営み満21歳以上

         かつ花柳病その他伝染性疾患なき者にして

     ● 内地部隊、朝鮮軍、台湾軍が

      半ば強制的に募集した       

      形式は募集でも、

      借金の代わりに身売りされたり、

      軍によって人数を割り当てられたりしました。

     ● 東南アジアでは軍が直接応募した例もあります。

      ☆「マレ-半島における日本軍慰安所について」

                 林博史論文から

       第25軍兵站に所属した兵士の証言によれば、

       1942年1月2日、マレ-半島の上陸点

       シンゴラにいた兵站将校から

       3名がタイのバンコックに出張を命じられた。

       そこで彼らは、日本企業の駐在員に頼んで

       23名の娼婦を集めてもらった。・・・・

      ☆「シンガポ-ルの日本軍慰安所」 林博史論文から

       1942年3月5日から8日に

       シンガポ-ルの中国語新聞「昭南日報」に

       征求接待婦(接待慰安婦)と言う広告が載っている。

       内容は   

        各民族の接待婦数百名を募集する    

        年齢は17歳から28歳    

        受付はラッスルズホテル(兵站管理の将校用ホテル)

       オランダ人やオ-ストラリア人女性に

       応募するよう強制した例もありました。

    2. 偽募集 

     警察、憲兵、役場、周旋人が嘘を言って連れ出した。

     形式は募集でした。

     嘘の例  

      日本で就職させる

      日本の学校に入れてやる

      看護婦にする

      洗濯や炊事の仕事がある

     ● 朝鮮半島の宋神道の例(当時16歳)

      大田で子守の仕事をしていた時、

      「戦地へ行って御国のために働かないか」と、

      美しい身なりの朝鮮人女性に誘われた。

      どの様な仕事なのかという説明はなかった。

      平壌に連れて行かれ、

      そこで朝鮮人の男に売られた。

      陸路で天津から漢口をへて、武昌に入った。

     ● フィリピンのルソン島の例 裁判の訴状から

      フランシスカ・ナペ・サ・アウスタリは

      1942年12月頃、川で洗濯をしていたところ、

      日本軍の協力者がやってきて、

      日本軍のために「洗濯の仕事をすると

      給料が家に送られる」と言った。

      そこで、他の4人の女性と一緒に

      日本軍の駐屯地に行った。

      その内2人は12歳だったので帰された。

      残った3人は慰安婦にされた。

     ● インドネシアのボルネオの例 

       「我らの軍隊生活」輜重兵第32連隊第1中隊戦友会編

      ある兵士は、44年にそこの軍慰安所にいた、

      リナ-という慰安婦から、

      自分達は水産会社の事務員にするとだまされて、

      スラウエン島のメナドからガレラに

      連れてこられて慰安婦にされたと聞いたという

     ● ラング-ンの例 「戦場と記者」 小俣行男著

      ・・・・私の相手になったのは23~4の女だった。

      日本語は上手かった。

      公学校で先生をしてたと言った。

      「学校の先生がどうしてこんな所に

      やってきたのか?」と聞くと、

      彼女は本当に悔しそうにこう言った。

      「私たちは騙されたのです。

      東京の軍需工場へ行くという話で

      募集がありました。

      私は東京へ行ってみたかったので、応募しました。

      仁川沖に停まっていた船に乗り込んだところ、

      東京へ行かずに南へ南へとやってきて、

      着いたところはシンガポ-ルでした。

      そこで半分くらいが降ろされて、

      私たちはビルマに連れて来られたのです・・・・」

       注:嘘をついてつまり騙して連れ出したのは

         誘拐(強制連行)に当たるのかどうか問題になる点です。

         これについては日本では既に1937年(昭和12年)、

         大審院の判例で「慰安婦業者に誘拐罪」が適用されています。

                注:大審院は現在の最高裁判所です

     (参考)1937年の大審院判決

      1997年、洪祥進氏が発見した資料(原文カナ)

      第二審は被告人等が婦女を誘拐して

      上海に移送し醜業に従事させることを謀議した上、

      被告人「A」以外の被告人等がその謀議に基づき

      長崎地方において10数名の婦女を誘拐し、

      これを上海に移送したる事実を認定し、

      被告人等いずれも共同正犯なりと判定し、

      その行為中、誘拐の点に対しては刑法226条第1項、

      移送の点に対しては同条第2項を各適用し・・・・

      解説:

