国際連盟は知らなかったか
それでは国際連盟はどうだったのでしょうか?
これも次の資料を見ていただければ分かります。
● 国際連盟理事会決議文
1938年2月1日付 「内容―中国政府の提訴にもとづく決議案」
理事会は、極東情勢を考慮し、前回の理事会以降も、紛争が継続し、
さらに激化している事実を遺憾の意とともに銘記し、
中国国民政府が中国の政治的経済的再建に注いだ努力と成果にかんがみて、
いっそうの事態の悪化を憂慮し、
国際連盟総会が1937年10月6日の決議によって、
中国に対する道義的支援を表明し、
あわせて、連盟加盟国は中国の抵抗力を弱体化させ、
現下の紛争における中国の困難を助成しかねないいかなる行動も慎み、
それぞれが中国支援拡大の可能性を検討すべきであると勧告したことを想起し、
国際連盟加盟国にたいして上記の決議に最大限の注意を喚起し、
東アジア紛争に特別な利害を有する理事会加盟国が、
同様の利害関係国との協議を通じて、極東紛争の公正な解決に寄与するため、
今後のあらゆる手段の可能性を検討するいかなる機会も逃さないことを確信する。
◎添付書類 国際連盟理事会第6会議議事録
1938年2月1日付 「内容―中国政府の声明」
ただいま読み上げられました決議案を拝聴しました。
本決議案に関する中国政府の見解を表明する前に、
最近数ヶ月間に起った出来事を述べ、
現下で連盟理事会が何をなし得るか、
我が国の切実な要求は何か、についての中国政府の見解を申し述べたいと思います。
第18回連盟総会が、昨年10月6日、
日本の中国侵略にたいする中国政府の抗議に関連して決議を採択した後も、
日本軍は中国領土への無慈悲な侵略を続け、
これをいっそう激化させています。
華北の日本軍は黄河を渡り、聖なる山東省の都であり、
孔子の生地でもある済南を占領しました。
華中では11月、中国抵抗軍が、
陸海空が一体となった日本軍の激烈な攻撃に対して
3か月に及ぶ抵抗をおこなったすえ、
上海地方からの撤退を余儀なくされました。
南京に脅威が迫ったため、
中国政府は首都を
南京から1000マイル離れた重慶に移すことを強いられました。
日本軍が漢口と南京にたいして加えた執拗な攻撃の結果、
12月には、この2つの重要な都市と
最も肥沃で人口の多い長江流域が日本軍占領下に入りました。