大山中尉殺害事件は1937年8月9日です。
その後事件はどのように拡大し、
事変になったのか時間の流れで見ます。
非常に手っ取り早く事が進むのがわかります。
 
8月10日から書きます。
 
● 8月10日 
 呉海兵集団の呉第2特別陸戦隊が出航、
 13日から上海での戦闘開始
 
● 8月10日(同日)  
 海軍軍令部は「大山事件対処方針と時局処理方針」を決定
 
「大山事件対処方針と時局処理方針」
要旨
 大山事件の解決は将来この種事件の
 根絶を期する方針とし、
 左記要求事項の充足を目途として
 交渉するを要す。
 而して支那側当事者に於て
 解決実行に対し誠意を示さざるに於ては、
 実力を以て之を強制するも
 敢えて辞せざる決意あるを要す。
要求事項
 1. 事件責任者の陳謝及処刑
 2. 将来に対する保障
(1)停戦協定地区内に於ける
  保安隊員数、装備、駐屯地の制限
(2)右地区に於ける陣地の防衛施設の撤去
(3)右の実行を監視すべき日支兵団委員会の設置
(4)排抗日の取締励行
 
● 8月10、
 軍令部や伏見宮総長から
 海軍省に陸兵派遣の要請が出されたが、
 米内海軍大臣は和平交渉が進行中のため
 陸軍派兵は見送る方針を表明した
 
● 8月12日 
 上記海軍の要求事項を受けて
 中国国民党は中央常任委員会を開催し、  
 蒋介石軍事委員会委員長は
 「承認することは不可能」
 「戦闘準備の命令」を出しました。
 
● 8月12日(同日)  
 海軍軍令部総長伏見宮から
 長谷川清第三艦隊司令長官に
 機密電報による指示がされた。
 ◎機密電報
1. 第三艦隊司令長官は
 敵総攻撃し来らば上海居留民保護に
 必要なる地域を確保すると共に  
 機を失せず航空兵力を撃破すべし
2. 兵力の支出に関する制限を解除す
 
● 8月12日(同日)  
 軍令部第一部長の近藤中将から
 第三艦隊司令長官宛に
 陸軍の派兵に関する機密電報が出された。
 ◎機密電報
  陸軍出兵は未決定なるも出兵の場合は
  2個師団同時派兵のことに協定しあり。
  但し陸軍の前進攻撃行動開始は
  概ね動員20日後なるに付、
  其の間海軍陸戦隊の戦闘
  正面は成るべく之を拡大することなく、
  陸軍派兵を待つ如く考慮あり度。
   注1:陸軍の準備は
       20日要するということです。
         このことでも海軍が事前準備を
      していたことがこれでも分かります。
   注2:石原莞爾中将回応答録から
       今次の上海出兵は海軍が
       引きずって行ったものといっても
       差し支えないと思う・・・・
       私は上海に絶対に出兵したくなかったが、
       実は前に海軍と 出兵する協定がある・・・・
 
● 8月12日(同日)  
 第三艦隊司令長官は
 南京等への空襲命令を発令し、
 第1連合航空隊、第2連合航空隊は
 出撃待機を整えた。
 
● 8月12日(同日)  
 長谷川第三艦隊司令長官は
 陸軍派兵をの緊急要請をした。
 首相、海相、陸相、外相の
 緊急4相会議が開かれ、
 陸軍の上海派兵が決定された。
 
● 8月13日   
 長谷川清第三艦隊司令長官は東京に
 「此の際、速やかに陸軍派兵促進緊要なり
 と認む」と打電した。
 軍令部から「本13日陸軍派兵決定せり、
 派兵時機兵数等に就いては追って通知す」の
 電報が上海に打電された。
 
● 8月13日(同日)  
 長谷川清第三艦隊司令長官から
 次の命令が出された。
 (命令)
 明14日空襲を実施する場合
 航空部隊の任務行動を左の通予定す
 1.敵情  
   第三艦隊機密第558及561番電の通
 2.空襲部隊は全力を挙げて
  敵航空基地を急襲し、
  敵航空兵力を覆滅すべし。 
  此の場合飛行機隊の行動は
  特に隠密を旨とし
  高高度天象の利用に務るものとす。
 3.空襲目標
  第2空襲部隊 
   第2航空戦隊 南京・広徳・杭州
  第3空襲部隊(台湾部隊) 
   第1連合航空隊鹿屋隊 南昌
  第8・第1航空戦隊及第1水雷隊飛行機  
   虹橋
  第1空襲部隊 
   第1航空戦隊及第3空襲部隊(大村部隊)
  第1連合航空隊木更津隊を
   使用し得る場合は追って令す。
 4.飛行隊の進発及攻撃時期は特令す。
 内容:此の際、速やかに陸軍派兵促進緊要なりと認む
 