       1. 被告人「A」は1930年10月頃から

        上海で慰安所を営業していたが、  

        1932年1月「海軍指定慰安所」として

        営業を拡張しようと思い、

        「B」「C「共に、単に女給または女中として

        雇うように騙して女性を誘惑し  

        上海に連れて行った内容です。

       2. 醜業に従事することの情報を隠し、

        単に女給又は女中として雇うものの如く騙し、  

        勧誘誘惑して上海に移送した事が

        刑法226条の「国外誘拐・国内移送罪」に問われた  

        判決です。  

        そしてこの226条は植民地だった

        朝鮮にも適用されていました。

    3. 強制連行 

     強制割当てで役場から連れて行かれた。

     この連行の多くは官斡旋という形を取っています。

     軍が必要な人数を依頼してくると、

     地元の憲兵、警察、行政が協力して、

     村や町に割り当てるのです。

     家族や地域を守るために大人から説得されて

     多くの女性が犠牲になりました。

     

     ● 中国の例 

        南京を占領した日本軍の宮本大尉が

        友人に宛てた手紙 1937年12月16日付

      夜、兵站部の新設した慰安所に行って

      ”慰安を受けよ”という命令を受けた。

      中に300名の慰安婦がおり、

      もちろん今回の戦利品であり、

      すなわち地元で徴集した女性である。

      私たちがついた時、慰安婦たちも相当疲れた様子で、

      火の周りに猫のように寝転んでいた。

      誰もお金をもらえない、

      私たちを待っているだけである。

      慰安婦の逃走或いは反抗を

      防ぐためか分からないが、

      兵士たちはにぎり飯を1個ずつ配られ、

      やる時に慰安婦にやれ、

      これは慰安婦の1日の食べ物だと言われた。

      女性たちはかなり飢えていたようで、

      おにぎりを見ると、すぐ奪い取って食べ始めた。

      私たちが彼女たちの体の上で何をするか

      全然気にしない様子であった。・・・・

      用が終わって集合して帰ろうとした時に、

      また80人くらいの地元の女性が連行されてきて、

      衰弱した慰安婦と入れ替えにされた。

     ● 中国の例 平林一男 

       独立山砲兵第2連隊連隊長 回想から

      両市塘に駐屯していた前の警備隊長は、

      治安維持会長に最初にまず姑娘を

      差し出すように要求したというように、

      小さな警備隊では自らの力で

      慰安所を経営する能力がないので、

      中国側の協力に期待する事になっており、

      ある場合には強制と言う形になっていたかもしれない。・・・・

     ● 中国の例 「兵下士官」 鈴木卓四郎 より

      1941年4月21日、

      台湾第48師団は福州を占領したが、

      師団専属の慰安婦がついてこなかったので、

      師団参謀部は兵站部に軍慰安所の設置を命令した。

      そこで、兵站部は福州憲兵隊の兵長に協力を求め、

      市内の有力者に物資を提供して女性たちを集めさせた。

     ● 朝鮮の例 「ある日、赤紙が来て」真鍋元之著 から

      ある日突然村長がやってきて、

      「軍の命令だ。お国への御奉公に娘を差し出せ」と言う。

     御奉公の意味がすぐに分かったので、

      父母は手を合わせ声の限りに哀号を繰り返したが、

      村長は耳を貸さない。

      この面(注:村の事)へ8名の割り当てが来たが、

      面には娘が5人しかいないから、

      ひとりも容赦はならぬ、とニベもなく言い放つ。

      村長の背後で日本人の巡査が肩をそびやかせている・・・・

     ● フィリピン、ミンダナオ島の例

        「高野部隊ミンダナオ島戦陣記」 

      フリピン・ミンダナオ島第126野戦飛行場設定隊から

      飛行場の建設を始めた第126野戦飛行場設定隊の

      武石主計少尉は、上陸直後の44年6月、

      内地から持参した女性用ワンピ-スの布を

      持ってダバオの有力者を訪問して

      慰安婦の斡旋を依頼、

      1週間後に6名の女性を受け取って

      軍慰安所を開設した。

      「泥棒と黄塵」 下津勇 から

      バヨンボンの大隊本部は

      急遽軍慰安所を作るように命令した。

      そこで命令を受けた大隊附の下津勇中尉は

      各中隊の駐屯地の町長と話し合い、

      志願者を募集した・・・・

     ● マレ-のクワラビラの例 

        「マレ-半島の日本軍慰安所」林博史 から

      歩兵第11連隊のある中隊長が

      治安維持会の会長代理(華人)を呼び出し、

      女性を集めるように指示した。

      このころ、各地で日本軍による

      中国系住民の虐殺がおきていたので、

      拒否すると殺されるとおびえた会長代理は、

      未亡人など18名を集めて差し出したが、

      女性たちは会長代理に

      家に帰りたいと泣いて訴えたという・・・・

    4. 強制連行(誘拐) 

