毒ガスが実際にどれだけ使われたのか
なかなか分かりません。
1回の戦闘で1発の筒や弾が使われた場合もあるでしょうし、
10発、100発、1000発の事もあったと思います。
そこで量にはかかわらず毒ガスを使用した戦闘は
何回なのかが調査されました。
日本政府は
まだ関係資料を公開していませんが(1997年現在)、
中国政府とアメリカの資料によれば、
少なくとも2000回以上とされています。
その内、青酸、イペリット、ホスゲン等の
猛毒ガスが19%も使用されたことになっています。
立教大学粟屋教授がワシントンで発見した
日本軍の「支那事変ニ於ケル化学戦例証集」によれば
宣昌攻防戦では1000発以上のイペリットを使い、
武漢戦では化学戦をしなかったら
勝てなかっただろうとされています。
北支那方面軍の「あか筒」と「みどり筒」のみですが
使用量を見てみます。
●資料は北支那方面軍「射耗弾薬調査票」と
「昭和14年度及び15年度弾薬射耗数量表」の組み合わせです。
栗屋憲太郎編「中国山西省における日本軍の毒ガス戦」から
| 1937年7月8日~ 1938年10月末日 | 1939年4月~ 1940年3月 | 1940年1月~ 1941年3月 |
各種あか筒 | 14,271本 | 19,072本 | 30,828本 |
89式催涙筒甲 | 447本 | 5,263本 | 6,191本 |
89式催涙筒乙 | 2,141本 | 記載なし | 記載なし |
注:年月が抜けているところがありますが、
発見された分だけです