三光作戦

河北省潘家戴荘の虐殺
記事専用プリント対応ページ

最終更新日:2014/05/06 10:04

* 周樹恩さんの証言  1913年生まれ

八路軍の遊撃戦が私たちの村を通って行ったので

日本軍は村人が遊撃隊と通じているとして大虐殺を行なったのです。

棍棒で殴る、銃剣で突く、生埋めにする、焼き殺すなどで1,280人ほどが殺されました。

そして約100人の女性が強姦され、妊娠していた女性63人が殺されました。

私の妻もその中の1人でした。

腹を切り裂き胎児を銃剣で突き刺した日本人の姿は、本当に恐ろしくて体が震えてなりませんでした。

母親に抱かれていた赤ん坊も、日本兵は奪い取るなり地面へたたきつけました。

脳みそが出てその悲惨さは言葉で言えるものではありません。

* 鈴木啓久の証言  同上

・・・・命令を副官松原順一郎をして第1連隊長田浦竹二に伝達せしめたる結果、

田浦は当時私の部署下にありました騎兵隊と結合して

潘家戴荘の中国人民の農民1,280名を或いは銃殺し、

或いは刺殺し、或いは斬殺し又は生埋めをなす等の野蛮なる方法をもって

集団屠殺し尽くし、部落全戸800を焼却し尽くし、

主食千斤、被服多数を、又家畜約40、車40輌をことごとく掠奪し尽したのであります・・・・

 

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ご意見・ご感想はこちらへ ※個人情報の取り扱いについて

お名前 (必須)

メールアドレス ※返信をご希望の方はご記入ください

メッセージ本文