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キーワード「松岡 環」を含む投稿一覧

  • 松岡 環氏の聞き取り調査 1

    2020/09/28
    15:24

    前項目と同様第16師団ですが、

    今度は同じの元兵士達からの

    聞き取り調査を掲載します。

    小学校教員の松岡 環さんは

    仕事のかたわら膨大な証言記録を集めました。

    他の証言と重複するところも

    あるかと思いますが、

    第16師団を中心に証言をいくつか転載します。

    証言内容は3回に分けて書きます。

     

    「福田治夫」 1915年10月生まれ  

       第16師団の歩兵第9連隊第2大隊 

       1997年10月取材  

    ◎南京近くでは    

     1週間ほどして南京から

     いくらか離れた南西方向の

     裕渓口に駐屯しました。

     子どもとか年いったお婆さんまで、

     抗日排日の教育で手榴弾かくして持って、

     宿舎に入ってきたのが子どもですやろ、

     こっちは油断しますわな。

     寝ているところに放り込まれるのが再々あってね。

     「子どもにしても年寄りにしても

     誰でも全部殺してしまえ」と

     連隊長の命令が出ました。

     ぐるりにいる人間を見れば

     発砲して殺しました。

     2人とか3人とかの百姓を捕まえてきて、

     「そこらに兵隊はおるんかおらんのか」などの

     尋問をして地形を聞いて、

     後は殺してしまうんです。

     クリ-クの縁に連れ出して、

     そこに座らせてました。

     将校は、めったに刀で首切りなんて

     できへんのやから、

     軍刀持ってるさかいに試し切りするんです。

     私ら兵隊は突き殺しました。

     鉄砲の弾できるだけ

     使うなといわれてました。・・・・・

     そのときは気がたってますわな。と

     いうことは気が狂ってるということですな。

     戦争は誰もかなわんけど、

     行け言われたら

     行かなしゃあないことですわな。

     侵略戦争で何もかも侵略したんですわ。

     私も戦闘の直後は何くそっと

     突いたりできますけど。

     1日か2日たつと、

     後で普通になってああいうことは

     絶対できへんのですわ。

     そやから人を突いたことは

     なるべく思い出さんようにしていました。

     でも、今でもちょっとした機会に

     殺した場面が思い出されます。 

                        

