責任者の処罰
一般に組織の場合、
行動を起こすとき自分の考えか、
上からの命令で動きます。
そして何か問題がおきたら、
実行者又は命令者が責任を取ります。
よく「責任者を出せ」とか「支配人を出せ」と
言うのはそういうことです。
命令系統があるという事は責任系統も
あるということです。
企業では当然のことです。
日本軍の場合「上官の命令は天皇の命令」という事で、
部下は一切何も考えずにただ
命令を実行することが任務でした。
命令系統の一番上は天皇です。
軍隊の指揮権つまり「統帥権」は
天皇にあったのですから当然です。
政府(天皇、国、軍)の命令で戦争をし、
内外に大変な迷惑、被害をかけたのですから、
責任者は当然責任を取るべきでしょう。
責任を取るのは実行者と命令者でしょう。
そして誰が責任を調査し追及するかといえば
私たち日本国民と、被害を受けたアジアの人々です。
しかし日本では主権者の国民は
責任の追及をしていません。
それどころか最高責任者である天皇は
罪さえ問われませんでした。
最高責任者がそうですから、
天皇の次の命令責任者のほとんどが
戦後政財界に復帰しています。
アメリカによって裁かれた戦犯が
神社に祭られてさえいます。
そして処罰されるべき実行者である
兵隊は恩給や年金を貰っています。
不思議な事に国民の誰しもが
そのことを変だと思っていないのです。
憲法の「政府の行為によって
再び戦争の惨禍が起こることの
ないようにすることを決意し、
ここに主権が国民に存することを宣言し」という
前文を守るためには、
きちんと責任者処罰をするべきだったのでしょう。
昔の軍隊も、現在の政治家、官僚も、一般社会も・・・
日本ではいつの間にか
責任の所在があやふやになってしまいます。
戦後の日本は、戦争責任について
きちんとけじめをつけなかった事が
最大の欠点として国際化時代の現在に
影響を及ぼしています。
戦争のけじめ、つまり後始末は
必ずしもアジアに対してだけではありません。
日本国内に対しても、
茨城や平塚の毒ガス弾、
防空壕での被害、不発弾、空襲の調査、・・・・
後始末をしなかったことの被害は
日本人にも出ているのです。
それにしても戦争で数百万の死者が出て、
空襲を受け、原爆を落とされ、
戦中戦後困窮した生活を送り・・・・
戦争の悲惨さは日本人なら身にしみています。
しかし、辛かった、大変だったというだけで、
一体その原因は何だったのか。
私たちをこんなに苦しめたのは誰なのか、
加害者はだれだったのか・・・
私たち日本人は考えようとしません。
これだけ国民を苦しめた加害者を
追及しないのですから、
アジアの被害に目が向かないのは
当然かもしれません。
● 連合国が裁いた東京裁判は、
国と国の裁判でアメリカの
利益を中心に行なわれました。
そのためでしょうか多くの事が抜け落ちています。
◎日本人に対する被害
◎アジアの民衆の被害
◎女性と子どもの被害
◎細菌戦や毒ガス戦の被害
● 天皇には戦争責任がないとするかんがえがあります。
◎国家無答責
国家は天皇である。(国体)
天皇は神である。(現人神)
神は誤りを犯さない。
犯さないから謝らない。
つまり国家(天皇)は謝らない、という 考え方です。
注:日本だけではなく諸外国でも
似たような考えがあります。
明文化された法律ではなく、
単なる考え(イデオロギ-)です。
たとえ国家無答責であっても、
それは国家権力の及ぶ国内で通用する考えで、
外国つまりアジアの人々 には
通用しないでしょう。
さらに日本が1911年に批准した
ハ-グ陸戦条約の第3条では
「交戦当事者は、その 軍隊を組成する人員の
一切の行為に付責任を負う」となっていて、
国が被害者個人に責任を負うことを決めていま す。
◎輔弼責任
天皇は飾り物で全責任は補佐(輔弼)役にあるという考え
注:輔弼は政治経済においていわれることで、
軍に関しては統帥権のある天皇に
責任があります。
それよりもこの考えも日本国内だけで通用し
国際的には言い逃れのように聞こえます。
● 謝罪とは心を寄せること
現在の沖縄ではしばしば米軍兵士による
レイプ事件が起きます。
そのつど抗議運動が起きます。
米軍に対して、米国に対して、
基地を許している日本政府にです。
実際に許しがたい事件です。
しかしこれと同じ事を日本は国ぐるみ、
軍ぐるみでアジアの各地で行なったのです。
沖縄の事件には怒る私たち日本人は、
日本が起こしたもっとひどいことを、
被害者の心を、どうしてきちんと受け止めて
謝罪できないのでしょうか!
もしかしたら日本の教育(家庭、学校)の中で
他者の痛みにそっと心を寄せることや、
社会の出来事を自分のこととして
考えるということが抜けているのかもしれません。