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キーワード「朝鮮人軍属」を含む投稿一覧

  • B・C級裁判

    2020/07/26
    11:49

    日本は1942年8月に連合軍捕虜用の監視員として

    朝鮮半島から3,000人を軍属として徴用しました。

    当時の新聞の見出しには「米英人俘虜の監視に、

    半島青年数千名採用 

    皇国民の誇り、愈高し」とあります。

    連れて行かれた所は、

    タイ、マレ-シア、ジャワです。

    台湾人(現在の少数民族)軍属も徴用され、

    ボルネオ、フィリピンに連れて行かれました。

    日本軍はこれら朝鮮人・台湾人軍属を

    下働きとして一番いやな仕事をさせました。

    多くの忌まわしい事件つまり、

    捕虜虐待、虐殺の実行犯として

    ほとんど彼等が関係しています。

    勿論日本軍の命令でした事です。

     

    戦後のB・C級戦犯裁判では

    日本人との見分けが付けにくいこともあって、

    多くの朝鮮人・台湾人が

    日本兵に代わって死刑や無期懲役等の

    重い刑を受けています。

     

    ●死刑・無期懲役の人数

     

    朝鮮人

    台湾人

    日本人

    死刑

    23人

    21人

    940人

    無期・有期刑

    125人

    147人

    3,147人

     

    戦後、日本国籍を失った朝鮮人・台湾人は

    戦犯としての罰は受けながら、

    当時の給料や貯金も返して貰えず、

    軍属としての年金も、

    補償その他の援護法の適用を受けられないまま

    日本国家から放り出されたまま現在に至っています。

     

    BC級裁判の記録は中国、ソ連を除いて

    原則として公開されています。

    しかし日本政府はこれらの資料を

    積極的に集めたり公開をしていません。

     

    ●A・B・C級戦犯裁判とは

     この様な区別の仕方はアメリカの方法です。

     イギリスでは主要戦争犯罪(Major War Crimes)と

     軽戦争犯罪(Minor War Crimes)の

     2つの分け方をしています。

     通常はアメリカ方式で分類しています。

     ◎A級戦争犯罪 平和に対する罪  

       極東軍事裁判(東京裁判)及び

       ニュ-ルンベルグ裁判

       東京裁判では 被告28人 死刑7人

     ◎B級戦争犯罪 通常の戦争犯罪

     ◎C級戦争犯罪 人道に対する罪

     

    B・C級の裁判は、アメリカ、イギリス、オランダ

    オ-ストラリア、フランス、フィリピン、中国国民政府が

    40ケ所以上で行なっています。

    件数は2,244件、被告は5,700人、死刑は984人です。

     

    ●B・C級裁判が行われた場所です。

           東京裁判ハンドブック から

    SCN_0091 BC級裁判

    注:中華人民共和国とソ連は含まれていません

     

    ●B・C級戦犯の国別人数「共和国特赦戦犯始末」任海生編著 

           華文出版社 再転戴、再編集

    連合国が日本軍人をB・C級で裁いた統計です。

    中国側資料のため若干数字は異なっている可能性があります。

    特に一番下参考の中華人民共和国の数字を見てください。

    中国にあれだけの迷惑を掛けたにもかかわらず、死刑と無期が「0」です。

    国名

    裁判期間

    人数計

    死刑

    死刑%

    無期

    無期%

    有期

    無罪

    他

    アメリカ

    1945.11-1949.9

    1,453

    140

    9.8

    164

    11.3

    872

    200

    77

    イギリス

    1946.12-1948.3

    988

    223

    22.8

    54

    5.5

    502

    133

    66

    オ-ストラリア

    1945.2-1951.4

    939

    153

    16.3

    38

    4.0

    455

    269

    24

    オランダ

    1946.8-1949.1

    1,038

    226

    21.8

    30

    2.9

    713

    55

    14

    中華民国

    1946.5-1949.1

    833

    149

    16.9

    83

    9.4

    272

    350

    29

    フランス(サイゴン)