    「町田義成」 1913年生 

       第16師団歩兵第33連隊第3大隊  

       1997年8月、99年4~5月取材

    ◎敵襲の報復に近くの部落の母子を射殺

     ・・・・韓家頭ではやられたので、

     部隊本部から「韓家頭の部落を攻撃する。

     部落に入ったら、猫の子でもいいから

     生きとる者は、男でも女でも全部殺せ」と

     命令が出ました。・・・・

     粗末な一軒の農家の中のアンペラが

     コソコソ動くのでめくり上げると、

     40歳位の妊婦が2人の幼児を

     両脇にだきしめて隠れていました。

     コノ-と引きずり出すと、

     子どもは泣き叫び母親の後ろに

     しがみついている。

     母親はもう一人の子を

     クリ-クの中につっこんだ。

     ××伍長がこれこそ戦友の仇と、

     即座に銃で3人を撃ち殺してしまった。

     そのときは気が立っていたというか、

     女子どもなのにひどいことをしました。・・・・

    ◎揚子江に逃げる無数の中国人を殺す

     もう抗戦する力もなく銃も持たず、

     小さな木っ舟や筏や材木を拾って、

     それに掴まって揚子江を下っていく。

     5~8人乗っている小さい舟も、

     30人くらいの船もあってね。

     船には女や子どもの姿も見られ、

     こちらに向かって抵抗することは

     ありませんでしたな。

     すぐ目の前の2~30メ-トル先に逃げる敗残兵を、

     こちらにいる日本兵は、

     みんな機関銃や小銃でバリバリと一方的に撃つんや。

     舟や筏には、普通の服を着た中国人が、

     小さくじいっとして乗れるだけ乗って

     どんどん河を流れていく。

     命中すると舟はひっくり返って、

     そこらの水は血で赤く染まっていました。

     舟の上の人間は撃たれて

     河に飛び込み落ちるのもありますわな。

     銃声に混じってすさまじいヒャ-ヒャ-という

     断末魔の叫び声が聞こえてな。

     水の中でもがき浮き沈みする人が流れていきます。

     自分の機関銃分隊は、

     他の中隊と共に撃ちまくった。・・・・

    ◎当時町田氏が故郷の婦人会に送った手紙

     特に12月13日午後、

     敗残兵が逃げる途なく、

     小舟に乗って揚子江を流れのままに降りる事 

     その数実に5万 

     我が軍、機を逸せずこれを全滅

     思はず万歳を高唱致し候   

    ◎難民収容所から屈強な男を引出し殺す

     部隊からの命令では

     「敵兵とわかったら容赦なく突き殺せ」と

     命令が出ていた。・・・

     目つきの悪い奴とかちょっと

     足の裏を見て丈夫やったら兵隊で。

     そういう不確かなことをして

     ひっぱりましたんでな、

     それにひっかかった者は運が悪いわな。

     いい加減な方法でした。

     オイッオイッと指で指し示し瞬時のうちに

     怪しそうな者を選び出してね。・・・・

     それぞれの分隊は、

     男たちを収容所から外へ引き出して

     みんな突き殺しました。

     殺されるかどうかは運ですな。   

    ◎城内で死体の片づけ 

     15~6日ごろ、

     挹江門を入った所の大きな道路、

     中山北路付近の死体の片づけをしました。

     先に他の部隊が沢山作業をしていて

     すでにほとんど片付けがすんでいました

     死体を持ち上げトラックに積み込むと、

     他の部隊がどこかへ運びまた戻ってきました。

     多分死体を河に流したんでしょうな・・・・

     南京城内でも城外でも、徴発はよくやりました。

     食べ物を盗りに行くんですわ。

     分隊で2~3人で固まって行きました。

     ついでに女の子を捕まえるんです。

     女の子の徴発ですな・・・・

     

    「平山仁三郎」 1914年10月生 

       第16師団歩兵第33連隊第3大隊 

       1998年取材

     南京の下関では、日本兵がいっぱいいて、

     2大隊も3大隊もいたわ。

     揚子江を河一杯に中国人が

     筏や戸板につかまって流れていく。

     大きいのには60人位かな、数人のもあったな。

     目の前を通る度に、バリバリ撃つんや。

     筏に乗っている人には黒い服を

     着ているのもいたから、

     城内から逃げていった支那兵やろ。

     揚子江には日本の軍艦もいて撃っていたな。

     我々が陸上からバリバリ撃つし、

     軍艦からは砲撃するし、

     2~3時間は撃ってたかな、

     流れる血で揚子江は血の色やった。

     南京が陥落して、すぐに掃討に入った。

     13日14日と城内掃討をやった。

     挹江門から入った時、死体をようけ見た。

     死体が5~6尺に重なっていて、

     私らの一個分隊だけで、

     一日目の掃討戦で・・700人捕まえたな。

     重砲を積んだ馬車がその上を通る。

     わしら兵隊も死体をグシャっと踏んで

     城内へはいった、ぎょうさんやで。

     すごい数や。・・・・

     

    「古川康三」 1912年12月生まれ 

       第16師団歩兵第33連隊第2機関銃中隊 

       1998年11月取材

    ◎下関で捕虜を集団虐殺した    

     紫金山から下りてきた中隊は

     南京へ集結して一応落着いて、

     2~3日してから、「使役」と言う

     敗残兵の整理の任務を命じられました。

     重機関銃を担いで行ったんです。    

     下関の揚子江の端の貨物駅でね、

     ずらっと並んでいた貨車の中へ

     中国の兵隊を貨車に詰め込んでいましたんや。

     貨車の扉を開けるとあまりに

     人を詰め込みすぎたんですやろな、

     冬の極寒の時なのに、

     皆暑くて息苦しくて自分の衣服を

     脱ぎ捨てて素っ裸になっていました。

     それが記憶にありますな。

     フラフラに弱った裸の兵たちを

     下ろして揚子江に流れていく筏に載せ、

     それを重機関銃で射撃したんですわ。・・・・

     至近距離で機関銃撃つんだから必ず当ります。

     それで、撃った時に苦しみで

     河に落ちると思いますわ。

     筏は誰が作ったものかわからんが、

     大隊本部から私らの第2機関銃中隊に

     命令が来て、中隊長の命で使役に出たまででした。・・・・

     使役は2~3回ありましたが、

     どれも貨物車から引き出した敗残兵を筏に載せ、

     河に流してから自分が小隊を命令して

     重機関銃で撃ち殺しました。・・・・

     機関銃で撃ち殺した敗残兵は、

     兵隊であるか民間人であるか

     区別はつかなかったです。

     裸になっておるし、・・・・

     敗残兵であるか農民であるか

     はっきり分からなかったですな。

     けど、一応はもう敗残兵という格好で

     処分したんでしょうな。

     

    「吉川定国」 1915年9月生 

       第16師団歩兵第33連隊第1機関銃中隊 

       1998年4月取材

     ・・・・上陸のとき命令受領に行ったら

     「普通の男も殺せ、皆敵や」と言われていたで、

     家を焼けとの命もあって、

     うちの中隊でも放火班があったで・・・・。

     

