解決への道のり

世界中どこでも領土問題は解決が難しい問題です。

通常の人間関係でも同じ事で、

双方とも苦しむ問題です。

自分の主張を貫こうとすれば、

相手は更に多くの主張をします。

譲らなければ戦争になるか、

正常な関係は壊れます。

諸外国ではどうなのでしょうか?

領土問題を抱える国では、

双方の長期的な利益を考えて、まず先延ばしし、

経済や文化交流を優先し、対立を避け、

少しずつ譲歩し、多少の不満は我慢して解決へと進めています。

そのためにはお互いに前を向いて

友好的に話し合いをするしかありません。

いざこざと解決の例を少し書きます。

 

中ソ国境紛争1969年 

 国境の川ウスリ-川の珍宝島がどちらの国の領土かで揉めました。

 その時の戦闘でソ連死者34人、中国死者30人が出ました。

 その時両首脳は声明を発表し解決を先延ばしにしました。

 ◎コスイギン 9月22日 ソ連は中ソ関係の正常化を望む

 ◎周恩来   9月30日 我々の方から戦いを挑むことはしない

 この声明で取り敢えず管轄権のみ中国がもち、

 領土は先延ばして、

 1991年中ソ国境協定で中国領となったのです。

 20年以上かかっています。

 

中国はこの経験があったため、

尖閣に関しても棚上げしたものと思われます。

 

●ドイツとフランス  1950年「欧州石炭鉄鋼共同体

 ドイツ議会外交委員長

 戦後我々はフランスとの確執を克服した。

 日中関係がどうして改善されないのか不思議だ。・・・・

 相手の国がいかに非人道的な事を行なったかを

 指摘しあえばお互い山のようにある。

 しかしわれわれは2度の戦争を繰り返し

 このような犠牲を出す愚行をとめる決意をした。

 憎しみを続ける代わりに協力しあうことの方が

 両国民に利益をもたらす事を示した。

 安定した関係を作るには

 力の強いほうが譲歩しなければならない。

注:ドイツとフランスは歴史上長いこと戦争をしてきました。

       国境、海底の地下資源を巡ってです。

      それを解決したのです。

    それが現在の欧州共同体につながっているのです。

 

●ドイツとソ連

 ドイツは敗戦時ソ連との国境問題を抱えていました。

 アデナウア-首相  国境の決定は平和条約の完成まで停止する。

 関係の発展を重視したのです。

 

●イランとイラクはシャトルアラブ川の国境紛争でもめていました。

 戦争でイラン死者30万、イラク死者20万以上も被害が出ました。

 1988年国連のもと1975年のアルジェ合意で合意し、

 川底の最深部(タ-ルベ-ク原則)が国境となりました。

 

第二次世界大戦で中国は戦勝国、日本は敗戦国です。

しかも中国には多大な迷惑を掛けています。

国際法だけではなく道義と正義と友好の面も

加味して考えなければならない問題だから

引き延ばしされているのかもしれません。

棚上げにしてきたという事は領土問題があるということです。

日本政府のように「領土問題は存続しない」と

言い切るとこじれてしまいます。

又、解決は武力(戦争)か外交のどちらかしかない、

と言う評論家もいます。

戦争か外交かと言う二者選択は恐ろしい事です。

戦争はあってはならないことです。

日本は周辺のアジア諸国と

戦争の和解をまだきちんとしていません。

まず和解をしてから

友好的な話し合いをするしかないと私は思っています。

ここで終わりますが話のネタ的に余談を1つ追加して終わります。