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キーワード「集団自決」を含む投稿一覧

  • 集団自決

    2020/07/13
    16:10

    日本軍は徹底して住民に

    米軍に対する恐怖心を植え付けました。

    アメリカ人はツノが生えていて鬼だ、

    捕まると虐殺され、女は暴行され、

    子どもは食べられる・・・・等です。

     

    沖縄は移民が多く外国暮らしの経験者が

    多かったためその嘘は見破られました。

    そこで日本軍はその嘘がばれるのを恐れて、

    外国帰りの人や沖縄語を話しただけでも

    スパイとして処刑したのです。

    そこに集団自決の原因の一つがあるようです。

     

    「慶良間諸島」

    以前より梅沢隊長から

    「住民は男女を問わず軍の戦闘に協力し、

    老人子どもは忠魂碑前に集合、

    全員自決せよ・・・」という通達がなされていました。

    自決用の手榴弾も防衛隊を通じて配られていました。

    3月26日、米軍が上陸した時、

    逃げ場を失った人々は、山中で或いは家庭壕で、

    家族親類ぐるみで自殺を決行しました。

    手榴弾のないものはカミソリ、鎌、包丁などで

    互いに刺し合い絶命しました。

    一本のロ-プの端を木に縛りつけ、

    20人の首に順に巻きつけて絞め殺した人は

    放心して米軍に保護されました。

    犠牲者は171人(沖縄県史では358人)と言われます。

     

    「渡嘉敷島」

    赤松隊長命令で集結した住民は

    日米両軍に挟まれて一斉自決をしました。

    家族ごとに手榴弾が配られたが、

    不発が多く、棍棒や鍬などで頭を割って自殺しました。

    犠牲者 329人(内 婦女子224名)

    ●証言

     1.  1945年3月20日 

      赤松隊から伝令で部落の住民を

      役場前に集めるように命令された。

      17歳未満の少年と役場職員を役場の前に集めた。

     2. 兵器軍曹が手榴弾を2箱持って来て、

      20数名に2個ずつ配り、訓示をした。

      訓示 

       「・・・・1発は敵に投げ、・・・・残りの1発で自決せよ」

    村役場から離れていた阿真集落では

    「捕虜になれば腹一杯食事が食べられる」との情報を信じて、

    米軍に保護され自決は行なわれませんでした。

     

    「慶留間島」

    男たちは防衛隊にとられ、

    女と子どもと老人の島でした。

    敵が上陸したら竹槍で戦い

    最後は自決する命令を受けていた。

    3月26日米軍上陸と同時に自決が始まった。

    子どもは親が手にかけ、ネコイラズを呑み、

    首をつり、或いは炎に飛込んで自殺しました。

    わずか1時間で人口100人の半数が死亡しました。

    犠牲者  53人

     

    「読谷」

    米軍上陸地点のすぐそば、

    読谷村波平の住民約1,500人は

    周辺に点在するガマ(洞窟)に避難していました。

    その中の大きな事件です。

    ●チビチリガマ

     141名が避難していました。

     4月1日米軍がやって来ると、

     13歳以上の住民が竹槍で攻撃を仕掛け

     機関銃でやられてしまいました。

     通訳が「殺しはしないから、ここを出なさい」と

     呼びかけましたが、

     アメリカ人に恐怖感を持っていた住民は

     洞窟の奥に逃げ込んでしまいました。

     洞窟の入口は警防団が固め、

     中国戦線帰りの在郷軍人は「米軍は捕虜にひどい事をする。

     だから自分で死んだ方がよい」と言い、

     元従軍看護婦は「軍人は本当に残虐な殺し方をするよ。

     うちは中国でさんざん見ているから良く知っているよ」

     と言って自決を強要しました。

     そして住民は衣類や草木を燃やして

     一酸化炭素中毒で自殺をはかり、

     刃物で家族ぐるみが刺し合い、毒薬の注射をしました。

     犠牲者 83名 (内 15歳以下が46名)

     

