中国人強制連行

作業所での暴動
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最終更新日:2014/06/01 14:31

日本各地135ケ所での死亡率をみてもかなりの重労働が行なわれたことは想像できます。

真冬でも衣類はないし、寝具もない、食事もないような掘っ立て小屋で重労働を強いられたのです。

怪我や病気をしても放置したまま治療もしない。

重労働と虐待、リンチ・・・・その中で多くの中国人労働者が死んでいきました。

食事がないため、死んだ同僚の人肉を食べていた報告もあります。

  そのため各地で生存をかけて反乱や暴動が起きています。有名なのは秋田県の花岡作業所です。

   * 鹿島組 秋田 花岡作業所の暴動

重労働と虐待に耐えかねた(41%以上の死亡率)労働者は、

1945年7月1日に反乱を起こし、約800人が逃げ出しました。

約1週間で全員が逮捕され、更なる虐待暴行をうけました。

9月になるとこの事件は進駐軍(アメリカ軍)の知るところとなり、

日本の責任者が逮捕され、中国人は釈放されました。

1948年の横浜BC級裁判では、国や企業の責任者は責任を免れ、

鹿島組職員や警察官等現場の責任者のみ重罪判決を受けました。

まさにトカゲのしっぽ切りです。

この事件は有名ですし本も沢山出ていますので、あまり詳しくは書きません。

   * 1995年6月28日、生存者と遺族11名が鹿島建設を相手に損害賠償裁判を起こしました。

      裁判での請求は

 1      遺族並びに生存者に対する謝罪

 2      秋田県大館市と北京市に記念館を建立する

 3      遺族並びに生存者に各550万円の賠償金を支払う

      鹿島建設の反論

 1      日中共同声明で解決済み、その為中国の国内問題である

 2      その為法律問題ではないので、裁判で解決する問題ではない

 3      日中友好条約から3年過ぎて時効、

    また20年の除斥期間を過ぎているので権利は法律的にも消滅している

 

1997年12月10日、東京地裁は、ほぼ鹿島建設の主張にそって、請求を却下する判決を下しました。

中国人本人たちの訊問さえない門前払いの判決でした。

     注:1999年時点での話しなので、その後変わっているかもしれません。

 

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