    1946.2-1950.3

    230

    63

    27.4

    23

    10.0

    112

    31

    1

    フィリピン

    1947.8-1949.12

    169

    17

    10.1

    87

    51.5

    27

    11

    27

       合計

     

    5,690

    971

     

    479

     

    2,953

    1,049

    238

    参考:

      中華人民共和国

    1956.6-7

    1,062

    0

    0

    0

    0

    45

    1,017

    0

    注:上の表で中華人民共和国だけが

      別扱いになっているのには理由があります。

    周恩来の方針です。

    ●周恩来の方針

     中国は国際法廷には属さず、

     独自の軍事法廷で裁く事にしたからです。

     従ってA級B級C級と言う区別はありません。

     さらに周恩来は下記のように述べています。

     「・・・・日本戦犯の処理については、

     1人の死刑もあってはならず、

     また1人の無期刑もだしてはならない。

     有期刑も出来るだけ少数にすべきである。・・・・

     また中国国民からの寛大すぎるという抗議に対しては、

     「・・・・寛大な処理に付いては、

     20年後に理解出来るであろう・・・・

     侵略戦争で罪行を犯した人たちが充分に

     反省し、その体験を日本の人たちに話す・・・・

     日本の人たちもきっと納得する・・・・」

     

    ●B・C級裁判をもう少し詳しく国別に見ます。

            林博史 BC級戦犯裁判 から

    「イギリス」

    裁判地

    被告数

    死刑

    死刑確認

    裁判開始

    終了

    シンガポ-ル

    シンガポ-ル

    465

    142

    112

    1946.1.21

    48.3.12

    マラヤ

    クアラルンプ-ル

    ジョホ-ルバル

    マラッカ

    カジャン

    タイピン

    イポ-

    カンパ-ル

    テロックアンソン

    ラウブ

    ベントン

    ペナン

    クアラカンサ-ル

    アロ-スタ-

    コタバル

    62

    5

    11

    1

    25

    2

    1

    1

    1

    2

    35

    3

    17

    3

    20

    3

    2

    1

     

    2

     

    1

    1

    2

    21

     

    8

    1

    18

    3

    2

    1

     

    2

     

    1

    1

    1

    20

     

    7

    1

    1946.1.30

    1946.8.12

    1946.7.5

    1946.3.1

    1947.9.5

    1946.2.18

    1946.6.20

    1946.6.17

    1946.7.18

    46.7.15

    1946.8.30

    1947.8.5

    1946.2.11

    1946.10.21

    47.1.12

    47.7.12

    46.7.6

    46.3.6

    47.12.19

    46.5.2

    46.6.21

    46.6.18

    46.7.18

    46.7.16

    46.9.28

    47.8.9

    47.11.16

    46.10.31

     マラヤ合計

    169

    62

    57

     

    北オルネオ

    ラブアン

    ゼッセルトン

    13

    16

    7

    8

    6

    4

    1946.4.8

    1946.11.20

    46.5.24

    47.10.8

    ビルマ

    ラング-ン

    メイミョウ

    120

    12

    38

    1

    22

    1

    1946.3.22

    1947.5.12

    47.11.21

    17.11.18

    香港

    香港

    124

    25

    20

    1946.3.28

    48.12.30

    合計

     

    919

    281

    222

     

    注:裁判はそれぞれの地区で何ヶ所も行われました。

      資料によっては、シンガポ-ルの数は1人違っています。

      シンガポ-ル裁判には、泰緬鉄道、タイ、

      アンダマン・ニコバル諸島、

      インドネシア、ニュ-ブリテン島等が含まれます。

     

    「アメリカ」

    軍

    裁判地

    被告数

    有罪

    死刑判決

    死刑確認

    陸軍

    横浜

    996

    854

    124

    51

    マニラ

    215

    195

    92

    69

    上海

    75

    67

    10

    6

    海軍

    グアム

    123

    113

    30

    10

       注:米軍資料のため、法務省資料とは異なります

     

