南京事件

ニュ-ヨ-クタイムス ハレット・アベンドの記事
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最終更新日:2019/03/02 11:56

多くの外国人ジャ-ナリストは南京が陥落する前に南京から避難していましたが、

F・ティルマン・ダ-ディン、A・T・スティ-ル等わずか5名のジャ-ナリストは南京に残り取材を

続けました。

これらの人も2月15日には日本軍から退去の命令を受けました。

南京や上海からのジャ-ナリストが書いたニュ-ス記事をいくつかを紹介します。

 

「ニュ-ヨ-ク・タイムスの記事」

ハレット・アベンド

●1937年12月17日 ニュ-ヨ-ク・タイムズ特電     

「不幸な事件」      

南京への勝利の入城の数時間前に、日本の松井石根大将は用意された声明を発し、

勝利の栄光は米英に対する「きわめて不幸な事件」によって損なわれた事実を言い、そしてこう言った。

「私は心の底からこれを悔やむものである。」

松井大将は、日本軍は南京入城に示された陸・海・空戦力の成功でまだ満足するものではない、と宣言した。

彼は、「東亜の永続的な平和確立のための現下の討伐戦」を断固としてやりぬくという目的を繰り返し言明した。      

南京陥落はすでに厭戦気分の華北戦線の中国軍の士気に甚大な影響を与えている。

山東省西部では8000人の一軍が降伏し、このほか山東省および河南省南部の諸軍合計9000人が銃を捨てた。       

昨日、南京の日本軍司令部は、南京城内で1万5000人以上の捕虜を得たと発表した。

市内には、このほか軍服を捨て、武器を隠し、平服を着た兵士2万5000人がいると信じられている      

「屍体の散乱する南京」 12月16日 南京発 AP      

かつてその繁華を謳われた中国の古都は、

いまや町が被った砲爆撃と激戦により殺された防衛軍兵止および一般人に屍体が散乱するありさまだ。      

町中に軍服が散らばる。

潰走する中国兵が脱ぎ捨てて平服に着替え、日本軍の手による死を免れようとしたものだ。        

日本軍の猛攻に中国軍の防衛が崩壊し、南京から退却する間、

少数の中国兵による略奪があったが、彼らが去った後は少数の日本兵による略奪が行われた。        

日本軍は、在南京のアメリカ人、ドイツ人の主唱によって成立した安全区に砲爆撃しないよう努めてきた。

10万以上の中国人が地区内に避難した。(注:安全区)        