● 8月13日 
 日本での閣議では派兵に消極的だった
 石原作戦部長の意見は抑えられた。
 
● 8月14日 10時頃、
 中国軍は先制攻撃を開始し、
 中国空軍は第3艦隊旗艦「出雲」や
 陸戦隊本部、日本人学校を攻撃した。   
 先制攻撃されて長谷川長官は怒り、
 嵐の中にもかかわらず出撃を命令した。
  注:実は12日に出撃命令を出し、
    13日に攻撃する予定が嵐のため
    14日に延期されたのです。
      先制攻撃するつもりが先にされてしまったのです。
 
● 同日  
 政府は名古屋の第3師団及び
 善通寺の第11師団の出兵を決定した
 
● 同日     
 臨時閣議で消極的だった米内光政海相も
 「出雲」を攻撃されたことから
 「不拡大方針」の放棄を主張し、
 南京占領の提言も始めました。 
 上海への陸軍の派遣を決定しました。
 
● 同日  
 軍令部は次の海軍声明を発表した。
 ◎本14日午前10時頃、支那飛行機10数機は
  我艦船、陸戦隊本部及総領事館等に対し
  爆撃を加うるの不法を敢えてし、
  暴戻言語に絶す。  
  帝国海軍は今日迄隠忍を重ね来りしが、  
  今や必要にして且有効なる
  あらゆる手段を執らざるべからずに至れる・・・・
 
 ● 同日  
 中国軍の暗号を解読して攻撃を
 予想していた海軍は、渡洋爆撃を開始しました。
 
● 同日  
 「軍令部は大海令第13号」を発令
 1. 帝国は上海に派兵し、
  同地に於ける帝国臣民を保護するとともに
  当面の支那軍を撃破するに決す
 2. 第3艦隊司令長官は・・・・
  所要の地域を確保し、
  同方面における敵陸軍
  及中支那に於ける敵航空兵力を
  撃破すると共に所要海面を制圧し、
  必要に応じ敵艦隊を撃破すべし・・・・
 注:海軍は政府や陸軍よりも先に
   不拡大方針を止めて全面戦争を準備したのです。
   つまり7月12日の海軍軍令部
   「対支作戦計画内案」の第二段階に突入したのです。      
      海軍の計画通りに仕掛けが成功したのです。
     
● 同日 夕方、
 広徳及び杭州の飛行場爆撃
 
● 8月15日 南昌及び南京の飛行場爆撃
 
● 8月15日(同日)  
 午前1時半、近衛内閣は下記の
 帝国政府声明を発表した。
 ◎帝国政府声明
   事変発生いらいしばしば
  声明したるごとく、
  帝国は隠忍に重ね事件の不拡大を方針とし、  
  つとめて平和的かつ局地的に
  処理せんと企図し・・・・
  (南京政府は)兵を集めて
  いよいよ挑発的態度を露骨にし、  
  上海においてはついに、
  我に向って砲火を開き、
  帝国軍艦に対して爆撃を加わうるにいたれり。  
  かくのごとく支那側が帝国を侮辱して
  不法暴虐いたらざるなく、  
  全支にわたる我が居留民の
  生命財産危殆に陥るにおよんでは、  
  帝国としてはもはや隠忍その限度にたっし、
  支那軍の暴戻を膺懲し、
  もって南京政府の反省を促すため、
  今や断乎たる措置をとるのやむなきにいたれり。
 注:暴戻-ぼうれい、ぼうるい・・・
   残酷で人道に外れている事
      膺懲-打ち懲らしめる事
 
● 同日  
 国民党政府は総動員を下令し
 蒋介石は自ら陸海空の総司令官に就任し、 
  中国共産党は「抗日救国十大綱領」を
 宣言し全面戦争は開始されたのです。
 
● 同日 
 上海派遣軍が編成され、
 予備役の松井石根大将を指揮官として   
 名古屋の第3師団、善通寺の第11師団
 (天谷支隊を除く)の派遣命令が出ました。   
 その任務の範囲は「海軍と協力して
 上海付近の敵を掃滅し上海並びに
 その北方地区の要線を占領し
 帝国臣民を保護すべし」いう
 限定されたものでした。
  注:米内海相や軍部に追従していった
    近衛首相の様子を批判している
    外交官もいました。
    石射 外務省東亜局長の日記を見ます
 
◎石射猪太郎 外務省東亜局長の日記から
 8月13日 
  上海では今朝9時過ぎから
  とうとう打ち出した。
  平和工作一頓挫である。・・・・ 
  海軍もだんだん狼になりつつある
  同14日 
  海軍は南京を空爆すると云う。
  とめたが聴きそうもない。 
  陸戦隊は日本人保護なんかの使命は
  どこかに吹きとばして今や本腰に喧嘩だ。 
  もう我慢ならぬと海軍の声明
  同16日 
  豊田軍務局長も事態を知るが故に
  停戦を欲して居るのだが、 
  海軍部内の昂奮に手が出ないようだ
    同31日 
  近衛首相の議会草稿を見る。
  軍部に強いられた案であるに相違ない。 
  支那を膺懲とある。 
  排日抗日をやめさせるには
  最後までブッたたかねばならぬとある。 
  彼は日本をどこへ持って行くというのか。 
  アキレはてた非常時首相だ。 
  彼はダメダ