    「オーストラリア」

    裁判地

    被告数

    有罪

    死刑判決

    死刑確認

    モロタイ・アンボン

    148

    不明

    不明

    不明

    ウエワク

    1

    不明

    不明

    不明

    ラブアン

    145

    不明

    不明

    不明

    ラバウル

    390

    不明

    不明

    不明

    ダ-ウィン

    22

    不明

    不明

    不明

    シンガポ-ル

    63

    不明

    不明

    不明

    香港

    42

    不明

    不明

    不明

    マヌス

    113

    不明

    15

    5

      注:有罪は不明となっていますが、

        全体では645名が有罪になっています。

     

    「オランダ」

    裁判地

    被告数

    死刑判決

    バタビア

    357

    62

    メダン

    137

    24

    タンジョンピナン

    11

    1

    ポルティアナック

    36

    16

    バンジェルマシン

    30

    10

    バリクパパン

    88

    18

    マカッサル

    93

    32

    ク-パン

    25

    6

    アンボン

    79

    14

    メナド

    59

    28

    モロタイ

    65

    8

    ホ-ランディア

    57

    9

      合計

    1,037

    228

      

    「中華民国」

     中国では、1946年2月に

     「戦争罪犯処理弁法」など3法令を制定し、

      4月から10ケ所で裁判を開きました。

     北京・南京・上海・漢口・広東・

     瀋陽・太原・徐州・済南・台北

     日本側資料では883人が裁かれ、

     504人が有罪(内死刑149人)となっています。

     

    2000年5月17日、

    衆議院で「在日軍人・軍属給付金法案」が可決されました。

    在日に限る事と、弔意金としての一時金数百万ですから、

    同じ日本軍人として働きながら、

    日本軍人に対する恩給と比べると極端に少ないのですが、

    従来の日本から見ればいくらかの進歩かもしれません?

    ◎日本軍人の重度戦病者の場合は階級によって

     169万円から1,000万円が毎年支払われ、

     合計で4,800万円から

     1億3,400万円受取っている人があり、

     国籍がない人とは大きな差別といえます。

    ◎日本人に対する軍人恩給は

     現在も支給が続いており、

     総額40兆円にもなっています。

     侵略した加害の先兵の軍人に対して

     恩給を支給して靖国神社にまつり、

     被害を与えたアジアの人々や

     日本人(原爆を除いて)には何の補償もしていないのです。

    ◎外国(22ケ国)に対する賠償や

     対外資産喪失の合計は約1兆円に過ぎません。

     日本に住んでいない場合はどうなのかというと、

     旧日本軍の上等兵として働いた金成寿さんの

     恩給に関する裁判では、

     2004年4月27日、東京高等裁判所は却下しています。

    ◎国籍によって色々の補償は支給されないのですが、

     さらに割り切れない事があります。

     戦犯として拘置されていた

     29名の朝鮮人と1名の台湾人です。

     彼らは1952年に「日本国籍を失ったのだから

     日本人ではない」と釈放する事を請求しました。

     しかし最高裁は

     「戦犯として刑を科せられた当時は日本人だった。」

     と却下しました。

     つまり今は日本人ではないから

     補償は受けられないが、

     当時は日本人だったから刑罰は受けろ、

     とうことです。

     

    つづきを読む

  • 泰緬鉄道とマレ-半島

    2020/07/18
    11:38

    「泰緬鉄道」

    映画「戦場にかける橋」で有名な

    泰緬鉄道は、タイ(泰)のノンブラドッグから

    ビルマ(緬甸)タンビュザワまでの415キロメ-トルの鉄道です。

    タイ側304キロメ-トル、ビルマ側111キロメ-トルです。

    415キロといえば、ほぼ東京から東海道線の大垣までの距離です。

    その鉄道を1年ちょっとで完成させてしまいました。

     

    ●1942年6月大本営決定、工事開始命令10月、翌年10月完成

     人跡未踏のジャングルを切り開き、

     山岳地帯に橋を架け、岩盤に穴をあけ、

     雨期にはバケツをひっくり返したような雨が

     何日も続き増水や洪水を起こす。

     そんなところに415キロの鉄道をたった1年とは、

     神技の様な仕事です。

     しかしそれを実行したのです。

     地獄のような想像を絶する

     強制労働が行なわれたものと思われます。

     何故そのような無茶な工事が行なわれたのでしょうか?