中国軍の安全区退去が遅々としていたにもかかわらず、日本軍は地区内を攻撃しなかった。

迷い弾が少々落下し、数名が死んだだけであった。

●1937年12月19日(日) 上海発特別無線

日本陸軍上層部は、南京入城を国家の不名誉なものにした略奪、暴行、殺戮を速やかに終息させるため、

遅ればせながら厳しい懲戒手段をとりはじめた。

たけり狂った部下が、数百人の非武装の捕虜、民間人、婦女子をでたらめに殺害するという

衝撃的な不行跡は、中支那方面軍司令官松井石根大将には一切知られないようにするために、

必死の努力がなされているものと思われる。

ところがこの老猾な老武将は、下級将校の中にはもみけし工作に関与しているものがいることを、

すでにうすうす気づいている模様である。

指揮の手腕を心からほめたたえるはずの正当な南京入城は、

パナイ号攻撃で台なしになってしまい、さらには、中国の元の首都に到着するや、

包囲が完了してからの出来事を知ったとき、落胆はパナイ号を凌ぎ、恐怖と恥辱の色を濃くした。

日本の国も国民も、武勇と義侠の誉れ高い陸軍を長く誇りにしてきた。

が、中国の大略奪集団が町を襲う時よりひどい日本兵のふるまいが発覚したいまや、

国家の誇りは地に落ちてしまった。     

「外国人の証言」

この衝撃的な事実を隠蔽しようとしても無駄である、と日本当局は沈痛に受け止めている。

偏見やヒステリ-に充ちた中国人の言うことには、日本兵の蛮行を告発する根拠は見出せなくとも、

忌まわしい事件の間じゅう、市内に留まり、今なおそこにいて、絶え間なく続く暴行を書きとめている。

信頼のおける米・独人の日記や覚え書きによって、日本兵の蛮行は告発されるだろう

南京にいた記者全員がパナイ号の生存者を運ぶ上海行の船に乗り込んだあと、市内の情況はいっそう悪くなった。

彼らが火曜日に南京を去ったので、あらゆる残虐行為は、火曜日、水曜日と、しだいに報道されなくなった。

軍紀の立て直しは木曜日に開始された。

日本陸軍は、いかなる外国人にも長期にわたって南京に入ってもらいたくなかったし、

今後も許可を与えないだろう。

だが、すでに内にいる外国人が外部と何らかの接触手段を見つけるであろう。

これまでのあらゆる証拠が調査されるとき、当地では次のように観測している。

つまり、南京占領という輝かしい戦いは、日本軍の戦史に栄光の記録としてつけ加えられるのではなく、

日本国がその極悪非道を必ず後悔するような歴史の一ペ-ジを書き記すことになろう。

日本の政府機関のあらゆる部門に働く、信頼できる、心ある役人たちは、

起ったことを過小評価しようとはしていない。

それどころか、彼らは多くの点において情況が世間一般に知られている以上に悪くなってきていることに狼狽している。    

●1938年1月25日  ニュ-ヨ-ク・タイムズ特電 1月24日上海発      

軍事的必要その他の日本側の口実をすべて剥ぎ取ってみるに、

日本軍の中国前首都攻撃から1ケ月と10日経った南京の現状は、

日本当局が外交官以外のいかなる外国人の南京訪問をも許可できないほど無法で蛮虐であるという赤裸々な事実が残る。

12月26日、上海の日本側高官たちは南京で略奪、暴行が続いていることを残念ながら認めると言い、

記者に対し軍規劣悪、命令不服従の部隊は小部隊ずつ長江北側に移動されているとのことであり、

その守備範囲は精選された軍規厳正、行動良好の部隊によって替わられる、と約束した。      

さらに1月17日にも、日本当局は記者に、遺憾ながら南京はまだ嘆かわしい情況であると認め、

統制を逸し、日々に何百という婦人や少女への暴行を働いている軍の師団は2~3日中に南京から退去される見込みだ。と保証した。     

「無法の支配が続く」      

だが1月20日の遅きに至っても無法の支配は何ら抑制されることなく続いている。

もし約束どおりに部隊の交代が行われたならば、

新来の部隊も旧来本市に駐屯して法と秩序の擁護者を持って任じてきた部隊と同様、無規律であるということになろう。      

先週金曜日夜、上海の日本当局は率直に、この情況に関する電信報告は検閲を通過しないと警告し、

事実上、日本軍の声威を傷つける恐れのある「悪意ある」報告の海外打電を禁止した。

包囲、攻撃の間ずっと生命を掛けて難民キャンプの運営に当ってきた宣教師や福祉活動家が

上海に宛てた南京戦報告や、現在南京在駐の領事等外交官の報告が、すべて悪意あるものとはとうてい考えられない。

これらの報告はいずれも一致し、

日本軍側の残虐行為と無統制の放縦についての目撃者の証言を含んでいるのである。

これらの報告は、その主要部分は印刷不可能であるが、当地ではきわめてきわめて厳重な憶測を呼んでいる。

南京地区の軍隊(注:日本軍)のなかには事実上の反乱状態が存在するのではないか、

蛮行を重ねる部隊は市外へ撤去、北進して徐州方面へ進撃中の日本軍に

合流せよとの命令服従を拒んでいるいるのではないか、

と観測するものもいる。

また、いまや無規律は長江デルタ地帯の日本軍全師団に拡がったのか、

松井石根大将など指揮官はこれを制御できないほど無力なのか、と考える者もいる

上海の外国人特派員は日本の検閲により、

上海諸新聞の外国人所有者の編集コメントの海外打電を禁じられた。

それは南京地区の現状は日本軍の軍服に泥を塗り、

その礼儀、行動良好の評判をまったく地に落とすものだ、ということを恐れることなく宣言するものであった。

 

 

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