始めに

世界中どの戦争でも

似たり寄ったりかも知れませんが

強制連行や強制労働が行なわれます。

日本でも戦争中は

中国・朝鮮・東南アジアで

強制連行、強制労働が行なわれました。

特に侵略地中国では当然の事ながら

激しい強制連行が行なわれました。

連行して強制労働をさせた先は

地元中国、満州国、日本でした。

ここでは中国人の日本への強制連行を取り上げます。

戦後長いこと、日本政府は

「強制連行や強制労働に関しては、

はっきりとした証拠や資料が残っていないので

補償等は出来ない」とする立場を取ってきました。

 

●1960年5月3日、

    日米安全保障条約等特別委員会での 

    伊関アジア局長答弁

昭和21年の3月に、

外務省管理局において、

そういう調書の作成をいたしたそうでございますが、

そういう調書がございますと、

戦犯裁判の資料に使われて

非常に多数の人に迷惑をかけるのではないかということで、

全部焼却いたしたそうでありまして、

現在外務省としては、

そうした資料を一部も持っておらない次第でございます・・・・

 

●1960年5月6日 岸信介首相の答弁

戦争中わが国に渡来した中国人労務者が

国際法上の捕虜に該当するか否かについては、

当時の詳細な事情が必ずしも判明しないので、

いずれとも断定し得ない

 

伊関アジア局長の答弁で黄色線を引いた

「外務省の調書・資料」というものがあります。

日本の外務省が自ら調査した

中国人強制連行の資料があったのです。

そして戦犯問題の資料に使われる事を懸念して

せっかく作った資料を焼却処分にしてしまったのです。

つまり証拠隠滅です。

実はこの「外務省報告書」の

焼却し損なった1部が

東京華僑総会に持ち込まれていました。

華僑総会でこの資料をもとに

遺骨の発掘や労働者の中国への送還運動をしていました。

この報告書は「外務省管理局」と

印刷されているにもかかわらず、

日本政府は本物と認めませんでした。

そのため前記の答弁になったのです。

 

その後30年以上経った1992年

アメリカ国立公文書館で戦争中の日本軍資料が色々発見され、

その中に「外務省報告書」が1部含まれていたのです。

その結果1994年6月、

日本政府はそれらの報告書を本物と確認し、

中国人強制連行の事実をやっと承認したのです。

戦争が終わって50年近く政府は隠し続けたのです。

一般国民が知らなかったのは当然でしょう。