     中国での苦戦を打破するために、

     ビルマからの援蒋ルート(連合国から中国への支援ル-ト)を

     遮断しようとした軍部はビルマに進攻しましたが、

     あまりに早い進撃をしたために

     補給が追いつきませんでした。

     通常ビルマへは海路で行くしかなかったのですが、

     それでは時間がかかりすぎることと、

     連合国の攻撃にさらされ危ないので鉄道建設を計画したのです。

     もともと無理な計画でしたが、

     戦況が悪化したため、あせって死に物狂いの工事が行なわれ、

     労務者、捕虜・・・日本軍の兵士さえも

     虫けら同然に使い捨てにされたのです。

     

    「鉄道建設部隊」

    鉄道建設のために鉄道建設部隊が作られました。

    この部隊は勿論日本人の部隊です。

    そして近くに作られた捕虜収容所とタイアップしました。

    捕虜は収容所長からの「今日は○○人出せ」と言う命令を受けて、

    建設現場へ働きに出たのです。

    捕虜ではない現地やインドネシアからの労務者は

    現地の小屋に住んでいました。

     

    ●鉄道建設部隊の組織

    大本営

     南方軍野戦鉄道隊司令部 日本人が約10,000人従事

      第2鉄道部 近衛工兵連隊、第2師団工兵連隊、

             手押し軽便鉄道隊、第4特設鉄道隊、他

             アジア人労務者約70,000人が従事していた

       鉄道第5連隊 連隊長 佐々木大佐   

               捕虜約18,000人を強制労働させた

       鉄道第9連隊 連隊長 今井??    

               捕虜約37,000人を強制労働させた

     

    「捕虜収容所」

    マレ-を制圧した時、連合軍の捕虜が予想した以上に多かったため、

    日本軍はマレ-半島に捕虜収容所を沢山作りました。

    そのうち泰緬鉄道に関係した収容所の一覧です。

    収容所の本所はバンコックにありました。

    地区

    収容所名

    捕虜数

    朝鮮人軍属

    責任者

    タイ側

    第1分所

    7,200人

    130人

    知田少佐、石井中佐

    第2分所

    9,600人

    130人

    柳田中佐

    第4分所

    11,000人

    130人

    知田少佐、石井中佐

    第6分所

    6,000人

    130人

    姥子少佐

    蜂須賀分所

    3,000人

    130人

    蜂須賀少佐

    ビルマ側

    第3分所

    9,000人

    120人

    永友中佐

    第5分所

    2,000人

    約100人

    水谷大尉

    坂野分所

    7,000人

    130人

    坂野中佐

      注:1 この数字は連合軍捕虜と働く朝鮮人軍属の数です。

         一般労務者は含みません。

        2 朝鮮人軍属は捕虜監視員として働かせられました。

           その為戦後のB・C級裁判で多くの朝鮮人軍属が

           捕虜虐待の実行者として 裁かれました。

     

    連合軍の捕虜の中でもオ-ストラリア捕虜は、

    自分たちでグル-プを作り、

    名前をアルファベットにしたり、

    フォ-スという呼び方をしました。

    ●オーストラリア捕虜が作ったグル-プ

    タイ側

     

     

    ダンロップ・フォ-ス

    1,786人

    Dフォース

    2,200人

    Fフォ-ス

    3,660人

    Hフォ-ス

    705人

    Kフォ-ス

    55人

    Lフォ-ス

    73人

    ビルマ側

     

