日本の毒ガス戦

土佐沖への毒ガス投棄
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最終更新日:2015/08/16 11:21

帝国人絹株式会社(帝人のこと)三原事業所が1970年9月20日に「帝人のあゆみ」という社史を発刊しました。

その社史とその他多くの資料を参考に栗原透氏が調査し論文を発表しています。

その要点です。

*  土佐沖に海没した毒ガス問題について

土佐沖の海没毒ガスを調査する会代表委員 栗原透

毒ガス展実行委員会 公開シンポジウム「悪魔の兵器の廃絶をめざして」資料から

「残量量」

大久野島で生産された毒ガス総量   6,616トン

敗戦時同島に残存していた量     3,200トン(約)

アメリカ軍報告書にある残存量    3,647トン(大久野島と大三島合計)

英連邦軍が確認した残量量      3,260トン

帝人社史に記載された量       3,240トン

「経緯」

1946年1月22日、大久野島毒ガス工場を帝人に払い下げることが決定

条件として毒ガスの処理を帝人が担当すること

英連邦軍には化学兵器の処理担当将校がいなかったため、

アメリカの騎兵第1師団の化学兵器将校ウイリアムソン少佐が派遣された。

5月27日から帝人が作業を開始した。

ウイリアムソン少佐は、大部分の毒ガスを老朽化した上陸用船艇LSTに搭載し

海洋で船もろとも爆沈海没される計画をたてた。

「投棄された毒ガス」

毒液      1,845トン

毒液缶     7,447缶

くしゃみ剤   9,901缶

催涙剤      131缶

60K毒ガス弾   13,272個

10K毒ガス弾   3,036個

「投棄した日時と場所」

第1船

8月21日21時50分、LST814がアメリカ軍曳航LT636に曳航され海没した。

場所は    北緯32.37度

  東経134.13度

桂浜から113km、足摺岬から111km、室戸岬から69km

深さ 2,000m~2,300m

第2船

8月26日、LST128が興津丸に曳航され海没した。

場所は    北緯30.38度

  東経132.22度

足摺岬から235km南、都井岬から125km東

深さ 3,000m~3,200m

第3船

10月27日、LST128が興津丸に曳航され海没した。

場所は    北緯32.30度

  東経133.55度

足摺岬から122km南、室戸岬から88km東

深さ 1,200m~1,500m

8,000個以上の60Kマスタ-ドガス弾や充填された400トンの毒ガス容器、

300トンの残留物コンテナ-など1,800トン等を沈めた。

このようにして土佐沖に投棄されましたが、それ以外に別府湾に投棄された毒ガスがありますが、

別府湾が浅くて危険なため引き上げ再度土佐沖に投棄されました。

計4箇所に投棄されたということになります。

具体的に土佐沖のどの辺りなのか、地図で示します。

SCN_0089土佐沖海没

 

土佐沖の毒ガスは現在でもそのままです。

塩水で腐食されてジワジワと漏れ出している可能性があります。

可能な限り場所を特定し回収処理を進める必要があります。

 

 

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