    1キロメ-トルほど離れたシムグガマには

    約1,000人の同じ部落の人が避難していましたが、

    自決は行なわれませんでした。

    ここでは日本軍人や防衛隊はいなくて、

    ハワイ移民帰りの英語が話せる2人の男性が

    リ-ダ-をしていました。

    アメリカにいた経験から

    彼らは日本軍のデマを信用せず、

    むしろ日本軍に恐怖感を持っていました。

    2人はすぐに米軍指揮官と交渉し、

    米軍はすぐに撤退し、

    避難民は全員保護されたのです。

    このような例は沢山あります。

     

    つまり避難した壕に日本軍がいた所は集団自決となり、

    いなかった所は助かっているのです。

    自決と言われる行為が自主的ではなく、

    実は半ば強制だったこのとの証拠です。

     

    沖縄では海外移民が多く、

    戦争前までの累計は72,000人になり、

    全国の移民中11%を占めていました。

    そのため海外、特にアメリカの文化に接し、

    英語を話せる人が沢山いたわけです。

    ですから日本軍人さえいなければ

    防げた悲劇がかなりあったはずです。

     

    「伊江島」

    前線から逃げてきた防衛隊員が

    住民に合流し急造爆雷で自決しました。

    犠牲者ははっきりしませんが、

    100人以上といわれています。

     

    「米須の洞窟(カミント-)」

    ●大屋初子さんの証言

     6月になって避難していた

     アガリガマ(洞窟の名前)に兵隊が来て

     「ここは友軍の陣地になるから民間人は立ち退く事」と

     追い出された。

     自分の家の墓を開けて隠れたが、

     そこにも兵隊が来て追い出された。

     最後はカミント-の地下洞窟に

     部落の人があちこちから集まった。

     6月22日、日本軍が実質的に解散したため、

     徴用されていた防衛隊員がカミント-洞窟に帰ってきた。

     防衛隊員は手榴弾を2個ずつ持っていた。

     1個は敵に投げるもので、1個は自決用です。

     防衛隊の人が「みんな一緒に自決しよう」と言った。

     手榴弾が配られて、家族ごとに固まった。

     そのうち爆発音がおこった。

     続いてあっちでもこっちでも

     手榴弾の音がバンバン聞こえてきた。

     真っ暗な洞窟で、うめき声や泣き声がビンビン響いていた。

     死ぬのが怖くなって

     お父さんお母さん妹と外へ飛び出した。

     翌日、道端に枕木を並べたように

     無数の死体がごろごろしていたが、

     それを見ても何も感じなくなっていた。

    ●沖縄国際大学 石原ゼミの調査

      米須部落の当時の人口  213世帯  1,034人

      戦死者   574人

      死亡率   55.5%

      一家全滅  62世帯

      注:集団自決で何人死んだか不明です。

        しかし一家全滅が多いことを考えると、

        家族ぐるみの自決が多かったと思われます。

     

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  • 沖縄人の愛国心

    2020/07/13
    13:00

    明治以降沖縄は一日も早く日本人

    つまり皇国民なろうと努力しました。

    日露戦争のとき、最も勇敢だったのは

    沖縄出身兵(熊本第6師団)だったといわれている位です。

    本土の日本人以上に愛国心に燃えていた面があります。

    ですから「根こそぎ動員」での陣地作りや

    食料供出にも全面協力してきました。

    それだけに住民は沖縄守備軍が

    住民の命や財産を守ってくれるものと信じていました。

    しかし戦闘が始まると沖縄の思いは裏切られてしまいました。

    戦陣訓(本訓3-7)には住民を愛護すべしとあるのに、

    自国の住民を苦しめたのです。

    軍による次のような行為がしばしば行なわれました。

     

    ●スパイ容疑で殺す

     1945年4月9日 命令書 球軍会議

     ・・・・軍人軍属を問わず標準語以外の使用を禁ず

     沖縄語を以て談話しある者は間諜とみなし処分す

    ●投降する住民を殺す

    ●集団自決を強制する

    ●避難していた壕から住民を前面に追い出し、

     兵隊が安全な場所に逃げ込む

    ●住民を虐殺する

    ●食料を掠奪する

     

    多くの沖縄住民が戦闘ではなく

    自国の軍隊に殺害されました。

    生き残った住民が「怖かったのは日本軍の方だった」

    「軍隊は住民を守らなかった」と語るのはこのことです。

     

