野戦銃砲兵第15連隊
野戦銃砲兵第15連隊は
南京戦で重要な働きをした部隊ですが、
資料が極端に少なく、
また多くの研究論文にも部隊名しか登場せず、
詳しいことは不明でした。
第一次資料ですから
出来るだけ詳しくこの部隊について述べるつもりです。
今回からしばらくの
間野戦銃砲兵第15連隊に関することが続きます。
我慢してお付き合い下さい。
さてこの連隊は、
本来近衛師団の東部第72部隊の所属で、
本隊は野戦重砲兵第8連隊です。
本隊の野戦重砲兵第8連隊は
ノモンハン事件で大きな損傷を受けました。
第二次上海事変では
日本軍が相当に苦戦を強いられた為、
東京に残されたこの連隊の装備を利用して
臨時編成された部隊が野戦銃砲兵第15連隊です。
ノモンハンの損害で兵力が不足したため、
この臨時編成部隊では幹部以外はほとんど招集兵で、
上海で全滅覚悟の部隊だったといわれています。
しかし装備は近衛師団のため優秀で
中支那に派遣された部隊で唯一の機械化部隊で、
10センチカノン砲は8000メ-トル撃てたといわれています。
上海で全滅どころか、
装備の優秀性からどの師団にも属せず、
上海派遣軍直轄の部隊として活躍し、
南京に至るまで各師団、
旅団に協力し南京占領に大きな働きをしました。
一定の役割を終えた後日本に帰還し、
部隊は解散しました。
数年の期間のみ存在した部隊のため
一般的には資料が残らず、戦友会もありません。
アジア太平洋戦争の始まる前に解散したせいでしょうか、
珍しく記念の写真アルバムを作っています。
その後に第2次世界大戦に入ったので、
そのアルバムも焼失し、
多くの兵士は次の戦争に狩り出されたでしょう。
その為尚更資料が残っていないものと思われます。
珍しく、わたしの手元に、
従軍した元軍曹「永井仁左右」が残した、
「支那事変紀念写真帖」「個人写真」「回線図」
「軍隊手諜」「従軍手帖」「戦後に書いた個人の回想録」等が
残されて私の手元にあります。
これらのすべてが残っていることは
非常に珍しいことで、
恐らく他にはないものと考えられます。
その為出来るだけ全資料を公開します。
まずは支那事変紀念写真帖です。
次回からです。