1941年8月6日、
炭鉱労働者が多いこの村で起きた事件です。
日本軍は6日明け方「第2次治安作戦強化運動」の
集会を開くという名目で
隣り合わせに並ぶ3つの屋敷に村人を集めた。
150人程であった。
集まったところへ6時過ぎ日本兵が来ると
機関銃を据え付け乱射し、
その後軍刀で切り、銃剣で刺した。
中国側資料では死亡100人以上、
負傷約50人と言われている。
日本側資料では
「第2次治安運動は1941年7月7日から9月8日にかけて
行なわれた華北での共産党撲滅の作戦だった。
激烈な闘争が一部で行なわれ、
日中民間人から相当な犠牲者さえ生じた」とされている。
歴史叢書 北支の治安戦1 から
尚、この作戦では一人の日本兵が
混乱のさ中に数人の中国人を助け(李四黒さんの家族)、
又ある若者(李連灯さん)を射殺すると見せかけて
村はずれで逃がした資料が中国側資料にあります。
村人は名前も分からないこの兵隊を
感謝の気持ちを込めて遠くから観察していたそうですが、
その後兵隊は病気で自殺(?)したとの事です