    ●1988年教科書裁判で沖縄戦の記述が取り上げられ、

     「住民虐殺」と「集団自決」が焦点になりました。

     当時の日本軍を擁護する国側証人として、

     元防衛庁の一富嚢氏と作家の曽野綾子さんが意見を述べました。

     沖縄人の気持ちを考えるとひどい意見です。

    意見 集団自決は住民自らの選択である

         軍隊は住民を守るためにあるのではない

         壕追い出しは作戦遂行上必要な事であった

     

    沖縄では地元行政も住民を守る立場には立たず、

    軍の方針に追従していました。

    当時ですからある程度は仕方がないのかもしれませんが、

    行政の上層部がほとんど日本から派遣されていたせいもあります。

     

    ●1945年4月27日、

    南部で最後の警察署長と市町村会議が開かれました。

    その会議で県から出た指示事項です。    

    「消えた沖縄戦」 浦崎純 より

     ◎残忍な敵は我々を皆殺しにすると思う、

      敵を見たら必ず撃ち殺すというところまで敵愾心を高める事

      村に敵が侵入した場合1人残らず

      戦えるように竹やりや鎌などを準備して

      その訓練を行なって自衛抵抗に抜かりのない構えをとろう

      軍事を語るな、スパイの発見逮捕に注意しよう

     

    住民を守るべき行政も、安全より総力戦で戦えと指導していたことがわかります。

     

    日本からは差別感を持たれ、

    軍事的には捨石として少ない武力しかなく、

    沖縄側は献身的な愛国心を持ち・・・・

    持久戦のために徹底的に住民が総動員されました。

     

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  • 始めに

    2020/07/12
    13:37

    このレポ-トは2000年1~3月に書いたものに

    若干加筆訂正しました。

     

    1945年8月15日、日本は戦争に負けました。

    沖縄も日本の一部ですから敗戦に日は8月15日となるのですが、

    実は沖縄の場合は6月23日が敗戦日となっています。

     

    4月1日に「嘉手納」のあたりから上陸した

    アメリカ軍中心の連合軍は、

    5月には南部を除いてほぼ全島を制圧しました。

    そして連合軍の下に人々の暮らしは元に戻り、

    農作業や学校等も不完全ながら再開を始めました。

    各地に散らばっていた日本軍兵士は逃げ回り

    「徹底抗戦」を口実に山や島や洞窟にこもっていました。

    昼間はアメリカの統治下で、

    夜になると日本の敗残兵の面倒をみたり支配されたりで、

    住民はかなりの苦労を強いられました。

    そして6月に入ってアメリカ軍は

    沖縄南部に対する攻撃を強化しました。

    6月19日、日本軍の組織的抵抗は終了し、

    23日に沖縄守備軍第32軍司令官牛嶋中将と

    長参謀長の自害で軍は崩壊しました。

    そのために6月23日が終戦と言われているのです。

     

    その後統制をなくした日本軍兵士は半ば野盗化し、

    住民を巻き添えにして逃げ回り、

    8月15日を過ぎ10月を過ぎてから投降する者もいました。

    アメリカ軍と日本軍の板ばさみになった住民の多くが

    悲劇的な忌まわしい事件に会っています。

     

     

    中国侵略で南京事件、三光作戦、従軍慰安婦問題、

    細菌部隊、毒ガス戦・・・・

    数々の非人道的行為をした日本軍は

    自国の領土で自国民(沖縄人)に対して

    どの様に振舞ったか関心のあるところです。

    沖縄戦では世界にも類のない特徴として

    軍隊による自国民への虐殺や虐待がありました。

    また美化されて語られることの多い「集団自決」は、

    軍による強制がかなりあったこと、

    つまり自殺ではなかったということも大きな特徴です。

    よく言われる「米兵よりも日本兵の方が怖かった」

    「軍隊は住民を守らなかった」ということはどういうことだったのか?

    そして、日本軍とアメリカ軍兵士の死亡者合計よりも

    住民の死亡者の方が多かった事も特徴です。

     

    つづきを読む

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