前項目、久村中佐の欧米視察の前後から
陸軍では化学兵器の生産計画が始まっています。
年代順に整理します
1922年
新宿戸山が原に創設された
陸軍科学研究所第二課化学兵器班で研究スタ-ト
久村種樹中佐をトップにして、
毒ガス実験・製造施設を建造。
1924年
毒ガス研究は陸軍科学研究所第3部に移行。
調査・防護・運用・整備の4班編成となり
総勢100人余りになった。
1925年5月
陸軍科学研究所新築落成
1926年
参謀本部内に毒ガス研究会を設置
1928年
広島県大久野島忠海製造所が稼動
1932年7月
陸軍科学研究所第二部へと改編
1933年
永田鉄山と小泉軍医学校校長は、
毒ガスを習志野学校で、
細菌戦は731部隊で行うことを決定。
1941年6月
陸軍技術本部第六研究所となる
1942年10月
陸軍兵器行政本部設立にともない
第六陸軍技術研究所と改称された
昭和に入ると広島の大久野島に
兵器工場の建設が始まりました。
日清戦争のときに
広島市に大本営が移され1894年には、
7ケ月でしたが広島市は臨時の首都になりました。
呉には海軍の鎮守府が置かれるくらい
広島は重要な軍都になりました。
重要な軍都を守る必要もあり
兵器工場が出来たともいえます。
当時日本陸軍の兵器生産を
担当していたのは造兵廠です。
造兵廠には東京工廠、火工廠、名古屋工廠、
大阪工廠、平壌兵器製造所があり、
忠海・大久野島の毒ガス工場は火工廠に属し、
15番目の兵器製造工場でした。
最初は忠海兵器製造所として発足し
その後大久野島に工場が建設されたのです。
正式には1929年(昭和4年)5月19日に開所式が行われました。
●陸軍造兵廠の製造所一覧(1932年版)
「陸軍造兵廠歴史」昭和7年度から
区分 | 製造所名 | 所在地 | 主要製造品目 |
東京工廠 | 小銃製造所 | 東京 | 小銃、拳銃、軍刀、銃剣、機関銃、照準具、光学的兵器、電気的兵器等 |
砲具製造所 | 東京 | 砲用弾丸、航空機弾、鋳造品、自動車等 |
小倉兵器製造所 | 小倉 | 砲用弾丸、航空機弾、車両、器具材料 |
火工廠 | 板橋火薬製造所 | 板橋 | 火薬、爆薬等 |
王子火薬製造所 | 王子 | 火薬原料、爆薬等 |
岩鼻火薬製造所 | 岩鼻 | 火薬、爆薬等 |
宇治火薬製造所 | 宇治 | 火薬、爆薬等 |
十條兵器製造所 | 王子 | 銃用實包及空包、信管、その他火具類 起爆剤等 |
忠海兵器製造所 | 忠海 | 爆薬等 |
名古屋工廠 | 熱田兵器製造所 | 名古屋 | 車両、器具、材料、砲用薬莢、飛行機、自動車等 |
千種兵器製造所 | 名古屋 | 発動機、小銃、拳銃、銃剣、機関銃等 |
大阪工廠 | 火砲製造所 | 大阪 | 火砲、車両、器具材料、自動車、発動機等 |
弾丸製造所 | 大阪 | 砲用弾丸、航空機弾、信管、その他火具類 起爆剤等 |
鉄材製造所 | 大阪 | 鋼材、鋳造品、鍛成品、砲用薬莢等 |
平壌兵器製造所 | 平壌 | 砲用弾丸、航空機弾、車両、器具材料、飛行機等 |
1938年からは福岡県の陸軍造兵廠曽根兵器製造所で
化学剤を砲弾や投下弾に充填することが始まりました。
注:上の表には年代的にまだ記載がありません
1933年には化学戦教育と
化学戦資材の運用訓練のために
陸軍習志野学校が創立されました。
将来のソ連との戦争を想定していた陸軍は、
1937年8月に満州チチハルに
関東軍技術部を創設し中に化学兵器班を置きました。
化学兵器班は1939年8月に
満州516部隊(関東軍化学部)へと昇格し、
第六陸軍技術研究所(陸軍科学研究所第二部)の
出先機関となります。