日本の毒ガス戦

民間企業の毒ガス製造
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最終更新日:2015/05/30 10:32

民間企業では軍よりも早い時期に毒ガスの製造を始めています。

そして生産量は相当な量になります。

主として三井鉱山三池染料所が陸軍、海軍両方からの注文を受け製造していました。

三井鉱山の「社史」から見てみます。

*火薬及び化学兵器    三井鉱山50年史稿 巻13第2章  1944年刊行

「創業」

昭和9年1月陸軍化学研究所からアサヂンの製造の委嘱があった。

先ず同所の製造研究報告を受け、之に基づいて当所としてその工業化に関する意見を具申した。

当時陸軍化学研究所では、本品を「シモリン」と称していたが、

当所ではこれを「アサヂン」と命名した。

3月には年度内にアサヂン50トンを完納すべき命令に接した。

陸軍科学研究所の指導に基づいて鋭意工場の設計を急ぎ、

一方各種の化学的試験をも行って・・・・

まもなく高級染料の一部を当工場に当て・・・・

12月には生産月30トンの設備の完成を見、この間製造技術も充分確立するを得た。

かくして順調な作業によって、翌10年1月全量の製出を終わって2月これを完納したのである。

「その後の生産状況」

その後昭和10年9月より同11年1月までの4ケ月間と昭和11年10月より同12年4月迄の6ケ月間、

2度にわたっていわゆる教育注文を受けて再度の生産を行った。

昭和11年アサヂンは「CA剤」と改称された。

昭和12年4月教育注文の製造完了すると共に、海軍よりCA剤の中間品の注文を受けた。

海軍で「2号中間薬」と云っているものである。

昭和12年7月支那事変勃発し、8月陸軍から当工場運転開始の内命あり、9月操業にかかった。

昭和13年、14年引続き順調の作業を行った。

一方海軍よりは昭和12年9月、昭和13年3月及び8月、昭和14年10月の4回にわたって

2号中間薬を受注、いずれもまた夫々純良品の完納を見た。

現在尚作業は続けられている。

注:シモリン、アサヂン、CA剤はジフェニルシアンアルシンで、

  陸軍ではあか1号、海軍では2号特薬といわれた。            

  2号中間薬はその途中のフェニル亜砒酸のこと

三井染料所ではどのくらいの量を製造したのか50年史から見てみます。

* 三井染料所 アサヂン、CA剤の生産量 (単位トン) 三井鉱山50年史稿から

年度

アサヂン

CA剤

1934 上

   下

5,800

1935 上

   下

58,000

5,000

1936 上

   下

23,800

1937 上

   下

31,770

1938 上

   下

237,237

127,496

92,600

396,813

 

 

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