防疫給水部(細菌戦部隊)としては、
満州にあった731部隊が有名ですが、
同じような部隊が1939年5月に広東市に作られました。
南支那派遣軍の「波8604部隊」です。
所在地は広東市の東山地区で、
現在は中山医科大学となっています。
部隊員は約800人といわれています。
初代部隊長は田中巌軍医大佐です。
この部隊に付いては「防疫給水部」として
別のレポ-トに書いてあります。
香港の増え過ぎた人口の疎散政策をとっていた
日本軍は住民を強制的に香港から追い出しました。
そして難民になった住民を治安のためと称して
「南石頭」という難民収容所に入れました。
難民収容所でもどんどん増える難民で
一杯になり収容限界に近づいたため、
日本軍は難民を殺害して減らす計画を立てました。
対外的にには病気と言う名目に出来るということと、
生体実験が出来るということで、
波1804部隊は細菌を使用する命令を受けました。
最初は収容所の4ケ所の井戸に
チフス菌やパラチフス菌を投げ込んだのですが、
中国人は生水を飲まないため失敗しました。
そこで東京の軍医学校から
強化したゲルトネル菌を運んで今度は湯冷ましに入れ、
中国人に飲ませたのです。
その日から死者が出始め、
最初は普通に埋めていたのですが、
あまりに大量の死者で間に合わなくなり
死体を重ねて埋めたそうです。
注:軍医学校
アジア各地で活動した細菌部隊の総本部のような所で、
新宿区戸山にありました。
戦後は国立予防衛生研究所(予研)と名前を変えています。
予研の歴代所長のほとんどは細菌戦部隊の関係者で、
エイズ事件にも重大な関係を持っていました。
現在は国立感染症センタ-になっています。
さらに感染しても発病しなかった保菌者は、
敵地に病気を広げるためわざと釈放しました。