     いきなり拉致して慰安所に連行する。

     どんなに嘘をついて偽募集しても

     噂が広まり集まらなくなります。

     そのために拉致も行なわれました。

     学校の帰りや買い物の途中で年齢も確認しないで、

     いきなり拉致してそのまま見知らぬ土地の

     慰安所に連れて行かれるのですからひどいことです。

     多くが15歳、16歳の処女の女性です。

     この場合、白紙委任状、渡航許可証、

     戸籍謄本等の必要書類を業者、役人が

     偽装して警察は黙認しています。

     それどころか連行現場に警察や

     憲兵が立ち会う場合もありました。

      注:今、日本政府に謝罪を求めている人の

        多くがこのような例だったと思います。

     ● 朝鮮半島 文玉珠の例(当時16歳)

      友達の家からの帰り、

      まだいくらも歩かない内に、

      軍服を着た日本人が近寄ってきて、

      突然腕を引張って日本語で何か言った。

      そのまま憲兵隊らしい所へ連れて行かれた。

      そのまま中国東北部の軍慰安所に入れられた。

     ● フィリピン マリア・ロサ・ルナ・ヘンソンの例 

            (当時15歳)

      父がルソン島アンヘレスの大地主、

      母がそのメイドであった・・・・

      抗日ゲリラメンバ-と一緒に

      水牛の引く荷車に乗って日本軍の

      検閲所を通過しようとして呼び止められ、

      彼女だけ連行された。

      日本軍が宿舎にしていた病院に監禁され、

      次に精米所だった建物に移されて、

      日本兵の相手をさせられたという。

      週1回程度、性病検査があったという。・・・・

     ● インドネシア カリマンタンの例 

        「現地調達された女性たち」大村哲夫 から

      1943年前半に、海軍派遣部隊の隊長が

      在留日本人の「蓄妾禁止令」を出すとともに、

      日本人と性的関係にある住民を

      強制的に収容する命令が出され、

      海軍特別警察隊が集めた女性たちが、

      3ケ所の海軍用慰安所と、

      5~6ケ所の民間人用慰安所に入れられた。

     ● 中国・青島の例 

           「日本軍と戦った日本兵」 水野靖夫 著から

      若い女性をとらまえると、

      日本の兵隊たちはまず両手を開かせて、

      手の甲を調べた。

      農民や労働者の手であれば、

      その場でおもちゃにしたり、

      県城に連れて行って慰安婦や

      金持ちの妾や小間使いに売り飛ばした。

      白い手の女は、

      八路軍の手先の疑いありとして、憲兵に手渡され、

      拷問のあげくに虐殺される事が多かった。

     ● 鈴木啓久 陸軍第117師団師団長・中将 

        撫順戦犯管理所での筆供自述から(原文カナ)

      1941年分 私は巣県において、

      慰安所を設置することを副官堀尾少佐に

      命令して、これを設置せしめ、

      中国人民及び朝鮮人民婦女20名を誘拐して

      慰安婦となさしめました。

      1942年日本侵略軍の蟠居する所には

      私は各所(豊潤、砂河鎮その他2~3)に

      慰安所を設置することを命令し、

      中国人婦女を誘拐して

      慰安婦となしたのであります。

      その婦女の数は約60名であります。

    5. 捕虜

     日本軍が各地で捕虜を殺害した事は

     知られていますが、

     女性兵士や掃討作戦で逃げ遅れた女性も捕虜にして、

     殺害せずに慰安婦にした場合もあります。

     このケ-スの場合、秘密が漏れるのを防ぐため

     僻地の最前線に送られています。

     非常に悲惨な末路だったと思われます。

    6. 監禁強姦 

     占領した部落から女性を連行して

     勝手に閉じ込めて長期間強姦する。    

     勿論正式な(?)慰安所ではありませんが、

     被害にあった女性から見れば同じ事です。

     ● フィリピン ロシ-タ・パカルド・ナシ-ノの例  

      日本の占領中、42年に母が死亡し、

      翌年父が餓死した。

      彼女はイロイロのキャンディ工場で働いていたが、

      44年に工員をやめて

      祖母のいるエスタンシアに帰る途中、

      家の近くで日本兵に拉致された。

      家から20分くらいのところに

      日本軍の兵営があった。

      彼女はエスタンシアの旧製氷工場に

      連れて行かれ、将校・下士官・兵に

      次々と強姦された。

      彼女はこの工場に約1ケ月監禁されていたが、

      中には約15名の女性がいたようである。

    7. 単なる行きずりの強姦

     説明の必要はありません

     

    以上のケ-スで、

    どこまでが慰安婦であり慰安所なのか・・・・

    分類する事には意味はありません。

    ケ-スはどうあれほとんどが処女の女性(商売ではない)、

    しかも強制(詐欺を含む)で奴隷のように管理されたのですから、

    性暴力を受けたことには変わりないからです。

     

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