日本の毒ガス戦

国際条約との関係
記事専用プリント対応ページ

最終更新日:2015/05/02 9:47

日本は早くから化学兵器の禁止条約には積極的に参加してきました。

明治の富国強兵を実現させるための安全策だったのかもしれません。

* ハ-グ宣言  (原文カナ)

窒息せしむべき瓦斯又は有毒質の瓦斯を散布するを唯一の目的とする

投射物の使用を各自に禁止する宣言

1999年(明治32年)7月29日      海牙(ハーグ)に於いて調印

1900年(明治33年)9月3日      批准

同年10月6日             批准書寄託

同年11月22日             公布

宣言書

下に記名するハ-グ万国平和会議に賛同したる諸国の全権委員は、

之が為各本国の政府の委任を受け1868年11月29日~12月11日の

聖彼得堡宣言書に掲げたる趣旨を体して左の宣言を南為せり

「締盟国は窒息せしむべき瓦斯又は有毒質の瓦斯を散布するを唯一の目的とする

投射物の使用を各自に禁止す」

締盟国中の2国又は数国の間に戦を開きたる場合に限り締盟国は本宣言を遵守するの義務あるものとす

前項の義務は締盟国間の戦闘に於いて

1つの非同盟国が交戦国の一方に加はりたる時より消滅するものとす

本宣言は成るべく速やかに批准すべし

以下省略

* 「陸戦の法規慣例に関する条約」は、1907年10月に署名し、1911年12月に批准しました。

* ジュネ-ブ議定書

窒息性ガス、毒性ガス又はこれらに類するガス及び細菌学的手段の

戦争における使用の禁止に関する議定書(通称:毒ガス等の禁止に関する議定書)

署名   1925年6月17日         (ジュネ-ブ)

効力発生 1928年2月8日

日本国  1925年6月17日署名

  1970年5月13日国会承認

  5月21日批准書寄託、公布

下名の全権委員は、各自の政府の名において、

窒息性ガス、毒性がす又はこれらに類するガス及びこれらと類似の

すべての液体、物質又は考案を戦争に使用することが、

文明世界の世論によって正当にも非難されているので、

前記の使用の禁止が、世界の大多数の国が当事国である諸条約に宣言されているので、

この禁止が、諸国の良心及び行動をひとしく拘束する国際法の一部として広く受諾されるために、

次の通り宣言する。

「締約国は、前記の使用を禁止する条約の当事国となっていない限りこの禁止を受諾し、

かつ、この禁止を細菌学的戦争手段の使用についても適用すること

及びこの宣言の文言に従って相互に拘束されることに同意する。」

締約国は、締約国以外の国がこの議定書に加入するように勧誘するためあらゆる努力を払うものとする。

以下省略

上記1925年のジュネ-ブ議定書で毒ガス類は禁止されていましたが、

具体的には1993年にパリで「化学兵器禁止条約」として作成されました。

*化学兵器禁止条約

1993年1月13日 パリ

130ケ国が署名

日本国は1995年9月15日批准

この条約の内容についてはあとの「毒ガス条約の発効」で詳しく書きます。

 

日本はほとんどの会議で積極的に発言し、率先して署名していました。

しかしその裏で世界中を欺いて密かに毒ガス製造の準備を進めていたのです。

* 日本代表団の声明 1932年5月20日 ロンドン軍縮会議

化学兵器の使用禁止は出来うる限り厳格にすべきで・・・・

それはあらゆる窒息性、有毒性及びこれに類する液体、物質

あるいは工具の使用を禁止すべきで、

この点についてはいかなる例外あるいは保留もあるべきではない

* 同年11月24日 刺激剤の扱いに関する会議で

催涙ガスはその毒害の程度において顕著なるものに非ざるべきも、

これを一般攻撃に併用する時は甚だしき惨害を醸すに至るべきをもって、

これは1925年の議定書にあるガスに属し、その他のガスと同等に禁止の範囲に置くべきものなり

そして使用者に対して検証と制裁も主張しました。

このように世界中を禁止の方向に誘導しながら、実は日本のみ(?)着々と毒ガスの準備を進めていたのです。

そして1933年3月、日本は国際連盟から脱退するのです。

脱退する事によって、今まで積極的に制定した国際協定に従わないことにななりました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ご意見・ご感想はこちらへ ※個人情報の取り扱いについて

お名前 (必須)

メールアドレス ※返信をご希望の方はご記入ください

メッセージ本文