わずかですが日本軍の中には
このような虐殺に批判的な記録も見られます。
● 歩兵第38連隊副官(注:第16師団) 児玉義雄
畝本正巳「証言による南京戦史」から
連隊の第一線が、南京城1~2キロ近くまで
近接して、彼我入り乱れて混戦していた頃、
団副官の声で、師団命令として
「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」と
電話で伝えられた。
私はこれは、とんでもないことだと、
大きなショックを受けた。
師団長・中島今朝吾将軍は豪快な将軍で
好ましい御人柄と思っておりますが、
この命令だけは何としても
納得できないと思っております。
参謀長以下参謀にも幾度か
意見具申しましたが、
採用するところとならず、
その責任は私にあると存じます。
部隊としては実に驚き、
困却しましたが命令やむを得ず、
各大隊に下達しましたが、
各大隊からは、その後何ひとつ
報告はありませんでした。
激戦の最中ですからご想像いただけるでしょう。
● 畝本正巳「証言による南京戦史」について
旧軍人の畝本正己氏が自分の主張である
南京大虐殺はなかった とを証明するために
偕行という雑誌で」証言による南京戦史」を
連載し旧軍人からの証言を連載しました。
偕行は旧日本陸軍士官学校出身の
将校の親睦団体「偕行社」の機関誌です。
旧軍人の集まりですから正確で、
しかし軍国的な団体でしょう。
この連載は畝本氏の期待とは逆に
事件が事実であったことを証明してしまいました。
そのため連載は途中で打ち切られました。
● 独立攻城重砲兵第2大隊第1中隊・
沢田正久中尉の証言
仙鶴門鎮での捕虜の状況について
畝本正巳「証言による南京戦史」から
俘虜の数は約1万(戦場のことですから
正確には数えておりませんが、
約8千人以上おったと記憶します)でしたが、
早速、軍司令部に報告したところ、
「直ちに銃殺せよ」と言ってきたので
拒否しましたら、
「では中山門まで連れて来い」と命令されました。
「それも不可能」と断ったら、
やっと、「歩兵4個中隊を増援するから、
一緒に中山門まで来い」ということになり、
私も中山門まで同行しました。・・・・
ちなみに、私が陸士を卒業する直前の
昭和12年6月、市ケ谷の大講堂で
飯沼守生徒隊長から記念講演
「捕虜の取扱について」を聞き、
捕虜は丁寧に取り扱わねばならないと
教えられました。
その生徒隊長は、いま、
上海派遣軍の参謀長であります。
卒業後わずか5ケ月の今日
「直ちに銃殺せよ」とは、
一体誰が決定し、誰が命令を下したのか。
当時、私の胸が痛かった印象は、
従軍中はもとより今日に至るまで、
私の脳裡から離れません。
● 北山与 日記 第16師団歩兵第20連隊
(12月13日)“中山門に向かって前進すべし
”さあ入城だ。
直ちに整列、出発。・・・
壕内に敗残兵がいたと
大勢の人たちがヤイヤイ云っている。
紅顔の美少年である。
シャツは抗日救国連合会の
署名入りのものを着ている。
祖国中華民国を守れと随分苦労したろう。
あまり皆んなが残酷な殺し方を
しようとするので、見るに忍びず、
僕が銃殺しようとするが、皆が承知しない。
戦友が無残な死に方をしたので
唯の殺し方では虫が納まらぬのだと云っている。
無理からぬこと。
だが、あまりに感情的ではないだろうか?
日本軍は正義の軍であり、
同時に文化の軍でなければならない。
同じ人を殺すにしてなるだけ苦しめずに
一思いにバサリ殺ってやるのが、
日本の武士道ではないだろうか。
少しの抵抗もせず、
ここを撃って殺してくれと喉を示して
哀願するのを、よってたかって虐殺するのは、
日本兵の恥である
(12月14日)午後2時、
戦銃隊は紫金山の残敵掃討に行く。
午後12時すぎ掃討から帰る。
800名ほど武装解除したらしい。
みんな一人残らず殺すらしい。
敵兵もよもや殺されるなぞと思っていまい。
学生が主力らしく
大学生なぞたくさんいたという。
生かしておけばずいぶん世界文化の発展に
貢献するひともあるだろうが、
惜しいものだ。
尊い生命が何の躊躇も無く失われていく。
戦争の酷烈な姿をつくづく感じる。
このような事件を起こす一方で日本軍は空から大量のビラをばらまいて
避難していた中国人を自宅に戻すようにしました。
● ビラの内容
各自の家庭に帰ってくる良民には
食料と衣服を与える、
日本は蒋介石によって
踊らされている以外の全中国人の
善き隣人であることを希望する
このビラを信じた数千人の中国人は
避難先から自宅に戻ったが、
その人達もまた殺害・強姦の被害に
遭ってしまいました。
大晦日になると難民区の役員は
日本大使館に呼び出され命令を受けました。
● 命令の内容
明日はお祝いを実施するから、
各自自発的に間に合わせでよいから
日本の旗を作って旗行列をやって貰いたい。
内地の日本人は日本軍が
こんなに歓迎されているニュ-ス映画を見て
きっと喜ぶ事だろう
また13年3月になると
東京放送局は南京の偽情報を
世界中に流した。
● 放送の内容
中国人がこんなに沢山殺されたのは、
不良中国人たちの仕業であり、
私有財産の破壊者たちは
既に逮捕され死刑を執行した。
彼等の大部分は蒋介石陣営に
不満の中国敗残兵であった。
多くの日本人たちはこのような軍や政府による
偽情報を信じていました。
現在でもまだ信じている人が
少なからずいるようです。