    「佐藤睦郎」 1914年12月生 

       第16師団歩兵第33連隊第1機関銃中隊 

       1999年1月取材

    ◎下関の手前まで来た時は、

     もう鎮江やら紫金山やらから逃げてきた

     中国兵が右往左往していました。

     中隊長の「掃蕩にかかれ!」で数人で組になってな、

     歩兵も機関銃も砲兵も小銃やごんぼ剣持って

     大きな道を通って下関に向うんですわ。

     攻め込んでいくと、

     大きな道路に飛び出してきた中国兵が

     群れになってまた逃げて行くんです。

     わしら、日本兵は撃たなしゃあない。

     逃げるのは兵隊だけやない。

     男の子もおれば女の人もおる。

     若い衆もおる。

     そんなものお構いなしに

     めくらめっぽうに連続発射で流すんやから、

     角度を決めて左右にス-っと流すんやから。

     もう前方で人間を見たら、

     重機をパッと組み立てて全部殺すんや。・・・・

     エンジンのないような櫓で

     こぐような舟が揚子江をドンドン流れていくんや。

     いっぱい人が乗っててね、

     それを撃つんですわ。

     中には普通の服着てる良民もいる。

     それを全部ダダ-と撃った。・・・・

     向う岸へ逃げ切れなくて人間の固まりとなって

     壁に集まってきていますんや。

     もう何千という人の数や、

     そこに向けて今度は、

     誰彼なしに92式機関銃を撃ちこんだんです。

     押しまくりました(注:押すと発射する)。

     港にぎっしりと集まった大勢の人は、

     女も子どもも年寄りもいましたわ。

     400~500メ-トル向うにいる中国人たちに

     射撃の角度を考えて、

     範囲を決めて撃ちました。

     人の固まりが崩れていくんですわ。

     我々はただちに小隊長から

     「撃て」との命令を受けたけど、

     (中国人なら誰でも殺すという)命令は、

     師団長が出したですやろな。・・・・

     その次の日、松井司令官が来るというので、

     こんなに殺したらあかんという規則があるのか、

     たくさんの死体を今度は隠さないと

     あかんというようになりましたんや。

     死体を埋めることになりました。

     焼くということもありました。・・・・

     南京陥落の次の日でしたけど、

     南京城内の倉庫がいっぱいある所でした。

     兵隊が中国兵をいっぱい連れてきてね、

     倉庫に詰め込んでるんです。

     中国人を殺すのに「もう弾が足りない」言うてね、

     ぐるりに燃える物持ってきて

     積み上げて火をつけたんです。

     煙が充満してきてね。

     中国兵が屋根を突き破って必死になってる。

     それをまた、日本兵が撃ち殺すんですわ。

     そんなのを見ました。・・・・

     

    「田中次郎」 1908年2月生 

       第16師団歩兵第33連隊第1大隊 

       1998年3月取材

    ◎田中日記より    

     12月14日     

     一小隊が200名位の敗残兵を捕虜にした。

     彼らは南京陥落を知らずに

     逃げてきたものであろう。

     之をいかに処置するか大島副官に聞きに行った。

     「200あろうと、500あろうと

     適当なところへ連れて行って

     殺してしまえ」と言われて

     駅の空貨車に詰め込んでしまった。

     小隊は重機と協力して捕虜の処分を

     揚子江岸でやることになった。・・・・

     貨車倉庫から皆引き出してしまった。

     膝を没する泥土の中に

     河に向かって座らせた1200人、

     命令一下、後ろの壕に秘んでいた

     重機で、一斉に掃射を浴びせた。

     将棋倒し、血煙肉片、綿片、飛び上がる。

     河に飛び込んだ数十名は

     桟橋に待っていた軽機の側射によって

     全滅し濁水を紅に染めて斃れてしまった。

     ああ、何たる惨憺たる光景ぞ。

     かかる光景が人間世界に

     又と見られるであろうか・・・・   

    ◎南京城内での掃蕩    

     12月14日、揚子江岸で捕虜を

     1200人いっぺんに処分しました。

     日記に書いているように惨い事ことでした。

     遺棄された手榴弾も武器も

     ざらに落ちていて、拾っていたんですわ。

     手榴弾は信管を引き抜き、

     掃討する家の中に次々と

     手当たり次第投げ込みました。

     捕虜狩りの時は人数を数える暇もなく、

     どんどん捕まえました。

     捕虜と言っても中国服着た男ばっかりでしたよ。

     掃蕩をやる時は中隊長の指揮によってです。

     注意事項と言うものはなく

     「戦争に耐えると思えるような者は

     全部殺してしまえ」と

     上部の命令として言われていました。

     実際、男を敵兵として捕らえ、

     一人一人を調べることなどしませんでした。

     おとなしく投降しても、

     中国人は全部殺してしまう。

     手榴弾は家の中に放り込むだけでなく、

     捕虜の処分にも使っていました。

     城内あちらこちらで

     手榴弾の爆発音がしていました。

     たくさん倉庫に詰め込まれた捕虜は

     どうなったのかわかりませんが、

     最初自分たちがあんなたくさんの捕虜を

     全員撃ち殺したことから考えたら、

     捕虜は処分されたのだと思います。

     

     

     

     

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