尖閣諸島

琉球の記録
記事専用プリント対応ページ

最終更新日:2014/01/16 13:15

それでは琉球にはどのような資料が残されているのか見てみます。

実はあまり資料はありません。

資料がないと言うことは日常からあまり関心がない、つまり自国の領土とは認識していなかった可能性があります。

* 1650年 琉球・羽地按司朝秀(執政官向象賢)の「琉球国中山世鑑」巻五

「航海日誌の内容」として陳侃の1534年の「使琉球録」をそのまま書いています。

注: 久米島からが琉球であるという事を琉球側でも認めていた事になります。

* 1708年 琉球・程順則の「指南広義」の「針路條記」及び付図

中国の冊封使陳侃(ちんかん)の「使琉球録」の中国福州から那覇に至る航路記事の抄録中に

「釣魚島」等の名前が出ていると言うことが書いてある

注: これはただ書いてあるということだけで領土のことには触れていません。

中国と琉球の資料を見てみました。

次に江戸時代の日本側の資料を見てみます。

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ご意見・ご感想はこちらへ ※個人情報の取り扱いについて

お名前 (必須)

メールアドレス ※返信をご希望の方はご記入ください

メッセージ本文