国際連盟から国際連合へ

直接は今回の南京事件とは関係ありませんが

戦争の継続中ですので少し触れておきます。

1941年12月9日、

日本とアメリカが戦争を開始した翌日、

中国国民政府は改めて

日本・ドイツ・イタリアに宣戦布告をおこない

連合国の一員になりました。

翌年1942年1月にはワシントンで、

米・英・ソを中心とした26ケ国が

「連合国宣言」に署名し戦争遂行を

決意しています。

勝利が確実になった1943年8月

アメリカのルーズベルト大統領は

第二次世界大戦終了後に設立される

国際連合は、米・英・ソ・中が

安全保障理事国になる構想を発表しました。

いわゆる「四人の警察官」構想です。

11月にはカイロ会議が開かれ

日本に無条件降伏を要求しました。

1944にはフランスを含め

5大国が安全保障理事国になりました。

1945年6月26日にサンフランシスコで

51ケ国が集まり「国際連合憲章」が調印されました。

 

[中国軍の日本占領案]

1945年7月26日に

ポツダム宣言が発表された後、

8月12日に5大国の一員になった

中国の国防委員会は

「日本処理問題意見書」を発表しました。

● 対日基本政策

 ポツダム宣言と連合国が共同で決定した

 日本管理の原則に従い、

 日本を新しく改造して、

 真に民主主義を実現させ、

 中国および連合国を理解させ、

 真の平和愛好国と協力できるようにさせる

 1946年5月、連合国では対日占領軍として

 中国軍15,000人を派遣する事を決まりました。

 7月20日東京で中国駐日代表団朱世明将軍と

 連合軍ミュラ-将軍との間で、

 中国から派遣される占領軍の

 任務に関する合意文書が署名されました。

 中国の第67師団を骨幹とする兵力で、

 上海・香港・ベトナムに集結し

 日本に向かうことになっていました。

 中国軍はまず名古屋に上陸し

 愛知県を管轄化に置くことがスタ-トでした。

 8月17日、蒋介石は日本を占領するため、

 3個師団の軍隊(約3万人)を準備しました。

 しかし日本占領のために終結した

 中国軍は日本に向かいませんでした。

 占領予定軍が向かったのは中国東北部でした。

 その時中国東北部では中国共産党軍と

 国民党政府軍との激しい内戦が

 続いていたため日本に軍隊を送れなかったのです。 

 もし予定通り中国軍が日本に上陸し

 統治していたら戦後の日本は

 どのような状態であったでしょうか。