移入の具体的実施に向けて
移入の手続きを大まかに言えば
1 企業は労働者の希望人数を厚生省に申し込む
2 厚生省は大東亜省に通知する
3 大東亜省は北京日本大使館に指示する
4 大使館は供出機関や日本軍に依頼し、
集める(強制連行)
5 企業は募集金を支払い労務者を受け取り、
各事業所で働かせる(強制労働)
6 金は現地日本軍に入る
注:まるで奴隷の売買と同じ仕組みです。
昭和17年11月、閣議決定の後に
企画院第三部は「華北労働事情調査団」を組織します。
その時に希望者リストが準備されたました。
●調査団の人員
12月11日の極秘文書「華人労務者移入に関する件」より
☆関係諸官庁
大東亜省・企画院・厚生省・内務省・商工省・・・・
7官庁から各1名
☆民間側統制会
石炭・鉱山・鉄鋼・土木等
☆企業(20名)
鉱山-三井、三菱、他
炭鉱-北海道、他
港湾-新潟、伏木、他
視察団は12月19日に北京に向かいました。
中国側(現地の日本組織)担当者は
華北労工協会、新民会、日本大使館労務課、
華北運輸等、30名でした。
注:新民会は1937年に出来た啓蒙思想団体、
1940年には北支那方面軍の宣撫班と統合
視察の結果、移入は困難な見通しとなりました。
☆華北の労働力不足に加え、
食糧難と物価高騰で日本への移入困難
☆同一資本系統の炭鉱より熟練工を出す事は、
現地炭鉱側で難色、
特に三井系の炭鉱では反対
しかし、それでは困るということで次のようになりました。
☆俘虜は作戦行動でいくらでもあつめられる。
収容設備等にもよるが内地移入なら喜んで供出する。
その結果、まずは少人数を1年間移入してみて、
その結果で本格移入するという事に決まりました。
そして1年後の次官会議決定になるのです。
この視察の結果を受けて、
まともな手段では労務者を集められないとし、
強制連行が始まったのです。
また、俘虜(捕虜)に付いては
「ジュネ-ブ条約」加盟していたため、
元俘虜、元帰順兵という名称にして
「元は捕虜や兵士だったが、
改心して良民になった」としたのです。
改心する場所として
「俘虜収容所」「労工訓練所」が作られました。
注:ジュネ-ブ条約
捕虜の人道的取扱、捕虜酷使の禁止等の条約。
日本は調印はしたが、
軍部の反対で批准できなかった。
第二次世界大戦が始まってから、
連合国は日本人捕虜と抑留者には
ジュネ-ブ条約を守るので、
日本にも守るよう求めてきた。
1942年1月陸軍省が了解したので
日本もジュネ-ブ条約を守ることを発表した。