    Aフォ-ス

    3,000人

    ウイリアム・フォ-ス

    873人

    ブラック・フォ-ス

    593人

    第5グル-プ

    385人

    注:これはオ-ストラリア兵の捕虜だけの人数です。

          合計は13,300人です。

     

    「強制労働で高い死亡率 」

    捕虜や労務者の内、

    日本軍人指揮のもと強制労働に投入された者の人数は・・

    1 イギリス、オ-ストラリア、オランダ等の戦争捕虜   

       約55,000人(62,000人の説もあります)

      ☆犠牲者(死亡者)       

      12,000人~13,000人  死亡率 21~23%

     ☆特に奥地のFフォ-スの工区では   

      7,062人中 3,096人が死亡 死亡率43.8%

     内訳 オ-ストラリア兵    

         3,662人中 1,060人が死亡 死亡率28.9%

          イギリス兵         

        3,400人中 2,036人が死亡 死亡率59.9%

      あまりの病人の多さに捕虜で組織した衛

      生隊はシンガポ-ルからの衛生隊の派遣を要請しましたが、

      実現せず、南方軍総司令部への薬の要求も

      1/10から1/20しか実現しませんでした。

    2 現地労務者

     ビルマ、タイ、マレ-半島、ジャワ(インドネシア)、

     シンガポ-ル、中国、インド等から

     約250,000人の労働者が強制労働に狩り出されました。

     その為、現在でも「ロ-ムシャ」と言う日本語が、

     東南アジア各地に現地語として残っているそうです。

     犠牲者は少なくとも42,000人以上です。 死亡率21%

     ☆イギリス政府の資料では、英領マラヤからの労務者は78,204人、

       死亡者は40,000人となっています。

     ☆ビルマ政府によれば、

      ビルマ人だけで80,000人が犠牲になったと推定しています。

     ☆日本の資料では、

      日本軍のビルマ軍政監部は1943年、

      ビルマ民政府に労務者の提供を命じ、  

      85,000人の労務者が 動員されたとなっています。

    実際の犠牲者がどの位だったのかは現在でも分かっていません。

    オーストラリアの戦争捕虜の1/3は泰緬鉄道に従事したといわれています。

     

    「 JEATH-戦争博物館」

    泰緬鉄道はまさに枕木1本に1人の

    死者といわれた位「死の鉄道」呼ばれたのは事実です。

    クワイ川鉄橋のそばに泰緬鉄道に関する博物館があります。

    JEATH-戦争博物館といいます。

    ●J(日本)、E(イギリス)、A(オーストラリアとアメリカ)

     T(タイ)、H(オランダ)の 頭文字を並べた名前です。

     それにDEATH(死)をもじって JEATHとしたそうです。

     博物館の表札には

     「許そう、しかし忘れない(FORGIVE BUT NOT FORGET)」と書かれています。

     戦後アジアの人々は日本とどう向き合ってきたのか。

     恐らく心の中は「許そう、しかし忘れない」だったのでしょう。

     心に深く留めるべき言葉です。

     泰緬鉄道は今でも一部の約20キロは使われています。

     戦争の最後の年に走った蒸気機関車のC-56は、

     1979年にタイ政府から返還されて靖国神社に飾られています。

     旧日本軍人は懐かしがっていますが、

     犠牲者に対する処置はされていません。

     数万人とも言われる遺体はまだジャングルの中に眠っています。

     

    「鉄道の開通と敗戦」

    泰緬鉄道は1943年10月25日に開通式が行われました。

    しかしこの頃の日本は戦争に負け始めていましたので、

    この鉄道は連合軍の爆撃を浴びる事になりました。

    また本来の目的であった、

    ビルマ方面への兵員や物資の輸送には役に立たず、

    逆にビルマから敗走する

    日本兵の輸送に使われたことは皮肉です。

    撤退は惨めでした。

     

    ●捕虜ア-ネスト・ゴ-ドンの手記

     負傷兵はなんの手当てを受けることもなく、

     全身を膿でおおわれ、

     そこから無数の蛆がわき出ている。

     糞尿と泥と血にまみれた姿で次々と後退してくる日本兵。

     しかし後退出来なかった兵は、ビルマの地に白骨をさらした。・・・・

     あれほど汚い人間の姿を見た事がない

     

