宮古・八重山分島問題

直接尖閣問題ではなく余談です。

日本が力ずくで琉球を吸収して沖縄県を作っても、

清国はまだ認めませんでしたし、

沖縄でも清国に救援を求める人たちもいました。

1879年(明治12年)清国から調停依頼を受けた

アメリカ前大統領グラント(第18代)は、

伊藤博文ら政府高官と協議した結果、

日本・清国の交渉をする事になりました。

 

交渉の前に日本からの条件が出されました。

 

●日本 

 中国内で欧米並みの通商権を認めて欲しい

 そのためには「宮古」と「八重山」を中国に引き渡す。

 

ロシアとの国境紛争を抱えていた清国は早期解決を望み、

日本からの条件に一旦は合意しました。

1881年(明治14年)2月、石垣島で両国の代表が会い、

日本は「宮古・八重山の土地・人民を清国に引き渡す」事になりました。

しかし、清国側の事情、国内の混乱、

日本の進出への恐れもあって、

この条約は調印されず棚上げになりました。

もしこの条約が成立していたら

その後の歴史、尖閣問題も違っていたでしょう。