民間企業の毒ガス製造

民間企業では軍よりも早い時期に

毒ガスの製造を始めています。

そして生産量は相当な量になります。

主として三井鉱山三池染料所が

陸軍、海軍両方からの注文を受け製造していました。

 

三井鉱山の「社史」から見てみます。

●火薬及び化学兵器    

三井鉱山50年史稿 巻13第2章 1944年刊行

「創業」

 昭和9年1月陸軍化学研究所から

 アサヂンの製造の委嘱があった。

 先ず同所の製造研究報告を受け、

 之に基づいて当所として

 その工業化に関する意見を具申した。

 当時陸軍化学研究所では、

 本品を「シモリン」と称していたが、

 当所ではこれを「アサヂン」と命名した。

 3月には年度内にアサヂン50トンを

 完納すべき命令に接した。

 陸軍科学研究所の指導に基づいて

 鋭意工場の設計を急ぎ、

 一方各種の化学的試験をも行って・・・・

 まもなく高級染料の一部を当工場に当て・・・・

 12月には生産月30トンの設備の完成を見、

 この間製造技術も充分確立するを得た。

 かくして順調な作業によって、翌

 10年1月全量の製出を終わって

 2月これを完納したのである。

「その後の生産状況」

 その後昭和10年9月より同11年1月までの

 4ケ月間と昭和11年10月より同12年4月迄の6ケ月間、

 2度にわたっていわゆる

 教育注文を受けて再度の生産を行った。

 昭和11年アサヂンは「CA剤」と改称された。

 昭和12年4月教育注文の製造完了すると共に、

 海軍よりCA剤の中間品の注文を受けた。

 海軍で「2号中間薬」と云っているものである。

 昭和12年7月支那事変勃発し、

 8月陸軍から当工場運転開始の内命あり、

 9月操業にかかった。

 昭和13年、14年引続き順調の作業を行った。

 一方海軍よりは昭和12年9月、

 昭和13年3月及び8月、

 昭和14年10月の4回にわたって

 2号中間薬を受注、

 いずれもまた夫々純良品の完納を見た。

 現在尚作業は続けられている。

注:シモリン、アサヂン、CA剤は

  ジフェニルシアンアルシンで、

  陸軍ではあか1号、海軍では2号特薬といわれた。            

  2号中間薬はその途中のフェニル亜砒酸のこと

 

三井染料所ではどのくらいの量を製造したのか

同じ50年史から見てみます。

 

●三井染料所 アサヂン、CA剤の生産量(単位トン) 

    三井鉱山50年史稿から

年度

アサヂン

CA剤

1934 上

    下

 

5,800

 

1935 上

    下

58,000

5,000

 

1936 上

    下

23,800

 

1937 上

    下

 

 

31,770

1938 上

    下

 

237,237

127,496

92,600

396,813