    「記録や証言」

    ●Fフォ-ス捕虜の日記

     5月25日 中隊からコレラ発生、作業中止、

           種痘とコレラ予防注射の実施

     5月30日 食糧は定量の1/5、捕虜はほとんどが下痢をしている

     6月 4日  作業開始、捕虜の就労率35%、1日2食

     6月11日 病人47%

     6月14日 朝、お粥と薄いス-プ、昼お粥とコーヒ-半杯、夜お粥。

           捕虜が「身の置き所がないくらい空腹だ」と言う。

           増水、膝まで泥。

     6月17日~24日 どしゃ降りのなか、宿舎移転

     6月24日 捕虜はほとんどが病人、

           重患39%、軽患61%、要するに全員が患者ということだ。

           この日、終日作業。捕虜の1/4は靴がない。

     7月20日 捕虜560人中、作業に出られる者60人、

            「骸骨が靴をはいている」

           この日、死者50人

    ●労務者 マレ-系中国人・宋日開さんの聞き取り

     一行780人は1942年8月4日、

     セレンバンから連れて行かれた。

     帰還出来たのは49人・・・・

     一人ひとり、背番号を付けられた一団は、

     インド系、中国系がほぼ半々、

     マレ-人が2~3%という編成だった。

     宋さんは[669番]だった。

     カンチャンブリまでは汽車やトラックで、

     そのあとは16日間も歩いてビルマ国境のテ-モンタ-へ、

     雨期で豪雨の中を歩き続けた。

     途中で、道端にころがっている死体や、

     半ズボンで皮膚病だらけのやせ細った捕虜たちを見て怖くなった。

     集められたアジア人労働者は2~3千人はいた。

     毎日乾燥芋ばかりで、材木を切り、土を掘り、レ-ルを運ぶ。

     昼夜兼行の重労働は雨の日も続いた。

     休めばムチがうなった。

     下痢やマラリアで倒れる者が続出した、自殺した人も。

     捕虜が墓を堀りに来て死体を埋めた。

     連合軍の空襲もひっきりなしだった。

     戦争が終わった翌年、

     生き延びた約300人とやっとマレ-半島に帰った。

     日本軍は3ケ月働けば帰れると言ったのに。

     3年8ケ月も苦しめて、その上給料も払わなかった。

     それを支払えと日本政府に要求しているのです。

    ●E・I・Hコ-ナ- 捕虜としてシンガポ-ルの博物館に勤務

     ・・・・航海中に死んだ者も少なくなかった。

     そういう時には、死体を米袋に入れ、

     生き残った仲間が海に捨てた。

     米袋は穴だらけであったから、

     穴から手足が突き出ていた。

     バラックの中でも沢山死んだが、

     やはり死体を米袋に入れて海に投げ捨てた・・・・

     人夫が女であり、若くてきれいだと、

     カタン近くの兵舎に送られ、兵士の慰みものになった。

     通行人は、彼女等がジャワ語で「助けて」と

     悲鳴を上げるのを耳にし、胸を締め付けられた。

     真昼間に堂々と市民の目の前で繰り広げられたこの惨事は、

     占領直後の華僑大虐殺と並んで

     永遠に歴史上に残る日本軍の汚点となった。・・・・

     バラックは体を動かせないほど弱った人夫(ロームシャ)で一杯だった。

     中に入る事も出来なかった。

     誰かが体を動かしたすきに、

     私とバ-トは少しずつ中へ入っていった。

     腐臭のする死体のほかに、死にかけた人間が

     そこらじゅうに座ったり横たわったりしていた。

     私たちは死体が13あることを確認し報告した。

     市のトラックが来て死体を積み込み始めた時、

     13番目の死体がよろよろ立ち上がった。

     だが報告が13とある以上13集めなければならない・・・・

     

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