沖縄戦

住民虐殺
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最終更新日:2014/05/29 17:29

米軍は初期から沖縄の一般住民を日本軍から救出する準備をしていました。

空からは「命を助けるビラ」がまかれ、スピ-カ-でも呼びかけましたが住民はなかなか出てこなかったのです。

住民は日本兵に監視され、「敵に投降する者はスパイとみなして射殺する」と脅かされていたからです。

両手を挙げて米軍に投降する住民や兵士は日本軍から狙撃されました。

また泣き叫ぶ子どもは絞め殺されました。

まるで日本軍は沖縄の住民を盾にして時間をかせいだ感じですが、

住民のスパイ視には国士隊という組織が一役買っていました。

住民虐殺の多くは闇に埋もれたまま不明ですが、明確に分かっているだけで40件以上、

犠牲者は200人以上です。

いくつかの例をあげてみます。

* 知念村の前城さん   名目 非協力分子

球部隊に陣地構築用の資材を納入、代金を請求に行ったが、資材を協力するのは当然として射殺された。

* 知念村の大城さん   名目 反軍的非国民

日本兵の泥棒の振る舞いを注意してその場で銃殺刑

* 知念村の与那城さん  名目 危険分子(スペイン語がわかるため)

南米移民からの帰国者で、避難小屋で斬冊された

* 久志村        名目 敵への投降

米軍の収容所にいた避難住民の女性40名が日本兵に連行され、手榴弾を投げられ何人かが即死。

* 本部         名目 スパイ容疑

耳が遠い校長がウロウロしていたが、スパイとみなされ射殺。

* 真壁村(糸満)真栄平 名目 反軍的非国民

6月21日頃、米軍の包囲が迫ってきた時、日本軍避難していた墓や洞窟から住民を追い出し、

命令に従わない者を射殺した。

被害者は100人以上。

* 大宣味村

住民役90名が米軍に保護されていたが、5月中頃山から降りてきた敗残日本兵は、

男数名を斬殺し、婦女子に手榴弾を投げ25名を殺害、15名に重傷を負わせた。

食料、毛布等は全て盗まれた。

* 国頭ではハワイ帰りの人が中学1年生位の孫を射殺された。

   英語が話せる為。

 

[久米島・鹿山隊の虐殺]

  久米島には海軍見張所があり、隊長は鹿山正海軍兵曹長だったが、そこでも26人の虐殺が行われた。

* 久米島郵便局・有線電話保守係の安里正二郎さんは米軍の捕虜になり、

   その後米軍の使いとして投降勧告状を届けに来たところを殺された。

* 北原区長、警防班長等9名は、米軍上陸時捕虜になったが即日帰宅を許された。

   2日後9名は鹿山隊に射殺された。

* 仲村渠さんは沖縄本島で捕虜になり、8月18日米軍とともに久米島にわたり、

   戦争終了を伝えて歩いたが鹿山隊に捕まり、親子3人手榴弾で虐殺された(子どもは1歳)

* 朝鮮出身の谷川さんはスパイ容疑をかけられ8月末一家全員7人が日本刀で斬殺された。

   合計26名が殺害されたと思われています。

久米島虐殺の責任者・鹿山曹長は戦後徳島県に住んでいる事がわかり、

1972年にサンデ-毎日の取材を受けています。

*サンデ-毎日  1972年4月2日  沖縄のソンミ事件より

問:あなたは久米島の住民を数回にわたって処刑しているといわれるが、真実は?

答:そのとおりです。それはその、スパイ行為ということですね。

  処刑は銃剣でやるように命令しました。突くようにね。

問:突き殺して、放火した?

答:ええ、火葬にしました。家と一緒にね。それから後片付けをするように村長に命令しました。

  え~と、ワシの見解はね、当時スパイ行為に対して厳然たる措置を取らなければ、

  アメリカ軍にやられるより先に、島民にやられていまうということだったんだ・・・・

  だから島民の日本に対する忠誠心をゆるぎないものにするためにも、断固たる措置が必要だった。

  島民を掌握するためにワシはやったんです。

問:安里電信保守係はどうしたのですか?ピストルで撃ってドブに蹴落としたといわれているが・・・・

答:それはですね、ドブではないですよ。

  ちゃんと見張所の近くに埋める穴を掘って、そこに銃殺して埋めたということなんだ。

  これはわたし自ら拳銃で処刑しました。

            途中 省略

問:今、あなたはどう思っていますか?

答:少しも弁明はしません。

  私は日本軍人として、

  最高指揮官として当時の処置に間違いがあったとは全然思っていないからです。・・・・

  ワシは悪いことをしたとは考えていないから。

  良心の呵責もない。

  ワシは日本軍人としての誇りを持っていますよ。

このインタビュ-は、旧日本軍の亡霊にあったとか、同じ軍人として恥ずかしい・・・・等の非難が起きました。

特に沖縄での怒りは激しいものでした。

 

[渡嘉敷島・赤松隊による虐殺]

   渡嘉敷島は海上艇進第3戦隊(隊長赤松嘉次大尉)が守っていました。

この島では強制自決で300人以上の人が犠牲になった上、虐殺もありました。

1970年、隊長だった赤松元大尉が慰霊祭で島を訪れようとしたとき、住民の怒りの抗議行動で追い返されました。

   * 4月中頃○○さんは集団自決で妻子を失い放心状態でさまよっていたところ某伍長に斬殺

   * 5月始め、難民収容所から男性1名女性5名が米軍の使者として

     赤松隊に降伏勧告状を届けに行ったが斬殺された。

   * 集団自決で重傷を負って米軍に救出され回復した16歳の少年2名が捕まり、スパイ容疑で斬殺。

   * 妊娠中の妻の安否を気遣って避難所に行った教師、大城徳安さんが敵前逃亡で斬殺された。

   * 8月16日、防衛隊員2名が赤松隊に降伏勧告状を届けに行ったが斬殺された。

   * 斬殺された朝鮮人軍夫の死体が各所で発見されているが実数は不明

ここにあげた住民虐殺の例はほんの一部ですので今後の調査でさらに増えるかもしれません。

 

このような住民虐殺は同国民に対して行なわれました。

世界でも稀な事でしょう。

沖縄に対しては中国や朝鮮その他アジアで行なったと同じ残虐行為をしたのです。

そこにはやはり差別感が共通しています。

そして人を殺すことにマヒした戦争の異常さの前には、

武器を持たない住民への思いやりなどひとかかけらもありません。

あったのは天皇の軍隊という特権意識で、天皇つまり国体を守るためには何をしても許されるという独善でした。

* 「沖縄県史・ある兵隊の話」

              住民が兵隊から言われた言葉です

・・・・あなた方さえいなければ、戦争は勝てたのに、どうして疎開しなかったか・・・・

・・・・お前たちは戦争の邪魔者だ・・・・と壕に入れなかった。

 

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