陸軍習志野学校

1932年(昭和7年)12月、

陸軍省は兵備改善案を発表し

毒ガス防護教育の充実を目指しました。

翌年化学戦学校を千葉県の

習志野に設置されることになりました。

開校は1933年8月1日です。

 

4月21日に制定された陸軍習志野学校令によれば、

●第1条に目的として

 「陸軍習志野学校は軍事に関する化学の教育

 並びに調査研究等を行う所とす」とされ

 当初は主として毒ガスの防禦法の研究

 重点が置かれていたようです。

 実際に中国に派遣される部隊は

 ここで毒ガス対策の訓練を積みました。

 中国戦線や太平洋戦線の拡大とともに

 毒ガスの実地訓練も行われるようになり事故も

 増えたようです。

 組織は当初は簡単な組織で当初は将校と下士官10数名、

 1935年には専任教官が14名、

 どんどん拡大が続き

 1945年には1357人に増えていきました。

 戦争ではほとんど空襲を受けず、

 終戦では米軍によって8月27日閉校しました。

 

「訓練の内容」

各師団や旅団の将兵が習志野学校に派遣され

どのような教育訓練を受けたのか、

1932年の国防大辞典・陸軍兵器

「化学兵器と化学戦」を参考にしてみます。

注:竹原市毒ガス展・伊藤彰一氏論文を参考にします。

 1、化学戦と化学物質に対する認識

 2、毒物の種類と特性、その効果

 3、毒ガスの時間的な作用

 4、新しい毒ガスの研究、開発

 5、机上論理による毒ガスの効果

   (東京に毒ガスが散布された場合に

   解毒する化学物質の必要量など)

 6、毒ガスの製造能力(アメリカなど他国の例も)

   ・火砲迫撃砲・投射機・手榴弾、銃榴弾

   ・飛行機による雨天・森林散布

 7、毒ガスの使用方法(実地訓練と併用した教育)

 8、陸地、海洋の毒化

 9、毒ガスの各個防御と集団防御

 10、防毒剤

 11、瓦斯斥候

 12、発煙剤

 13、毒ガス戦の歴史研究

 14、有毒ガスの平時使用

・医薬品・工業品および原料

・殺菌消毒・害虫駆除・治安維持

 15、世界の化学戦の準備上京と列国の化学兵器の趨勢

「歴代校長」

 中島今朝吾 少将 1933年8月1日~

 谷口元治郎 少将 1936年3月23日~

 鈴木重康  中将 1937年12月1日~

 西原貫治  少将 1938年12月10日~

 青木重誠  少将 1941年3月1日~11月13日

 白銀義方  少将 1941年12月1日~

 小池龍二  少将 1944年2月7日~

 山崎武四  大佐 1945年2月20日~