日本の毒ガス戦

海軍の毒ガス生産量
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最終更新日:2015/05/03 10:43

前の項目にも書きましたが毒ガス製造は陸軍に目立ちます。

それでは海軍ではどうだったのかというと、海軍は相模の海軍工廠で製造していました。

*相模原海軍工廠

相模原海軍工廠は1930年に移設された

海軍技術研究所・化学研究部第2科平塚出張所からスタ-トしました。

1942年に昭和産業寒川工場を買収して規模を拡大しました。

主とした業務は毒ガス兵器・防毒兵器のほか、

発煙剤・焼夷剤・船舶用消火剤・防空気球・潜水艦用発泡剤などの製造です。

工場では約3,000人の学徒動員・女子挺身隊など強制連行された朝鮮人が働いていました。

 

海軍と陸軍とでは毒ガスの呼び方が異なっています。

まず通称の比較の表です。

*毒ガスとその通称

毒ガス名

海軍

陸軍

クロルアセトフェノン

1号特薬

みどり1号

ジフェニル・シアンアルシン

2号特薬

あか1号

イペリット

3号特薬甲

きい1号

ルイサイト

3号特薬乙

きい2号

青酸

4号特薬

ちゃ1号

ホスゲン

 

あを1号

 

海軍での毒ガス生産量は資料不足ですが、米軍の資料から生産量と弾薬量の2つを見てみます。

*海軍の毒ガス生産量 (単位:メ-トルトン)

日本軍の化学戦に関する情報報告 第3巻 日本軍による化学戦資材の生産から

アメリカ極東陸軍総司令部主任化学将校室

1946年3月1日

 

イペリット(ドイツ式)

ルイサイト

ジフェニ-ルシアンアルシン

クロロアセトフェノン

~1941

30

5

30

20

85

1942

80

5

50

20

155

1943

200

5

40

40

285

1944

190

5

0

40

235

1945

0

0

0

0

0

500

20

120

120

760

*海軍の毒ガス弾生産量(単位:発)

兵器名

種類

1941年

1942年

1943年

1944年

1945年

12センチ砲用型薬缶

糜爛性

7000

3000

0

0

0

10000

12.7センチ砲用〃

5000

4000

0

0

0

9000

14センチ砲用〃

4000

3000

0

0

0

7000

15センチ砲用〃

3000

4000

0

0

0

7000

60kg爆弾〃

0

0

0

35000

600

35600

60kg1号2号爆弾

クシャミ性

0

2000

0

0

0

2000

 

 

19000

16000

0

35000

600

70600

 

日本の資料には敗戦時の製造施設の一覧表がありますので記載します。

民間企業の分も含まれています。

*敗戦時における相模海軍工廠毒ガス製造施設成況

              「相模海軍工廠」刊行会編 1984年

施設種類

工場名

能力(トン)

完成期日

1号中間薬

 アセトフェノン

相模工廠

  平塚分工場

年   150

昭和11年

〃   300

〃 12年

1号特薬

塩化アセトフェノン

   同上

〃   360

〃 13

2号中間薬

 フェニル亜砒酸

   同上

〃   450

〃 13

2号特薬

 ジフェニル・シアンアルシン

   同上

〃   240

〃 13

3号中間薬

 オクゾ-ル

   同上

〃    60

〃 13

同上

旭電化工業

  屋久工場

月額   20

未完

同上

三井化学工業

  三池染料工業所

〃    20

未完

同上

東洋製薬化成

  出来島工場

〃    10

未完

3号特薬甲

  相模工廠

年額 1,000

昭和19年

3号特薬乙

 ルイサイト

相模工廠

  平塚分工場

〃    60

〃 14年

 *軍の工場だけではなく民間会社も毒ガスの製造に関わっていたことがわかります。

 

 

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